二幕①

寒い、寒い、寒い。

 両手を温めようと、擦り合わせても、息をふきかけても全然温かくならない。

 はぁ、はぁ、と荒い息が漏れる。

 ここは何処、ここは何処なんだ?

 辺りを見回しても、何も見えない。白い壁が立ちはだかっている。

 でも、足を止めたら余計に危ない。足を止めたらきっと、きっと…

 ドサッ。

 そう思っているのに、体は白い壁に向かって倒れ込んだ。痛くない、ふわりと受け止めてくれる。

 あぁ、もうダメだ。帰り道も分からない。このまま何処に辿り着くかも分からない。

 それならこのまま…このまま、この上でー

「大丈夫?」

 不意に影がさした。残る力を振り絞って顔を向けると、綺麗な女の人が心配そうに顔を覗き込んでいた。

「わ、たし…」

 助けて、と言いたかったのに声は出なかった。



 彼女の朝は早い。

 ふぁ〜と大きな欠伸をしながら伸びをすると、青年がヒラヒラと手を振っていた。

「おはよう。よく眠れた?」

「はは!本気で言ってるのかい?」

 少しだが…寝起きの自分にとってはありったけの怒りを込めて言葉を返すと、彼は晴れやかな笑みを向けてきた。そして、そのムカつく笑みとともに

「俺はよく眠れたから」

 なんて言ってきたのだ。

「キミって奴は…」

 彼女はパシッと青年の肩を叩くと前を向いて歩き出す。やっぱりムカつく男だ。何よりも笑顔がよくない。

「朝から聴き取りか…簡単に済めば楽なのだけれど」

 これから自分達を待ち受けている事を想像して彼女の胃がキリッと痛むのが嫌でもわかった。

 朝一番にやる仕事ではないと常々思っているのだが、背に腹は変えられない。

 そんな様子を見て、青年の笑みは少しだけ陰った。

「俺もそう願ってるよ」

 その言葉に、彼女は心底嫌そうな顔をしたのだった。

 昨今、紅葉狩りというものが流行っているらしいが、この場所にいる者達には無縁だ。

 しかし、彼女達がいるここはその流行りにピッタリなほど木々が鮮やかな色に染め上がっている。

 関東の中心部に立つ西洋風の建物は今日も人々が忙しなく行き来している。

 ここは、人々の生活と安全を守る専門機関【警察隊】の関東支部だ。

 そんな警官服を着た警察隊の中に、一際目立つ服装が。

 彼らが通ると誰もが一度は振り返るが、何も見なかったというように通り過ぎていく。

 黒いケープに、黒い西洋服。全身を黒で纏めあげた彼らは、仲間であるはずの警察隊、ましてや守るべきはずの民にも忌み嫌われている。

 その嫌われ者の一人である【羽々倉彩月ははくらさつき】は、本日二度目の欠伸を噛み殺しながら正面口へと入っていく。

 一週間に渡る長期の潜入任務、内偵調査。

 そしてそして、昨日、大捕物を演じきった彩月は節々が痛むのが嫌でもわかった。

 潜入任務の為、隊服は着れないし、自身の相棒である刀は帯刀できないし。

 受付を素通りして、目的地である取調室へと歩みを進めていると周りにいる人々の視線が集まる。

 みな一様に気味が悪そうに彩月を見つめる。

(相変わらずだなぁ〜)

