剣鬼別離
子供の成長とは実に不思議なモノだ。
毎日見ているとそこまで変化に気が付かないが、服はあっと言う間にサイズが合わなくなるし、何かの拍子に昔の写真でも見て見れば面構えが随分と変わっていることに気が付く。
「
と言う裂帛の気合いと共に叩きつけられる特注の鞘付きの模造刀に同じ仕様の模造刀を合わせながら虎一は空いた右手で「ふむ」と顎を撫でた。
髭は無い。つるりとした触り心地は女か子供の様だった。
老いることの無い種族。美丈夫の多い種族。エルフ。
そんな風に称されることもあるソレへの変異が進んだせいだろう。氣が練り難くなるにつれ、外見にも様々な変化が生じ、最早髭も生えなくなっていた。
まぁ、種族が変わるのだ。そうである以上、そう言った外見の変化は当然と言えば当然だろう。今や虎一の髪色は狛彦が懐く切っ掛けとなった灰色混じりの黒髪から黒一色へと変わっていた、落刃白虎。二つ名の由来の一つであった色はもうない。
だが、そんな自分の変化以上にここ数年で変化……いや成長したのが子供、狛彦だ。
小さな手が刀を指した夜から、既に五年の月日が経ち、狛彦は十二歳になっていた。
仔犬の様な可愛らしさが残っていた男の子は、いつの間にか少年の入り口に立ち、彼が振る剣は未だ一刀如意の境地に届かずとも、ソコを目指すことを口に出すことを許される程度には鋭く、重くなっていた。
才があるか無いかで言えば……無い。
持って生まれた肉体強度。人狼としての力がどうしても邪魔をする。
虎一が修め、狛彦が学んでいる烏丸流刀鞘術は後の剣であり、静の剣だ。
対し狛彦の持つ天稟は、先の剣のモノであり、動の剣のモノだった。
だがこの五年、一日も休まず剣を振り続けるその姿勢は先の言葉通り一刀如意の境地への到達が見込めるものだった。それを証明するかの様に――
「―――――――――」
狛彦の口から独特の呼吸音が響く。
「……」
自分の口から聞こえなくなって久しいソレ、無意識に行われた
まだ狛彦は気が付いていないようだが、勁穴が開き、勁脈が広がっていた。
一生を掛けても届かない者もいる領域。
――が。
変な所で鈍い弟子は未だそれに気が付いていない。
それでも人狼としての直観の鋭さが狛彦の身体を動かす。
勁穴が開いたことに気が付かずとも――。
勁脈が広がったことに気が付かずとも――。
狼の闘争本能が頭では無く、身体にそのことを理解させる。強くなったことを。そして、ここが勝機だと理解させる。
弾かれる様に飛び
じぅ、と世界が焦げる。
それを錯覚させる程の集中。それを予感させる程の静寂。
世界の停止は一瞬。
音と共に地が爆ぜる。
軽功術。身体操作により、
烏丸流刀鞘術が一手、
納刀状態の刀をわざと受けさせ、そこから弾き、或いは逸らして、態勢を崩し、近距離から抜刀する烏丸流刀鞘術の基本にして奥義とも呼ばれる
弾丸の様な跳躍の勢いそのままに振るわれる狛彦の横薙ぎはそれ自体が必殺だ。並の剣士では受けるだけで精一杯であり、本命の居合を防ぐことは出来ない。
――だがそれは並の剣士である場合だ。
氣は、心に宿る。
そうである以上、エルフに変異し、弱くなった肉と細くなった勁脈であっても稀代の剣士と謳われた虎一に、ただ速くて重いだけの剣など通用しない。
受けるには力が居る。
だが逸らすには力は要らない。
烏丸流の剣士に求められる四つの内、火の苛烈さと岩の重さは失われても、風の軽さと水の無形は
書き換えられた
ソレは五年に渡る稽古の中、幾度となく繰り返された光景だ。
だからそうなることは狛彦にも予想出来ていた。
だから狛彦は次に備えていた。
逆らわず、力まず、流された勢いをそのままに軸足で地面を焦がす。
描くは円。攻めるは今。流した刀身を身体で隠し、抜刀。
初撃の刀を虎一の唐竹に合わせ、二撃目の鞘にてあばらを砕く。これぞ烏丸流刀鞘術が一手、
相手に背を見せると言う不様からの勝負の一手。狛彦の一撃が虎一の骨を砕いたかに見え――
「ぐえぅ!」
狛彦の口から洩れた潰れたカエルの様な呻きが師匠越えを否定する。
