路地裏の王

 別にコマヒコに深い考えは無かった。

 何だか弱ってるな、と思って。お腹が空いていそうだな、と思って。そして自分と同じ髪の色にほんの少しの親近感を抱いた。

 なので要らなくなったけど捨てることが出来なかったネズミ食料をあげることにした。

 それだけだ。

 だから久しぶりの味の付いたソイバーを食べて、薄い毛布の中で丸くなって起きたら男のことはすっかりと忘れていた。

 味の付いたソイバーの美味しさは分かっても、それが何味かも分からない。

 そんなストリートチルドレンにとっては毎日の食事の方が、薄汚れた男なんかよりも、もっとずっと大事なのだ。

 ネズミが食べられそうだったら惜しんだかもしれないが、少しあのネズミは危なかった。なのでコマヒコに未練はない。


「――」


 くぁ、と小さなコマヒコが大きな欠伸を一つ。そうしてからもそもそと寝床のコンテナから顔を出した。

 外での雨が止んだのだろう。天井を奔るパイプから糸の様な雨が落ちることは無く、ぽつぽつと雫が落ちていた。

 天井に吊るされた明かりは消えることなく、下層は何時だって明るさが変わらない。

 時計が読めないコマヒコには朝も昼も夜も無いが、こうしてコマヒコの“今日”は始まった。







 二週間程経つと味の付いたソイバーは無くなってしまった。

 節約すればもう少しもった様な気もするが、空腹は辛い。それにコマヒコは成長の為にカロリーと栄養を必要とする年頃だ。ゴミ漁りで得た食料だけでは満腹にならず、ついついと手を伸ばしてしまうのも仕方がないことだった。

 まぁ、そうなっても別段やることは変わらない。

 その日も折れた刀を片手にコマヒコは縄張りのゴミ捨て場の巡回を始めた。

 晴れているだけあって、出歩く人の数が多い。


「……」


 少し考えた後、人通りの多い道と、静まり返った路地裏を見比べる。うん、と何かを納得する様に頷いたコマヒコは薄暗い路地裏へと足を進めた。

 人の多さは多様性を孕み、多様性は悪意を孕む。ストリートチルドレンや浮浪者相手ならば何をしても良いと思っている者は、確かにいる。

 そう言う相手と揉めるのを嫌った結果だ。

 だが、問題もある。

 天井の明かりが届かない、或いは遮る様に造られた薄暗い路地裏に人気が無いのには理由がある。

 薄暗さは人を大胆にさせる。つまり、治安の悪い下層の中でも、更に治安が悪いのだ。

 それを証明する様に、進行方向の物陰にて薄く気配が動いた。「……」。殺気混じりのソレを感じたコマヒコが、折れた刀に巻きつけていた布を取る。刀身が剥き出しになる。

 僅かな光。受けて鈍く刀が光り、路地裏の緊張感が一段階上がった。その空気の中――


 ――ぐる。


 と、コマヒコが喉を鳴らした。

 犬歯を剥き出しに、据えた匂いの籠る路地裏の空気を唸りで震わせ、握る刀を強くする。

 威嚇だ。その意味を正しく理解したのだろう。人の気配が薄くなった。

 ここは一応、ゴミ漁りに関してとは言え、コマヒコの縄張りだ。

 なので気配の主はこの小動物が狂暴であることを知っていたのかもしれない。

 くして路地裏の小さな王は刀を濡らすこと無く暗がりを進んで行った。







 使用済み工業油を再利用する地球に優しい定食屋の裏。

 コマヒコの縄張りの中でも一番大切なそのゴミ捨て場に辿り着いて直ぐにコマヒコは再び刀を抜くことになった。

 同じ様なストリートチルドレン、同じようなゴミ漁りが三人居たからだ。

 食われた。荒らされた。それならばそのお礼をしなければならない。

 だから――

 と、と軽い一足で持って矢の様に疾駆したコマヒコは警告無しに三人の中の主力と思われる年長の少年の横腹を蹴飛ばした。

 幼い時分の年齢差による身体能力の差は残酷だ。

 十にも満たないコマヒコと、十五に届こうかと言う少年。

 両者の立ち合いが尋常であったのならば、コマヒコの敗北は必定だっただろう。

 だが、その差を個体の性能で呑み込み、コマヒコの蹴りは少年を吹き飛ばした。

 打ちっぱなしのコンクリートに削られる様にして少年が吹き飛ぶ。それを見届け、着地と同時に刀を一振り。

 さ。

 と、あっけに取られていた残りの二人――男の子と女の子の前髪が切られ、遅れて両者の鼻筋に赤い線が引かれる。


「わ、ひっ!」


 遅れて来た痛みに男の子が引き攣った様な悲鳴を上げて尻餅をつく。「……」。そんな彼にコマヒコは言葉の代わりに折れた刀の切っ先を向けた。


「――」


 愛想笑いの様に引き攣った笑顔を貼り付ける少年と、コマヒコの視線が交差すること数瞬。その数秒の逡巡の間、コマヒコが考えていたのは男の子を殺すか、殺さないかということだった。

