一幕

 暑苦しいくらい輝く太陽の下、黒いセーラー服を着た一人の少女は興味深そうに向日葵の花を見つめていた。太陽に向かって咲く花を物珍しそうに、食い入るように見つめている。

「そんなに見つめられて花が可哀想」

 人好きのする笑顔を浮かべてそんな事を言いながら、学ランの青年が土手から下りてきた。

「そんな訳ないだろう?向日葵は私に見つめられて光栄のあまり咽び泣いているさ」

「…そうは、見えないけれど」

「なら、キミはまだ向日葵の気持ちを分かりきれていないってことさ」

 そうだろう?と同意を求めるように向日葵へ話しかけると、愛おしそうに葉を撫でた。

 青年は、やれやれと言ったように肩を竦めると、自分達が立っている場所を見回した。どこにでも存在するような田園風景。遠くに見える山々は白い帽子を仲良く被っている。

「雪に向日葵…ね」

 小さく呟くと青年は、少女が触っているよりも小ぶりな向日葵の花を手折るとそれを丁寧に小瓶に仕舞い、提げている鞄に入れた。

 二人は特に会話をする様子もなく、向日葵が咲く畑に佇んでいる。何処かで鳥の声がした時、不意に二人の目の前を白い何かが舞い降りた。

 そっと少女が手のひらを差し出すと、それは手の中に収まる事なく静かに消える。何度やっても捕まえることができない。数回同じことを繰り返していると

「そんなところでなにやってんだ!」

 怒鳴る男性の声がした。

 声に釣られて振り返れば、土手の上で農作業帰りの一人の男が立っている。少女はその人を見ると、パァッと顔を輝かせて駆け寄った。

「嶋さん、昨日ぶりですね」

 笑顔を向けられ、嶋と呼ばれた男は一瞬面食らったが、誰なのかを認識すると肩の力を抜いた。

「なんだ、お前らか…てっきり、畑を荒らす悪ガキかと…」

「嶋さん、こんにちは。仕事帰りですか?」

 言葉を遮るように青年が声をかけると、嶋は頷いた。

「あぁ…ちょっと向こうの畑を見てきたんだ。お前ら、俺の畑でなにしてたんだ?」

「はは、なにもしていないさ。何時ものように寄り道だよ、寄り道」

 少女の言葉に、嶋は大きくため息をついた。

「ったく…雪が降ってるんだから、はやく帰れ」

「雪が降るなんて珍しいですよね、関東の内陸部だと言うのに」

 青年の言葉に、「そうだな」と嶋は短く答えた。

 今、嶋の目の前にいる二人は幼馴染のような関係らしく、一週間前からこの道を使っている。嶋が何時ものように畑へ向かうと、勝手に畑に入り向日葵を触っている二人を見つけたのが知り合うきっかけだった。

 少女の方はサツキ、青年の方はシノと名乗った。珍しい名前に数回聞き返してしまったが、二人は馬鹿にすることなく何度も教えてくれた。随分とハイカラな名前だなっと思ったのは記憶に新しい。