放たれたのは縦の斬花。弾かれた唐竹は鞘で受け、そこから抜かれた刀身が狛彦の鞘を逸らし、ついでに未熟を咎める為の蹴り足を一つ叩き込む。
「……………………」
ソレがもろに入った結果、虎一の目の前で弟子は腹を抑えて動かなくなってしまった。
「勝ちを妄信したな? 止めを刺さずに油断をした結果、お前は今蹲っている」
口ではそう言いつつも、こちらの想像の上を行き、加減が出来ぬ程に間合いを食っていた狛彦の仕上がりに思わず緩みそうになる口元を右手で隠す虎一。だが――
「………………はきそう」
「吐くな。さっさと立て」
「…………むり」
「大して痛く無いだろう?」
「……むり、いたい」
想像以上に良い動きをしたはずの弟子だが、今は「ぽんぽんいたい」と蹲ったまま、
(出会った頃でもここまで幼くはなかった気がするんだがな……)
そんなことを思いつつ、狛彦の黒と灰色の混じった頭を見ながら虎一は溜息を一つ。
「……いいや、痛くないはずだ。良いか、狛? 勁穴が開いた今のお前の身体は以前のモノと根本的に違うんだ」
そう。常人と勁穴の開いた
電脳時代に電脳化の利を捨て、それでも電脳化した者や
で、ある以上、氣を込めていない生身の蹴り足では何発腹に撃ち込んでも大したダメージにはならない。
「俺、勁穴開いたの?」
「あぁ、三日前にな」
「……錬氣も?」
「……さっき出来てたな」
そんな風に返してやれば、無言で起き上がり「そう言えば痛くない気がする」と
「……」
実にアホである。
もう少し本気で蹴っておいた方が良かったかもしれない。手癖で髭の無い顎を撫でながら半目で虎一はそんなことを思った。
ともあれ。
狛彦の勁穴は開いた。
「……」
開いて、しまったのだ。
五年。
それは十二の狛彦にとっては人生の半分に近い年月だが、三十も後半に差し掛かった虎一にとってはあっと言う間の年月だった。
「……」
――いや。
と、軽く頭を振る。
きっと月日は関係ない。十年であれ、十五年であれ、あっと言う間に感じたに違いない。それ位にこの五年は虎一にとって鮮烈だった。
子育て。或いは弟子取り。
慣れないソレは虎一にとってはとても大変なことであり、同時にどこか愉しいものであった。
修羅道を歩んだ。
その自覚はある。
師から、師の師から、更にはその先の
そんな人生だった。
それを人生とは言い難い。何故ならそれは獣の生き方だ。
それでも変異に晒され、“
虎一の人生に価値は無い。
――それでも虎一は自分が修めた“武”だけは。
――それだけは価値があるモノだと思いたかった。
だから――
「お前が俺の剣を覚えたいと言ってくれた時な、嬉しかったぞ」
壁際で丸くなっている毛布へ掛ける言葉は細く、小さく、それでも確かに暖かさを伴っていた。
返事はない。スラムで生きる為、僅かな物音で跳び起きる習性を持って居た仔犬は、今はここが安全だと信じ込んでおり夢の中だ。
それに苦笑い。
剣は託した。狛彦に託せた。眠る仔犬に虎は剣を託したのだ。
これより先、月日と共にエルフへの変異が進んだ自分はどんどん憧れた剣から遠くなっていくだろう。
だが狛彦ならば? 勁穴が開き、
きっと虎一が惹かれた剣に近づいてくれる。
そんな思いが有った。
「……」
初めての弟子。そして最後の弟子。眠るその頭を撫でようと手を伸ばし掛け、止めた。
それが長いようであっと言う間だった五年を過ごしたアパートでの虎一の最後の行動だった。
刀を片手に。少ない荷物を背負い。ロングコートの裾を翻して――
石徹白虎一は弟子が眠るアパートの部屋を後にした。
今生の別れだ。
少なくとも虎一はそのつもりだった。
そうして感傷を振り切る様にアパートの玄関を潜る虎一。
「っ!?」
刹那。凄まじい速度で虎一は後ろに飛んだ。
数瞬前に頭が有った場所を薙ぐ斬撃。心臓が珍しく煩い。不意打ち。ソレを喰らったからだろうか? ――いや、そうではない。そうではない。修羅道を歩んだ石徹白虎一は不意打ち程度で乱れる心臓は持って居ない。
問題は、襲撃者。昼夜で明るさが変わることのない第四層の太陽に照らされて立つ襲撃者だ。
「……不意打ちでもダメか」
黒と灰色の混じった髪。人のモノとは異なるタペタムを持つ琥珀色の瞳。