 他のチームとの揉め事はごめんだ。

 向こうもコマヒコの厄介さは知っているので、同じ気持ちだろう。

 ストリートチルドレンの世界には幾つかラインがある。超えるともう取り返しが付かなくなる程にやり合うしかないラインだ。“殺し”はそのラインの一つだ。だからコマヒコも極力殺しはやらない。やらない様に“生き方”を教えてくれた人に言われているし、経験からもやらない方が良いことを知っている。

 だが、最近縄張りを荒らされることが多くなってきたのも事実だ。

 それを見過ごし、なぁなぁで済ませると言うのもラインの一つだ。

 舐められたら奪われる。

 そう言う世界だ。

 だからコマヒコは殺すことにした。

 同じ位の年齢の子だ。つまり、コマヒコの様な特殊な個体で無い限り、余り戦力には成らない。居なくなれば悲しんだり、怒ったりはあるだろうがそれだけで済むだろう。つまり、殺したとしても、相手のチームは怒っては見せるが、本気にはならない。

 そう判断した。


「――」


 鋭く吐き出された無音の呼気に殺気が絡む。強く握られた刀の柄が、き、と鳴いた。

 コマヒコの琥珀色の目から温度が消える。呼吸が深く、静かに、鋭く尖る。

 “殺す”と決めて“殺す”つもりで斬撃を放った。そうして肉を断つその刹那――


「やめて」


 女の子が割って入った。

 黒髪の女の子だった。

 薄汚れて尚、どこか輝いている様な女の子だった。

 コマヒコの放った横薙ぎの斬撃は彼女の首の横で止まっていた。

 それでも未だにコマヒコの目に温度は戻らず、殺気もまた張っていた。何時でも振り抜ける。何時でも殺せる。そう言う状態と、心を維持している。

 だが、そんな暗がりの住人にすら恐れられるコマヒコの獣性を真正面から叩きつけられて尚、女の子はコマヒコから目を逸らすことは無かった。


「……」


 気丈にこちらを睨みながらも震える細い手足。それを見てコマヒコは刀を下げると顎で立ち去る様に促した。

 アレは切ったら戦争になる。

 なんとなく、コマヒコはそう思ったのだ。







 肉のこびり付いた骨が三本有った。

 コマヒコの好物だ。

 残飯で腹を膨らませたコマヒコはゴミ箱の周りを少し掃除した後、その好物の二本をポケットに捻じ込んで、一本をしゃぶりながら歩きだした。

 店の周りに人の気配が増えて来た。朝なのか、昼なのか、夜なのか。天井につらされた不変の星、ランプの明かりが変わらないので今一判別は付かないが、食事時なのだろう。

 ゴミ漁りを一応は黙認してくれている店主だが、流石に書き入れ時にコマヒコの様な奴がうろつくのは良しとはしてくれない。

 だからコマヒコは人気から遠ざかる様に再び暗がりを選んだ。

 表が活気づけば、静かになるのが暗がりの住人だ。

 だから今、コマヒコの並外れて鋭い五感にもその影は映らなかった。だから、コマヒコは少しだけ弾む様な足取りで歩いていた。そう。人気は無い。光度の変わらない空の下、建物が造り出す永遠の影の世界にはコマヒコしかいない――


「何か、楽しいことでもあったのか?」


 はずだった。

 不意に、声。氷の様に固く冷たいソレの出所から離れる様にコマヒコが飛び退る。

 ――そう、離れたのだ。


「早いな。耳が良いのか?」


 なのに。次の言葉は背後から降る様に落ちて来た。


「――!」


 慌てたコマヒコが反射で四足歩行の体勢で走り出す。怯えながらも、強靭な手足で思い切り地面を蹴り飛ばし、劣化したコンクリートを踏み砕く様にして前へ。


「あぁ、すまんすまん。怖がらせるつもりはないんだ」


 ぎ、とコマヒコが手と足を使って急制動をかける。

 案の定――と言うべきだろうか?

 コマヒコの進む先に声の主は居た。


「――」


 逃げられない。それを悟ったコマヒコの喉が、ぐる、と鳴る。刃に巻いていた布を振って払い、折れた刀身を抜き放つ。

 武器を持ったストリートチルドレン。

 それなり程度には警戒しなければいけない相手だ。

 それでも声の主は――

 氷の様に冷たい声の主は――

 刀を構えるコマヒコを見て、何処か嬉しそうに、何処か聞き覚えのある声音で――


「ほぅ?」


 と声を上げた。












あとがき

この作者の主人公、一話だと全く喋んねぇなぁ……

(昨日これとドラグナーの一話を読んで思ったこと&傷ついて更新が止まるので言ってはいけないこと)




まぁ、二話も喋んないんだけどね!

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