剣客ウルフ
ポチ吉
捨て犬
金が無いなら死んだ方が良い。
それがこの世界が定めた絶対のルールだ。
飢えていた。
渇いていた。
ストリートチルドレンなんてそんなものだ。
だからどこに出しても恥ずかしくないストリートチルドレンであるコマヒコも飢えて、渇いていた。
サイズの合わないボロボロのパーカーで小さな体を包んだコマヒコは琥珀色の瞳を空に――積層都市ウツセミの第四階層の天井に向けた。
「――あ、め」
人と話すことの無い弊害だろう。流れる水を見ていたコマヒコの口が、何処か発音のおかしい『雨』と言う二文字をゆっくりと紡いだ。
破れたパイプから零れ落ちる水の束。積層都市に降る雨は細い滝の様だ。
進化の為に人は空と海と大地を差し出したのだ。
だから、そう、だから――雨に濡れてはいけない。
肌が、或いは髪が溶ける程度で済めばいい。だが変異を起こしてしまう可能性がある。その変異であっても指の数がおかしい手が増える位ならば良いが、
人が世代を超えた様に、世界も世代を超えたのだろう。最早ただの人では雨にすら勝てなくなっていた。
それ故に階層都市の一層から、三層までの『街』に雨は降らない。
雨が降るのは四層よりも下。公的には存在しない下層と呼ばれる場所だけだ。上層に住む市民の為に雨を取り込み、浄化し、生活用水とする。その機構への通り道である下層にだけ雨が降る。外から雨を引き込む為の道であるパイプが四層から下では剥きだしだからだ。
毒の雨は杜撰な管理により破損したパイプから細い滝の様に零れ落ち四層を蹂躙しながら五層、六層へと落ちて行く。
それが積層都市下層の雨だった。
それを見て、コマヒコはもそもそと灰色混じりの黒髪をパーカーのフードで隠した。
何時からか四層に住んでいるコマヒコは“耐性持ち”だ。
皮肉なことに市民ですらない小さな彼は人間と言う種の括りの中では“強者”だった。
四層で子供が生きて行くには雨を飲まなければならない。汚染された雨を少しずつ内側に取り込んで慣らしてきたコマヒコは今更雨に濡れた程度で変異することは無い。
それでも浴びすぎは良くない。単純に体温が奪われることを、体温が奪われれば死ぬことをコマヒコは経験で知っていた。
だが雨は悪いことばかりではない。雨で冷たくなった人の形をしたモノからは物資が奪える。この前の雨の日に手に入れた
「……」
ブロック食糧の味を思い出し、天井のパイプのから滝の様に落ちる雨を見ながらコマヒコは縄張りの見回りをするか、雨をやり過ごすかを少し考えた。お腹が、くぅ、と鳴った。それで結論が出た。
がさごそと音を立て、寝床としているコンテナの中から折れた刀を取り出す。これも何時かの雨の日の戦利品だ。冷たくなった
普通、ストリートチルドレンが好んで使うのは鈍器だ。ナイフ程度なら兎も角、それ以上の刃物は余り好まれない。入手が困難であるし、人を斬るには技術がいる。対して、殴り殺すには重さと硬さが有ればどうにかなるからだ。
コマヒコもそれは理解している。
それでもコマヒコにとってこの折れた刀は宝物だった。
誰に見せるでもなく、コマヒコは取り出した刀を第四階層の太陽、無数の星の様に天井にぶら下がる明かりに翳す。
人の血を吸ったであろう
市民として認められていない。
即ち、人として認められない下層の住人達の間にも当然、格差はある。
一番上はこの薄暗い地下世界に自ら潜ることを選んだ企業だ。
一社まるごと、或いは幾つかの部署だけ。その程度の差はあるが、表側に出すことが出来ない種類の研究などを行う為に望んで潜った彼等こそが間違いなくこの下層の王だった。
その次がそんな彼等の
この辺りまでなら表側に居場所を持って居る者も少なくない。
そしてそこから一気に落ちて『住人』が居る。
彼等は電脳IDが
この辺りまでは未だ『人』としての生活を送れている者が多い。
つまり上層程は健全でないが、下層にも経済の動きはある。王と兵の腹を満たす為の施設を住人が運用している。
そのお零れに預かっているのが住人の下、浮浪者やコマヒコの様なストリートチルドレンだった。電脳IDの色が変わる、変わらない以前に、そもそも電脳化すらされていない彼等は人としてカウントされることすらない。
コマヒコはそんな最下層の括りの中では少しだけマシな位置に居た。
ゴミ漁りと言う意味では差は無いが、コマヒコは縄張りを持って居た。
コマヒコが確保しているのは企業区画では無く、
コマヒコの身体はあまり燃費が良くない。