見慣れた顔だった。
もう見ることは無いと思っていた顔だった。
狛彦だった。
「俺、不意打ちでも一本とれないんだけど、もう卒業なの?」
使い慣れた模造刀で肩をとんとんと叩きながら、どこかつまらなそうに狛彦。
「……手紙を」
読んだのか? そんな問い掛けに返されるのは「あ、やっぱそんな内容なんだ」と軽い答え。何と言うか、手玉に取られると言うか、狛彦が虎一の先を行っていた。
「……」
悪戦苦闘。子育ては何時だって思い通りに行かない。頭を掻き、深呼吸。それでも浮かぶ口元の笑みを噛み砕いて虎一はどうにか平静を装う。
「……
「……」
「お前の腕なら悪い様にはされんだろ。その程度には鍛えたはずだ」
「…………」
「これが俺がお前に出来る最後のことだ」
「………………剣」
言い聞かせる様に、平坦に、言葉を紡ぐ虎一に、不貞腐れた様に狛彦が割って入る。
「剣、もっと教えてくれよ」
「……無理だ」
「なんでっ! だって、俺っ! まだっ!」
「勁穴が開いた。
――俺はもう
心の奥が痛むのを誤魔化しながら絞り出した、苦く笑いながらのその言葉に、何故か狛彦の方が泣きそうな顔をした。その顔を見て――
――あぁ。
と、息が零れそうになる。
この弟子は本当はもう気が付いているのだ。
もう自分から学べることは何もない、と。本当はその事実に気が付いているのだ。だから泣きそうになっているのだ。
懐いてくれた――のだろう。そう思う程度の己惚れは許して欲しい。保護者。もしかしたら……父。そんな風に思ってくれているのかもしれない。
それでもその相手に狛彦は縋らない。
保護者には縋らない。父には縋らない。欲しいのは師。己を剣の高みへと連れて行ってくれる存在。欲しいのはソレだから。
それは情を超えた
それを見て虎一は笑う。
――堕ちた、堕ちた、剣鬼に堕ちた。
――仔犬が一匹、剣鬼に堕ちた。
酷い話だが、そのことが、狛彦が剣に憑かれたと言う事実が虎一には嬉しかった。
だから手を伸ばし、最後にやろうとしてやらなかったことをやった。
くしゃ、と狛彦の硬い髪を撫でたのである。
「それで良い。それで良いんだ、狛。お前
そうして手を動かす。
右手ではない。左手ではない。それでも、手を……手を動かす。
「俺
そうして刃を抜き放って見せる。
虚空に浮かぶ愛刀を用いての
それは見せるつもりの無かった虎一の新しい剣。
エルフに変異し、練れなくなった氣の代わりに得た力。補助脳の発生に伴い獲得した超常、テレキネシスを用いた刀鞘術。
「っ!」
目を丸くする狛彦。その頭を最後に思い切り乱暴に撫で――
「
「剣、捨てないのか?」
「……捨てれんさ」
困った様に笑う。
仔犬が一匹剣鬼に堕ちた。
それならば虎はとっくに沼の底だ。
だからこれは別れであって、別れでは無い。
仔犬が只管に沈んで行けば、何処かで交わる。仔犬の行く先も、虎の行く先も、剣の道だ。
だから再び交わる場所も――
「……次に会った時、俺がアンタのその新しい剣、ぶったおしてやるよ、虎一」
「……あァ、楽しみにしてるよ、狛」
やはり剣の道なのだろう。
あとがき
・よいこの為の用語解説コーナー
刀鞘術/刀鞘術士
居合を主軸にした剣術とも言われる。
鞘と刀を用いた変則二刀流とも言われる。
その実態は――『取り敢えず鞘は殴るもんだ』と最初に教えられるらしい。
鍔が鞘側にも付いたモノや、握りが付いた鉄鞘を用いる流派。
鞘は盾にするし、殴るのにも使うし、偶に投げるし、背中を掻くのにも使う。ばんのう。
結構色んな流派があり、虎一と狛彦が使うのは烏丸流。そこそこ有名。大きい都市なら道場があるかもしんない。
烏丸流は鞘にも握りが付いたモノを好んで使う。
冷たいうどんは無理だけど、久々に三食食べれたから更新。朝マックにしたのが勝因かなと思います。はい。
取り敢えずハッシュドポテトは食べれたから明日はポテトMにチャレンジする。そうしてちょっとづつ揚げ物に慣らしてくんだ、俺。
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