 八歳の時からの変わらぬ扱いに、彩月は慣れてしまっていた。一々反応するほど若くはない。

 廊下の真ん中を歩きながら彩月の黒いスカートが揺れる。

羅刹隊らせつたいって本当に存在するんですね」

「あぁ。ここにいないと現実味わかないけどな」

「あんなに若い女性がいるなんて…」

 ふとそんな会話が耳に入った。

 警察隊に配属されたばかりの新人なのだろう。

 …そうか、今日は新入りが多いのか。だから視線が集まるわけだ。

 一人合点がいった彩月は少しだけ晴れ晴れした顔をしてしまった。

 そして会話は冒頭に戻る。

 彩月と【雨乃風希あまのしの】は並んで取調室へと入った。

 普通の部屋とは違い、部屋の中央に椅子が置かれ、これから尋問される容疑者が厳重に縛り付けられている。

 その目の前にぽつんと置かれた椅子に彩月は腰掛けた。風希はその後ろに立っている。

「やぁ、おはよう!よく眠れたかい?」

 声をかけると、容疑者である女は彩月を睨みつけた。絶対零度を思わせる視線に、彩月はクスリと笑ってしまう。

 そんな視線を向ける元気があるのなら大丈夫なのだろう。

「私は眠れなかったよ。色々書類をやらないといけなくてね…これだから公務員は辛いよ」

 女は反応しない。ただ彩月と風希を睨んでいる。

「うん、無駄話をする気はないって感じかな

 有り難いねぇ、この間捕まえた奴なんて聞いてもいないのにペラペラ、ペラペラ喋り始め」

「隊長、それが無駄話」

「確かに、風希の言う通りだ」

 はは!と笑い声を上げると女が動く音がした。

 なんとかして椅子から離れようともがいている。

「無理だよ。呪力封じの札は貼ってある。能力はなしだ」

 女はギリっと唇を噛み締める。言われなくても使えないことは目が覚めた時から気づいていた。

「ここが何処かわかるかい?」

「…知らないわよ…っ」

「だろうね。それじゃぁ私達のことは?」

「知らないって言ってるでしょ!!」

 苛立ちをぶつけるように言うが、彩月の表情は変わらない。

「そうか、じゃあ覚えてもらおう。羅刹隊って聞いたことないかな?」

「そんなの知るわけ…あ、」

 ないでしょ、と続けようとした言葉は、何かが記憶に引っかかり出てこなかった。それから、女は思い出したように二人の服装を上から下へと見る。

 黒い西洋服、黒い帽子、刀を帯刀するその姿は。

「良かった。キミはキチンとお父さんやお母さん、大人の話を聞く子供だったようだ」

 羅刹隊、それは小さな頃から聞かされていた存在

 人間のみで構成され、自分たち【妖】を狩る…云わば、敵そのものだ。

「昨日は自己紹介をする暇がなかったから、改めてさせてもらうとしようか

 私は、羅刹隊三番隊隊長 羽々倉彩月。

 後ろに控えてるのは」

「副隊長の雨乃風希です」

 風希は帽子を外すとニッコリと笑った。

「笑ってはいるけど、コイツ、結構イカれてるから安心しないで欲しいね」

「彩月は酷いこと言うなぁ」

 風希の反論を無視して彩月は話を続ける。

「私達は、ここ数ヶ月に起きていた神隠しについて調査していた。

 何人もの女学生が忽然と姿を消すという事件についてだ。」

 風希が一枚の紙を差し出す。そこには、女がよく知る男の顔が載っていた。

「彼が犯行に及んでいることはすぐに分かったのだが、少々調査を要するものでね」

 彩月は女の顔を真っ直ぐに見つめた。

 女の肩がビクッと揺れる。彩月の瞳に光がないように見えたからだ。

「キミが彼と共謀していることが発覚したからさ

 その為、一週間の内偵調査をさせてもらった」

 風希がもう一枚紙を差し出す。彩月はそれを受け取ると、女の眼前に突き出した。

「雪女、細雪。これはキミのことだね?」

 自分と同じ顔が載った紙。細雪は何も言えず固まってしまったが、それも数秒だけだった。

 紙から目を逸らす。

「さぁ?他人の空似じゃない?」