だから一人で縄張りを持って居るにも関わらず、他のストリートチルドレンと同じ様にいつだって飢えて、渇いている。
燃費が悪いから縄張りを独占しなければならない。
それでもその燃費の悪さの理由が縄張りの独占を許す。
それがコマヒコと言う少年だった。当然、他のストリートチルドレンのチームとは相性は悪い。喧嘩であれば、燃費が悪い“理由”を使ってどうとでも出来るが、探索では数の不利を覆しきれず、コマヒコの縄張りのゴミ山はしょっちゅう他のチームに漁られていた。
この日もそうだった。
主な収入源である定食屋裏。コマヒコがそこに辿り着いた時、既に食べられそうなモノは残って居なかった。
いや。
上層から降りて来たばかりなのだろうか? 足の数も、頭の数も、尾の数すらも正常なお上品なドブネズミが一匹。下層の手荒い歓迎を受けてひっくり返っていた。“下”で生まれた訳でもないのに、“下”の残飯を貪った報いだろう。キィキィと泡を吐き、尻尾をびたんびたんと地面に打ち付けて悶えていた。
「……」
拾って、首の骨を折る。ぴゅぎっ、という甲高い叫びの後にドブネズミの身体から力が抜けて、暴れ狂っていた尻尾が大人しくなる。パーカーの裾でネズミの口の周りの泡を拭ったコマヒコは何となく、そのネズミと視線を合わせて見た。
食料だ。
だが雨の中で火を確保するのは難しい。コマヒコに
下層で生きていける生物はコマヒコ然り、変異したドブネズミ然り、生物としては強靭だ。
それでも食べてはいけないモノは存在している。それを理解する本能と、それを選ばない運を持っているから生きていられるのだ。
例えば企業区画。
それも上層の
上層でも一部の者しか食べられない様な豪奢な社員食堂の残飯は美味い……らしい。そんな噂は聞いているが、下層に押し込められた陰湿な研究者は時に残酷な暇潰しを行う。
残飯に、エサに、或いは笑顔で手渡すチョコレートに、ご丁寧にも彼等の
この間抜けなネズミがソレを理解しているとはコマヒコには思えなかった。
それでも折角取った獲物だ。噴き出していた泡もカラフルなモノでなかったし、火を通せば何とか行けそうな気もする。
くぅくぅと鳴る腹を宥めながら周囲を見渡すコマヒコ。その鼻が不意に匂いを拾う。手の中からする匂いと同じ、だがそれよりも遥かに濃い匂いだ。
錆びた、鉄の匂い。
血の匂い。それも大量の。
ひくひくと鼻を動かして方向を特定する。雨で薄められ、広げられて尚、匂いの出所がはっきりと分かってしまう程の濃さは下層とは言え中々に珍しいモノだった。「……」。何だろ? と小首を傾げるコマヒコ。フードで隠された耳では広範囲の音を拾うことは出来ず、それでも常人よりも鋭いコマヒコの五感が争いの気配がないことを察知した。
折れた刀を片手に、水溜まりを蹴っ飛ばしてそちらに向かう。
小さなコマヒコはまだまだ好奇心に駆られてしまう年頃なのだ。
人気が無いのをいいことに、ぱしゃぱしゃぱしゃ、とリズムを造って剥き出しのコンクリートの地面を蹴り、コマヒコはその場所に辿り着いた。
年相応に、少しだけ楽し気な足取りのコマヒコ。そんな彼を出迎えたのは、予想通り、地面に倒れる人の形をしたモノだった。
「――、」
ひゅっ、とコマヒコの呼吸が細くなり、琥珀色の瞳が素早く落ちたモノの状態を見る。死んでいる。血が出ている。それは分かって居る。どうして血が出たかが大事だ。切り傷があった。つまり毒ガス等を使った殺しではない。それを判断した。
「……」
無言で死体の一つを蹴り飛ばす。
うつ伏せから仰向けに。
伽藍洞を映す男の目に天井のランプが入り込んだ。
そんな男の生身の部分を選んで手の中の刀を差し込む。血はもうあまり出ない。痛みに跳ね上がる様なことも無い。つまり死んでいるし、
カード状のクレジット。名前が刻印されていない誰でも使えるソレを見つける。当たりだ。パーカーのポケットに捻じ込む。
そうして二つ程死体を漁ってからコマヒコは立ち去ることにした。
ここはコマヒコの縄張りではない。
それに
もしかしたら三人目はもっと良いものを持って居るかもしれない……
「……」
そんな未練を首を振って追い出し、コマヒコは路地の暗い方を目指して走り出そうとした。そして、足元のネズミと目が合った。コマヒコが首の骨を折って、ここまで持って来たネズミだ。
正直、既にかなりの稼ぎを得ることが出来た。ブラックマーケットに持って行けば、ソイバーを買えるだろう。それも色んな味の奴を。
――だからもうネズミは要らない様な気もする。
――でも勿体ない様な気もする。
どうしよう?
