弟子入り
仔犬はその場に居た有力な者達をぶちのめし、呼び出された高弟とやらともどうにか打ち合ってかろうじて勝ちを拾い、最終的に着物の女の子が引っ張って来たエプロン姿の女性に「あらあら、元気な子ね」と笑顔でぶちのめされて――
「弟子にして下さい」
きゃん、と鳴く羽目になった。
何時間か気絶していたせいだろう。
既に外は夜になっていた。
暗い夜。それは狛彦が初めて見るモノだったが、今はそれ所ではない。
狛彦がぶちのめした者達が立ち去り、ぶちのめされた狛彦が転がっていた道場には今、狛彦を含め四人の人間が居た。
案内してくれた女の子。狛彦をぶちのめした女の人。それと一人の老人。
恐らくあの老人が道場主――虎一の師匠なのだろう。
土下座の体勢のまま、ちら、と頭の禿げた男に視線を向ける。
「坊主。お前さん、道場破りじゃないのか?」
「……違います」
少し狛彦の言葉に力が無かった。
何故ならちょっと否定しにくかったからだ。高弟が出て来た時には引っ込んだとは言え、一度は見限ったのだ。その時はちょっとそんな気分だった。看板の代わりにお金とか貰ってこうとか思ってた。
「そんならどうしてこんなことになった?」
「どうして……」
喧嘩を売られた。ここまでは狛彦に非はない。喧嘩を買った。この辺から既に怪しい。一人目をぶちのめした後で『次』とか言った。この辺でもう言い訳は出来なくなった。
「……」
どうしよう?
結果、狛彦は無言で固まった。
「あの、お祖父ちゃん。わたしが説明してもいいですか?」
もう半分くらい弟子入りを諦めて、今夜は何処で寝よう? とか考えだしていた狛彦に女の子が助け舟を出してくれた。そちらを見れば『任せて下さい』とウィンクをされた。
「蓮司さんが吹っ掛けたのが原因です」
「あ? あの馬鹿孫がこの坊主に? アイツ、こんだけ差があっても力量差が読めんのか?」
勁穴が開いた時は、もしやと思ったが……やっぱり向いとらんな。さっさと電脳化させるか、と右介。
「……この子、やっぱり強いんですか?」
「お前もか
「わたし、剣に興味はありませんので」
にっこりと女の子、千鶴が言えば、右介は盛大な溜息を吐き出した。
「お前は未だ見込みがあるんだがなぁ。この分だと儂の血を継いだ子に道場を継いで貰うのは無理か……っと。すまんな坊主。放っておいて。それで? 道場破りじゃないならウチに何の用だ? 弟子入り希望みたいだが……お前さん、独学じゃないだろ? お師匠さんはどうした? 結構名の知れた剣客だろ?」
あ、今だ。
そう判断した狛彦は何時渡せば良いのか分からなかった虎一からの紹介状を、すっ、と差し出した。
「? これは?」
「虎ぃ――師匠からの紹介状です」
「ふぅん?」
手に取る右介。封を開くと中から二枚の紙が出て来た。一枚は紹介状だろうが――もう一枚はなんだっけ? 虎一が何か言っていた気がするが、よく覚えていない。それでも思い出そうと、はて? と狛彦が考えていると――
「あら、こっちはあなたの戸籍なのね」
狛彦をぶちのめしたエプロン姿の女性がそんなことを言った。あ、そうだった。
紹介状でなく、戸籍の方に興味を示したらしい女の子が母親と並ぶ様に、ひょい、と覗き込む。そしてそこに書いてある文字を読んで「え?」と不思議そうに首を傾げた。何か変なことが書いてあったのだろうか?