「今日も走って帰るのか?」

 雪が降る中、帰ることを心配していつものように聞くと、シノがサツキの方へ視線を送る。

「あ〜…どうする?サツキ」

 一週間も顔を合わせていると、力関係というものが自ずとわかってしまうのだが、どうやらサツキの方がシノより上らしい。

 何かある度にシノはサツキへと決定権を委ねている。

 サツキはスカートのポケットから古びた懐中時計を取り出して時刻を確認する。

「酉の刻か…」

 そう小さく呟くと、パチンっと懐中時計の蓋を閉じた。

「いつもより遅いから走って帰ると怒られてしまうだろうな」

 特に悲しみも驚きもない顔で言うと、シノが「そうかもしれないね」と言葉を返した。

「厳しい家なのか?」

 二人の様子を見て嶋が尋ねると、シノが返事をする。

「少しだけなんですけど。でもサツキ、帰らない方が怒られるんじゃない?」

「それはそうだ。しかし、今から帰宅するというのもなぁ」

 サツキは顎に手を添えると困った様子を醸し出す。シノは何故か苦笑すると思いついたように手を打った。

「そうだ、雪が降ったから親切な人に泊めてもらったと言おうよ」

「それは名案だ。というわけで嶋さん、満を辞して泊めてもらえないだろうか?」

 パチンっと指を鳴らして言えば、嶋は呆けた顔をしたがすぐに笑みを浮かべた。

「いいぜ。うちはいつでも歓迎してるからな」

 来な、と嶋が背を向けると二人は並んでついていく。雪は異常なほど強くなってきていた。この雪じゃ帰れるはずがない。

 五分ほど歩くと一軒の古びた家屋が顔を出した。今にも雪の重さで屋根が崩れ落ちそうだ。

 嶋は二人の反応を気にすることなく家の引き戸を開けた。

「お邪魔します」

 二人はそう言ってお行儀よく頭を下げて中に入る。囲炉裏の火が冷えた体を暖かく包み込んでくれた。

 サツキは靴を脱ぎながら、二人分の履き物しかないことに気づく。

「二人暮らし、なのかい?」

「俺と女房しかいないさ。家もそんなに広くないしな…裏に物置があるくらいか」

「へぇ?奥様がいるとは。嶋さんも隅に置けないじゃないか」

 サツキが少しだけ揶揄するように言うと、スーッと奥の襖が開き一人の女性が姿を現した。陶器のような白い肌に、女性なら憧れてしまうほどの綺麗な黒髪、頬は少しだけ赤みを帯びている。一言で言えば、美人だ。

 突然の登場に二人は驚いた顔をしたが、一瞬だけ視線を交わした。そのことに嶋と女性は気づいていない。

「雪で帰れなくなったから泊めてやろうと思って」

「そうだったの?大変だったわね」

 彼女が同情するようにサツキへと微笑むとサツキも微笑み返した。

「今から夕餉だったの。ゆっくりしていって」

 そういえば、彼女は奥へと消えていった。サツキはその後ろ姿を消えるまで見つめ続けた。

「奥様のお名前は、なんとおっしゃるんですか?」

 シノが聞くと嶋は照れた様子で

「細雪っていうんだ」

 と答えた。二人は名前を聞いて、もう一度襖のほうへ目をやる。名は体を表すとはこの事を言うのかもしれない。

「何処でお知り合いに?」

「雪山の中でたまたま…って、この話は長くなるからやめだ!」

「聞きたかったのに残念です」

 シノがそう言って笑うと、鍋を持った細雪が襖を開けて戻ってきた。

「二人は苦手なものはないかしら?」

「ないよ」

「ありません。お気遣い有り難うございます」

 二人の返答に細雪はニコッと笑った。

「あら、今時の子にしては珍しいわ。ほら、今の子は好き嫌いが多いって言うでしょ?」

「そうだね。だが、私もシノもなんでも食すことができるよ」

「そうなのね!それはよかったわ」

 細雪はそう言いながら、サツキ、シノ、嶋、自分…へと順番に食べものを分けていき、全員へ器が回ると楽しい食事が始まった。

 昔話やお互いの話などをして半刻ほど過ぎた頃、サツキが眠たそうに瞼を擦った。

「あら?眠くなっちゃった?」

「いや…」

 まだ寝るような時間ではないはずなのに、異様なほどの眠気が襲ってくる。お腹が膨らみ、心地よい温かさに眠くなってしまったとでもいうのだろうか?

 サツキはなんとか眠気を吹き飛ばそうと瞼を擦るが、体は正直なようで船まで漕ぎ始めてしまった。

「そんなに擦ったら目が赤くなるわ。もう寝る時間にしましょう?」

「いや…片付けくらいは…」

 眠さを押し殺して食器を手に立ち上がるが、足元が覚束ない。慌ててシノがサツキを支える。

「いいよサツキ。俺が手伝ってくるから」

「そう…かい…」

 サツキは短く返事すると、シノへ持っていたものを渡し座布団の上に腰を下ろした。

「眠いなら我慢しなくていい。横になれ」

 勧められるがままにその場に横になると、嶋がサツキの上へと布団をかけた。

 お礼を…とサツキは口を開きかけたが、瞼が落ちるのが先だった。

 そんな事を知らないシノは、洗面桶の中に食器を置いた。

「すみません、厠をお借りしてもよろしいでしょうか?」

「大丈夫よ。ここを出て右の廊下をずっと行った突き当たりにあるわ」

 シノはペコリと頭を下げると台所から出ていく。しんっと静まり返った廊下を歩いていると、ふと、何か物音が聞こえる気がした。薄暗い、月の明かりも射さない場所。雪のせいか、生活音しか響いてこないはずなのだが…何か…何かの音がする。