「そうかな?同じ顔してると思ったけれど」

 そう言った彩月を細雪は鼻で笑った。

「同じ顔した奴は世の中に三人はいるって言うでしょ」

「あ〜、確かにそうだ」

 そうだそうだ、と彩月が頷くと風希が苦い顔をした。

「彩月、話がズレてる」

「おっと、危ない危ない。ま、ここに載ってるのがキミだろうが別人だろうがぶっちゃけた話、どうでも良いんだよ

 私達は、雪女を探していたからね」

「なんで?」

 雪女を探していた。同族を探していたという発言に細雪は興味を惹かれたのか問い返す。

 答えたのは風希だった。

「神隠しが起きる半年前から、雪女の目撃情報が増えてまして。

 それに季節外れの雪も」

「雪くらい降ることはあるでしょ」

「えぇ、そうですね。雪くらい降ることはあります。が…ここは関東地方なんですよ」

 天気の乱れにより、季節外れの雪は確かに考えられる。しかし、地方によっての事だ。

 東北地方、日本海側なら暦上秋に雪が降ってたとしても天候の変化で片付けられるが…

 彩月達がいる所は関東…しかも内陸部だ。

 冬でさえ雪が降ることは珍しい。

「それで私達は雪女の行方を探していた。いやぁ、これが中々見つからないものでね」

「俺たちは大雪に慣れてないからね」

「そうさ。それで、何処かにいないかと思っていたら…キミが現れた」

 と微笑みかけられ、細雪はゴクリと喉を鳴らした。

 今から何を聞かれるか分からないが、ロクな質問なわけがない。

 彩月は細雪の反応を見て、気味の悪い笑みを浮かべると問いかけた。

「キミの里は何処だい?」

 にーっと不気味に笑う顔に、細雪の背筋が凍る。

「…なんで、教えなきゃいけないわけ」

「はは!知りたいからさ。いいじゃないか、教えてくれたって。キミは里を抜け出してきたわけだ。里の者達がどうなろうと関係ないだろう?」

 確かに自分は里を抜け出した。

 彼処にいるのが嫌になった訳ではない。

 ただ外の世界を知りたいだけだった。

 それだけの理由で抜け出したのだ。

 けれど、里のみんながどうなろうと関係ないわけがない。

「仮に私が教えたらどうするわけ」

「殺すさ」

「は?」

「え?」

 端的に、発せられた回答に細雪の頭がついていかなかった。

 今、この女はなんて答えた?息をするように、短く、ハッキリと、なんて、答えた?

「妖規法第三条にしっかり明記されている

 人を襲った妖が所属する里は処分される、と」

「は…?何言って」

「おや?ちゃんと話を聞く子供だと思っていたけれど、聞いていなかった感じかな?

 大人に言われなかったかい?」

「そんなこと言われて」

 と言いかけて細雪の頭の中で母親の声が反響する

 ー『外に出るのは別にいい。けれど、貴女の行動一つで里に迷惑がかかることを覚えていなさい』

 里を出る直前に言われた言葉。

 穏やかな母親は、珍しく厳しい表情をしていた。

 外に出たら最後、誰も守ってはくれないと。

「…何かしら心当たりはあるみたいだね」

「…ないわよ」

 細雪はそう言って彩月から視線を外した。

「まぁいいさ。で、里は何処だい?」

 二度目の同じ質問に細雪は答えない。

 絶対に、絶対に教えるものか。今、自分の返答一つで多くの命が消えようとしているのが分からないほど馬鹿ではない。

「こっちも暇じゃないんだ。さっさと教えてくれ」

「言わない。絶対に言わないわ」

 睨みつければ彩月は大きくため息をついた。

「はぁ…穏便に済まそうじゃないか。私だって、手荒なことはしたくない」

「何されようと絶対に言わないわ」

 ピクリと彩月のこめかみが動いたのを風希は見逃さなかった。

 そろそろ彼女の限界が近い。

 起こるべき事象に備えて、風希は僅かに後ろへと下がった。

「もう一度聞く。キミの里は何処だい?」

「だから!言わないって」

 ガッ!!