「……ふん」
そんなことを考えている内に、右介が紹介状の方を読み終えたらしい。
「そうか。お前さん、虎一の弟子なの――」
「……ちょっと、お父さん」
そして次の瞬間、エプロン姿の女性が肘をその顔面に叩き込んだ。
喰らってはいない。喰らってはいないが、それでもその手加減抜きの一撃の勢いを殺す為に右介は勢いよく後方に飛び退っていた。
――あ、さっきの全然本気じゃなかったのか。
狛彦が目の前の突然の攻防にも左程動じることなく、「やっぱり弟子入りさせて欲しいな」とか呟く中、大人二人は随分とヒートアップをしていた。
「……行き成り何をする、
「この子の名前。これはどう言うことですか? 状況によってはお母さんに報告しますよ?」
「あ? 名前?」
何やら狛彦の名前で揉めているらしい。「……」。もしかしたら狛彦と言う名前は上層だと変な名前なんだろうか? ……だとしたらショックだ。
「狛彦さん、狛彦さん」
と、避難してきた女の子に声を掛けられた。確か千鶴と言う名前だったはずだ。
「改めて自己紹介しますね。烏丸千鶴です」
「……狛彦です」
「はい、あなたは狛彦さん。狛彦さんはナニ狛彦さんですか?」
「……?」
「……名字です。名字は何ですか?」
「……ない」
「無いんですか?」
「……俺は、下の出身だから……」
少し、狛彦の声が沈む。綺麗な少女に、千鶴に自分が下層の出身だと言うのが辛かったから――ではない。
石徹白狛彦。
そう名乗りたいと思ったことはあったが、虎一は自分の名字を狛彦にくれなかった。
だから狛彦には名字は無いのだ。
そのことを思い出したのが少し悲しかった。それだけだ。
差別だ! と主張するには自分の位置が下に置かれていると言う自覚をしないと不可能だ。
下層から出たことが無かった狛彦は下層出身だからと言う理由での差別すらされたことがないのだから隠す必要すら未だ理解できていない。
「そうですか。狛彦さんは自分の名字を知りませんでしたか……お母さん、お祖父ちゃん、ストップ! 止めて下さい! 狛彦さんはお祖父ちゃんの隠し子じゃありません!」
千鶴の言葉に目をぱちぱちと狛彦。
「……どういうこと?」
「狛彦さんは烏丸狛彦さんなんです。それでお母さんがお祖父ちゃんの隠し子を疑って――」
「……」
こうなっているらしい。
「……アンタのお父さんの隠し子って言う線は?」
「お父さんは入り婿ですし、そもそもへっぽこなので狛彦さんの様な強い子は絶対生まれないので無罪です」
お祖父ちゃんの言う通りわたしに剣才があるとしたらお母さん譲りです、と笑顔で千鶴。
「……」
何となく狛彦は未だ会っても居ないお父さんとやらに同情した。
――それにしても。
何で虎一は戸籍を造る際に烏丸の名字を付けたのだろう?
十二歳の狛彦にその理由は分からなかったが、取り敢えずこの日、狛彦は自分のフルネームが烏丸狛彦であることを知り、そのまま烏丸流の道場に住むことになったのだった。
――まぁ、理由としては引き取らせる為だろうなぁ。
家路をとぼとぼと歩きながら、思い出の中の疑問に答えを出す。
十二歳の狛彦には分からなくても、十五歳の狛彦になら分かることもある。
ましてこの三年、狛彦が暮らしたのは上層だ。
上層の悪意は下層程分かり易く単純ではない。そんな中で
そうなれば烏丸狛彦と言う名には少しの悪意が混じっていることに気が付いてしまう。
名字が烏丸であり、年齢に見合わぬ烏丸流刀鞘術の練度を持つ子供。
そんな子供の噂を聞いてこの都市でそれなりに有名な烏丸流の道場と結びつけない者はよっぽどの馬鹿だろう。どうしたって連想してしまう。
戸籍は本物。腕も本物。そうなってしまえば烏丸道場は簡単に狛彦を外に放り出せない。どうしたって妙な噂が立ってしまう。
だから高確率で引き取ることになるだろう。
それが恐らくは虎一の狙いだったのだ……と狛彦は考えている。
そうなると狛彦が支えにした『お前の腕なら悪い様にはされんだろ』と言う言葉にも別の深みと苦みが出てくると言うモノだ。「……」。大人って汚い。
そしてそんな汚い大人の一人に負けた結果、狛彦はこの街に、積層都市カワセミに居ることが出来なくなっていた。
あとがき
ストックがあるから暫くは隔日更新するよー。頑張るよー(; ・`д・´)
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