何を探しているのかも分からないまま、何かを探す様に左右を見渡していたコマヒコが――
跳ねた。
一足一刀の間合い。そう呼ぶにはあまりに広い距離をコマヒコの足が一瞬で造り出す。足が二回りは膨れ上がり、サイズの合っていなかったはずのパーカーがぴったりになる。
瞳。琥珀色の瞳に確かな殺意を乗せて、鼻に皺がより、尖った犬歯を剥き出しに、獣の形相を造り出す。
ぐる、と薄暗い路地裏に、小さなコマヒコには不釣り合いな大きく低い喉鳴りが響いた。
「……」
柔らかく、なめらかに、そして力強く。
獣を思わせる様にゆっくりとコマヒコが暗闇の先を睨みつけながらゆらりと足を運ぶ。
瞳の中のタペタム層で僅かな光を反射させ、増大させる。
そうしてコマヒコは視線の先にあるモノを見た。
男だ。男が居た。
薄汚れていた。血で汚れていた。それでも死体が転がるこの空間で、男は確かに生きていた。恐らくはコマヒコが漁った死体を造ったのはこの男なのだろう。
だがその男は薄汚れて、血で汚れて、ついでに言えば弱ってもいた。
それでも生きていた。生きて、抱きかかえる様にして刀を持って居た。
灰色。
灰色の目。温度の無い氷の様なソレがコマヒコを見る。浮世離れした美しさを持った男だった。整った顔立ちはどこか女性的でありながら、決してその性別を間違えることはない。そんな男だった。
強いのか、弱いのか、分からない。
そう言う匂いの奴が一番厄介だとコマヒコは短い人生の間に何回か死にかけて学んでいた。
目の前の男からはそんな“怖い匂い”がした。
それでもコマヒコは近づいてしまう。
男が弱っていたから? それもある。だが、一番は髪だ。後ろへと撫でつけてオールバックに。そうしてから尻尾の様に後ろで結ばれたその髪。
灰色混じりの黒髪が――
コマヒコと同じ毛色のソレがどうしてもコマヒコを引き付けるのだ。
「……」
それでも最後の一歩は踏まない。
ぴたり。とコマヒコが足を止めたのは男から幾分か離れた場所。きっかりと男の
そんなコマヒコの様子に、刀を抱く男の瞳に少しの好奇心が浮かび「ほぅ?」と感嘆の色を含んだ小さな呟きが漏れた。
コマヒコは知る
その
武にこれまでの生涯を賭して来た。その自負はある。生来の天稟に加えて血の滲む様な鍛錬をこなして
男が漏らした感嘆の吐息はそうして磨いた己の刃圏を測って見せた子供、コマヒコへの素直な賞賛だった。
だが直ぐに感嘆の吐息は小さな笑みに代わる。自嘲の笑みだ。
万全ではない己の身体に思い至ったのだ。
エルフ。
一応、
だが、男にとっては――。
氣を扱い、肉体を強化して戦う
常人と比べて肉体強度が著しく劣るエルフへの変異はこれまでの己の全てを否定されることに等しかった。
……いや、それだけではない。
サイバーウェアやバイオウェアへの換装を行わない限り、
それ故に
そう。
細く、儚く、美しい。
そう称されるエルフは氣への適応率が低い。
肉は弱くなり、氣の扱いも難しくなる。刀を抱く男は積み上げて来た“己”を全て否定された様な気分になっていた。腕利きである彼が一山幾らの三流
氣は心に宿る。それは
「こふ、」
と彼の口から鉄の味の混じった咳が出る。
勁穴で練り上げた氣を奔らせた結果、内側の『肉』が壊れていた。
今直ぐにでも氣を練り上げて癒さなければならない。
それを理解しても、どうにも身体を動かす熱が湧いてこなかった。
――この不様だ。子供にも刃圏を読まれると言うものよ。
今度の自嘲の笑みは殊更に深く刻まれた。
――あぁ、もう。これ以上、不様を晒すくらいであれば死んでしまおうか?
そんな甘い誘惑に浸る彼に――
ぺぃ、とコマヒコがネズミの死骸を投げつけた。
あとがき
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