 細雪の言葉を遮るように、彩月の拳が細雪の頬に撃ち込まれた。

 突然の衝撃に耐えきれず、細雪の意識が軽く飛びそうになる。

 が、その前に前髪を握られ顔を持ち上げられた。

「いっ、、、!」

 痛みに悲鳴を上げ、彩月の顔を見上げると彼女は再び気味の悪い笑みを浮かべていた。

「言わないって選択肢はキミにはない。もう一発、殴られたいかい?」

「そ、そんな事、されても…私はっ」

 ガッ!!

 再び、今度は別の頬に拳が入る。

「里は何処だい?」

「っ!!」

 唇の端から血が流れ落ちる。口内は鉄の味がしている。両頬は熱を持ち始め鈍い痛みが止まらない

 それでも細雪は言わなかった。自分がどうなろうが別にどうだっていい。

 愛しいあの人は殺された。なら、これ以上愛しく思っている人たちを差し出す訳にはいかない。

 言い返そうと彩月の顔を見ると、カチャッと金属音がした。

「へ…」

 視線を下に向けると、刃が自身の首元に添えられている。

「里は何処だい?」

 繰り返される問いに合わせ、徐々にそれが首元へと食い込んでくる。

「ひっ…」

 ー殺される。

 脳内に過ぎる予感。

 細雪の身体はワナワナと死の恐怖で震え始める。

 殺される…殺される、殺される!

「わ、私を殺したら!!里を知れないでしょ!?」

「里は何処だい?」

 彩月は聞こえなかったようにもう一度同じ言葉を繰り返す。

「殺していいの!?」

 この女には何も届かない。細雪は、風希の方へ声をかけた。

 風希は困ったように肩を竦めただけだった。

「里は何処だい?」

 刃の進行は止まらない。

「っあ…」

 痛い、苦しい、息ができない。

 一思いに殺って欲しい、なのにわざとゆっくりと時間をかけて、ジワジワと追い詰めてくる。

「はやく言わないと死んじゃうよ」

 風希の言葉に細雪は…

「紅山の山頂付近よ!!!!!!」

 ピタリと、刃が止まった。

 はぁ、はぁ…と細雪は荒く息を吐く。

 死んでもいいと思っていた、殺されてもいいと思っていた。

 けど、だけど、いざ殺されると思うと本能が拒否をした。死にたくない、死にたくないと身体中が叫んでいる。

 彩月はニコッと笑うと刀を仕舞い、細雪から離れた。

「良い子だ。もっとはやく言ってくれたら良かったけれど」

 まぁ、及第点かな?と言い、部屋の扉へと歩いて行く。

「さ…里のみんなに何するの!?」

 血が滴る首を抑えながら、細雪は大きな声で叫んだ。

 彩月は振り返ることなく片手を上げ

「殺すさ」

 と一言だけ答えた。

「な、んで…なんでよ…っ!里のみんなが何したって言うのよ!!」

 その問いに、彩月は足を止めてクルリと振り返る

 もっと沢山の恨み言を吐いてやろうと、細雪は彩月の顔を見据えたが…何も言えなかった。

 息が止まる。

 だって、彼女は笑うことも悲しむこともない。

 ここにきて初めて、なんの思いも感情もない表情をしていたからだ。

 そして、ゆっくり…

「それが【決まり】だからね」

 と、言ったのだった。

 彩月は扉を開け、部屋を出ていく。

 信じられないものでも見たように項垂れる細雪に、風希は少しだけ同情するように微笑んだ。

「隊長にとって【決まり】は絶対だから」

 そう言って、風希も扉へと歩いて行く。

 出ていく寸前、細雪は小さな声で

「…私は、どうなるの」

 と呟いた。

 風希は「あぁ、言い忘れていた」と振り返り

「貴女は本部の方へ送還。雪女の能力をよく調べたい、と…こんな事言うのはアレだけど

 今死んでた方がマシだったかもね」

 と言い残し、彩月と同様に去って行ったのだった

 自分がこれからどうなってしまうのかを一瞬で悟った彼女は、死の恐怖で震えていた以上の恐怖に耐えきれず、部屋には絶叫する声が木霊した。

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