 シノは好奇心につられて、音のする方へゆっくり歩みを進める。

 ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ…

 水滴が滴るような

 くちゃ、くちゃ、くちゃ…

 柔らかいものを食しているような

 土間から離れた一番奥の部屋。

 シノは緊張する手つきで襖へ手をかける。ゆっくりと開けばー

「…これは、」

 そこにいたものを目にした瞬間、ガンッと金属音が響き渡ったのだった。

 一方その頃、土間では囲炉裏の火の温かさの中でスースーッと気持ち良さげな寝息がこぼれていた。

 サツキは嶋がかけてくれた毛布に包まりながら眠っている。その穏やかな表情を見ながら、嶋はサツキに近寄った。

 少しだけ体を揺すってみるが起きる気配はないようだ。それを確認すると、嶋はゆっくりとサツキの上に跨った。

 サツキの首元が露わになっている。嶋はごくりと喉を鳴らすと、もう一度サツキの様子を確認した。やはり、起きる気配はない。

 そして、ゆっくり、ゆっくりとサツキの白く美味しそうな首元に牙を立てー

「はい、現行犯だね」

 たはずだった、はずだったのに。今は自分の体が床に押し付けられ、身動きが取れない。何が起きたかなんて全くわからなかった。

「ーっ!う…っ、あ…っ!」

「乙女の柔肌に傷をつけるなんて…それだけで重罪だよ」

「がっ…!」

 サツキは嶋の首をありったけの力で押さえつけたまま、室内を見回す。

「おや?風希はどこ行ったんだい?」

 バタバタと身を捩りながらなんとか離れようとするのに、サツキの力に逆らえない。この少女の何処からこんな力が…

「風希?」

 二度目の呼びかけ。返事は声ではなく、吹き飛んできた襖だった。弾け飛んだ襖と共に人が転がり込んでくる。

 シノは立ち上がると服についた埃を手で払い、落ちた帽子を被り直した。

 そして、サツキの方を見てギョッとした顔をしてしまった。

「彩月、それ…」

「大丈夫さ、現行犯だ」

「いや…まぁ、いいか。とりあえず、礼状を…」

 礼状、という単語に、サツキは自身のスカートのポケットへ手を突っ込む。

 右手だけでお目当ての物を引っ張り出すのは難しい。

「まぁ待ちなよ…あ、あった」

 ポケットから四つ折りにした白い紙を取り出すと片手で器用にそれを広げた。

 そこに書かれている文書を読み上げようと口を開けた瞬間、サツキはパッと左手を嶋から離し、シノの横へと飛んだ。

 ドサッと嶋が地面に落とされ、見ると、サツキの左手があった辺りに小さな氷の塊がパラパラと落ちている。

「あっぶなぁ、左手が使い物にならなくなるところだったじゃないか」

 そう言って、サツキは氷が飛んできた方へ目を向けた。

 そこには、白い着物を着た美しい女性が鬼のような形相で佇んでいた。

「あたしの旦那に…何してんだ…」

 ブツブツと呟きながら、ゆっくりこちらへ近づいてくる。

 同時に冷たい風が吹き込む。室内だと言うのに雪が舞っていた。

 サツキとシノの息が白く染まって零れる。

「細雪…」

 嶋が立ち上がろうとするが、サツキが頭を足で押さえつける。

「くっ…!」

「お前…ッッ!!」

 今にも飛びかかってきそうな細雪の動きを止めるように、シノが服の中から二丁の拳銃を取り出した。

 二つの銃口が細雪へと向けられる。

「それ以上近づいたら撃つ」

「ーっ」

 明確な殺意に細雪の動きが止まった。動いたら殺られる、この男は引鉄を引くことを躊躇わないであろう。

「さて、と、仕事に取り掛かろうか」

 サツキは手に持っていた紙をこの場の全員に見えるように高く掲げた。

「キミ達二人を妖規法に則り、処分させてもらおう。これは正式な礼状ー」

 パンッ!と一発の銃声が響いた。

 それをキッカケに場が急速に動き出す。

 銃声に気を取られたサツキの足元から嶋が抜け出し、サツキの上へと馬乗りになった。

 シノはこちらへ向かってくる細雪へと応戦する。

「妖規法だぁ…?それがなんだってんだ」

「なにって…決まりなんだが」

 自分がされていたように、嶋はサツキの首を絞めていく。

 苦しそうな顔を見せながらも、サツキの顔には余裕があった。

「お前ら人間が勝手に決めたもんだろうが…!」

「っ…これ、は、キミら妖も噛んで、いるんだが…ね…っ」

「うるせぇ!死ね…死ね、死ねぇ!!!」

 グッとより一層の力が込められ、意識が飛ぶ瞬間

