おおかみこどもの狛彦

 父と呼ぶな。

 祖父と呼ぶな。

 恐らく彼がそう言ったのは罪悪感からの言葉だったのだろう。


「……」


 虎一がコマヒコの身体について質問した所、しぶしぶと手渡された記録用メモリスティック。それを手の平サイズの端末で読み込んでみれば、そこに書かれていたのはコマヒコと言う子供がどうやって“造られた”かだった。

 まぁ、良くある話だ。

 人体実験の成果物。コマヒコはそれだった。ジーンインプラント。生まれる前、母の胎に居る間に遺伝子に施されるその改造の数少ない成功例であり――廃棄品だった。

 再現性の低さからジーンインプラントの商品化を諦めたとある企業はコマヒコを殺してプロジェクトを破棄するつもりだった。

 子供は金がかかる。

 だから、まあ、当然の選択だ。

 それでも、その後始末を担当した一人の研究者にはそれが出来なかった。

 腐った母体の処理は出来た。変異に呑まれ、言葉に成らぬ呻きを発する失敗作の異形を処分することもだ。だが――

 人の形をして、自分の白衣の裾を握りながら指をしゃぶるモノ。

 それを殺すことが出来なかった。

 優しい――とも違う。姿形が違えば「出来ない」が「出来る」に代わる様な男を優しいとは評さない。だから言葉を送るのならば、臆病、だったのだろう。

 だから父と呼ぶなと言った。だから祖父と呼ぶなと言った。だって、そう呼ばれてしまったらきっとその男は狂ってしまっていた。

 ゴミの様な雑用を押し付けられる様な男だ。それ程優秀な研究者でも無かったその男は表側にコマヒコの居場所を用意することが出来ず、かと言って裏側で生きていく覚悟も無く、コマヒコに最低限の生き方を覚えさせるとこのメモリスティックを手渡し、表側に逃げて行ったらしい。


「……なんと、言ったらいいのか」


 住処と定めた安アパートの一室。その隅の毛布の上で仔犬の様に丸くなっているコマヒコを見て虎一は言葉を失った。

 コマヒコ――狛彦こまひこの名前の漢字を知ることが出来た。“駒彦”と言う字を当てるつもりだった虎一にとっては有り難いことだ。年齢も知ることが出来た。製造から……いや、生まれてから七年。調達屋ペリカンに戸籍を造らせる際、これも役立ってくれることだろう。

 そう言った良いこともある。それでも、これは――


「……」


 酷い話、と言うには今の時代には有り触れている。狛彦に対して同情することも、くだんの男に対して怒ることも出来ず、それでも何とも言えないモノだけが喉に引っ掛かった。

 時刻は午前零時過ぎ。常に薄ぼんやりとした明るさの変わらぬ空の下では一度体内時計が狂うと直すのは難しい。

 それでも、どうにも眠る様な気分になれず。虎一は愛刀を手に外に出た。








 積層都市ウツセミ第四層外縁部。薄汚れた壁の際。ゴミが積み上げられ、それでも地下に住む企業連中の為の緑化政策の名残として一本の大樹が立つその場所に――

 風が吹く。

 その風の出所には刀を携えた虎一が居た。

 ――剣を振れ。

 それは虎一の師匠の口癖だった。

 負けたのなら剣を振れ。勝ったのなら剣を振れ。そして迷いがあるのならば剣を振れ。

 次は負けない為に剣を振れ。次も勝つ為に剣を振れ。そして何より――どうせ頭の悪いお前に答が出せるわけがないのだから剣を振れ。

 馬鹿にしたような物言いだが、悲しいことに事実である。

 脳裏に浮かぶ答えの無いモノを振り切る為に虎一は剣を振る。

 始めはゆっくりと、丁寧に。そこから少しだけ速度を上げて、それでも丁寧に。それを繰り返す。繰り返す。繰り返す。次第、激しくなる中、それでも丁寧に振るわれた剣には人を惹きつける耀きがあった。

 サイボーグに剣を振らせてみれば、同じ速さは出るだろう。

 それでもそこにはきっと感動は起こらない。

 丁寧に、丁寧に、丁寧に――。

 幾度となく振るわれて来た虎一の剣。振るうたびに、少しずつ、少しずつ、虎一の頭の中から余分なモノが無くなって行く。


 ――無想にて。

 ――赴くままに剣を振る。


 シ、と乾いた音が響き、虎一の剣風により散らされた幾つかの葉が斬られた。もう一度。もう一度。もう一度。それを繰り返している内に、奇妙なことが起こり始めた。

 一つの葉が落ちる。それが斬られる前に、斬れた・・・

 勿論そんなことはあり得ない。

 だが、その事象の順序を追い越す様な絶技。時越えとも言えるその一振りこそが刀を扱う達人アデプトの目指すべき一つの境地だった。


 ――成った。


 と認識した瞬間に混じった雑念が剣の冴えを虎一から奪う。そうなってしまえば後に残るのは汗だくの未熟者のみだ。


「――、――」


 調息。不様に肩で息をしそうになる己を戒め、虎一が刀を鞘に納める。チ、と軽い鳴き声を合図に世界に戻ってくる虎一。すると視線を感じた。まぁ、いつものことだ。

 虎一が下層で仕事を受ける様になってから、鍛錬の場としてこの場を使っているのだが、いつからか、この鍛錬には見学者がいた。


 ――いや、“いつからか”では無い。


 見学者の正体は分かって居る。狛彦だ。外に出て行く虎一を不審に思って。或いは年相応に保護者から離れる不安を感じてか。その辺りは分からないが狛彦は偶に虎一の鍛錬を盗み見ていた。

 そんな狛彦は、虎一が帰る素振りを見せると、わたわたと慌てだし、家に帰ると狸寝入りで出迎えてくれる。

 それが何だか面白いので、虎一は狛彦の好きにさせていた。だからこの日も「さて」と、わざと声を出し、帰ろうとした。

 ――わたわたと慌てる狛彦。

 その尻尾でも眺めようとした虎一の視線の先に――。

 いつもとは違い、慌てることなく、こちらを見つめる狛彦の姿があった。


「ふむ?」


 一応の保護者として、夜に出歩いていることを咎めるべきか? と小首を傾げる虎一に、狛彦が駆け寄ってくる。


「こいち」


 琥珀色の瞳。狛彦の狼の目が虎一を、その手の中の刀を見る。そして――


「それ、おしえて」


 小さな手が刀を指差した。











あとがき

・よいこのための用語解説コーナー

 第一回 ジーンインプラント

 遺伝子改造よりも手軽に受精卵にあとから手を加える技術。

 目的は通常妊娠で生まれる子供に耐性を付けること。この時代だと成功すれば一儲け所か人類史的に割とデカい事業。

 でも残念。上手く行きませんでしたとさ。

 色んな動物の因子があるので狛彦が狼を引けたのはラッキー。

 チワワやスコティッシュフォールドじゃなくてよかったな狛ァ!!






 はい。そんな訳で退院しました&生きてます更新。

 暖かいコメント、更には誤字報告までしてくれた方までいて感謝しかねぇ。

 何とか娑婆に戻ってこれました。


 でもごめんね。ちょっと療養させて。流石に一ヵ月前と比べて二十近く体重が吹き飛ぶとキツイ。

 取り敢えず次の更新はかつ丼食えるように……だと一ヵ月くらい先になりそうなので、冷たいコシの有るうどんが食べれる様になったらします。一週間くらい? 以内?

 そんなかんじ。

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