 嶋が勝ち誇ったように笑った。

 …が、一発の銃声と共に後ろへと倒れた。

「かはっ…ゴホゴホ…っ遅い…」

 サツキは起き上がると大きく息を吸う。

 睨むようにシノを見れば、シノは申し訳なさそうに微笑んでいた。

「こっちはこっちで神経つかってるからね」

「はいはい。で?死んでない?」

「中々しぶといものだよ」

 二人の視線の先には、血を流しながらも此方を見据えて立っている女がいた。

 白い雪と滴る赤が、女を綺麗に染め上げている。サツキはその姿を一瞥すると、シノヘ短く声をかけた。

「風希、殺すな」

「了」

 シノはそれに短く返事をすると、細雪へと突っ込んで行った。

 サツキはそれを見送り、地面へ倒れ伏している嶋へと歩み寄る

 額には穴が空いている。シノの撃った銃弾によるもので間違いない。

「…雑魚か。調査通り」

「誰が雑魚だって?」

 嶋は武器も持たずに立っているサツキへと襲いかかろうと起き上がったが

「キミだよ」

 顔を、勢いよく踏み潰された。

「雑魚は雑魚らしく寝ていなよ」

 そう言って興味がなさそうに、嶋の体を蹴り飛ばした。

 興味がなさそう、ではない。サツキにとっては、本当に興味がないのだ。

 人間だろうが人間じゃなかろうが、【決まり】を守らないならこの世に必要がないからだ。

【決まり】は何よりも大切なものだから。

 はぁ、とため息をついて家の外へ出る。

 あの男は外に物置小屋があると言っていた。

 確かにポツンっと家よりも古びた小屋が立っている。サツキはすんっと息を吸うと、顔を顰めた。

 血の匂いが、充満している。

 スカートのポケットに忍ばせていた拳銃を一つ取り出し、物置小屋の扉を押す。

 キィ…と錆びた音が鳴った。

 ゆっくりと足を踏み入れれば…

 ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ、

 くちゃ、くちゃ、くちゃ、

 血の匂い、柔らかいものを食む音、そして

「おかあ、さん?」

 パンッ!!

 サツキは躊躇うことなく銃を放った。

 それ、は嶋のように額に穴を開けて倒れ込む。

 パンッ!パンッ!と三発ほど銃弾を撃ち込むと、倒れたそれを見下ろす。

 この家にいた女のように美しい黒髪。

 違うのは、大きさ。あの女をそのまま小さくしたような存在だった。

 数秒だけ見つめた後、それが食していたものへ目を移す。

 そこには、サツキと同じ制服を着た二人の少女が仲良く手を繋いで横たわっていた。

 お下げ髪の方は、顔の半分が無くなっている。

 短髪の方は、腹を抉られていた。

 二人の顔は涙で濡れている。

「、、、ごめん、間に合わなくて」

 サツキはそう呟いて、そっと瞼を手で下ろした。

 何時だってそう、間に合ったことは片手で数えられる程しかない。

「ごめんね」

 もう一度だけ呟いて、サツキは手を合わせたのだった。

 一方その頃、家の中では激しい戦いが行われていた。シノは軽い身のこなしで細雪の攻撃を避けながら、急所へと銃弾を撃ち込んでいく。

 自身の体力がゆっくりと、けれど確実に削られていくのが嫌でもわかる。

「なんなの…なんなんだよお前ら!!」

「なにって人間だけど」

「そんなこと聞いてるんじゃねぇよ!!」

 細雪が右の手のひらを向けると、そこから出てきた氷柱がシノへと突き刺さっていく。

 シノは銃弾で氷柱の軌道を逸らしながら、細雪へと着実に近づいていく。

「あたしの旦那を殺しておいて…許さない、絶対に許さない…!」

 細雪の言葉に、シノのこめかみがピクリと疼いた

 腹の奥深くでドロドロとした熱が渦巻く。

「絶対に許さなー」

 ドンッ!!

「がはっ!!」

 シノは右足でありったけの力を込めて、細雪の胴体を突き飛ばした。

 壁に打ち付けられ、地面へと転がり落ちた細雪へ駆け寄り、カチャリと銃口を顔面へ向ける。

「アレだけの人間を食っておいて何言ってんだよ」

「っ」

「バケモンまで産んでおいて…お前に、俺たちを糾弾する権利はないだろ」

 銃口は動かない。眉間に冷たい感触が突き刺さる

 細雪はそこから目を逸らせない。逸らしたらきっと…。

「今すぐにでもお前を殺してやりたいよ。けど、上官の命令は絶対だからね」

「は…?」

 ガッッ!と重たい一撃が腹部に入れられる。自身の腹に拳が入れられたと認識する前に細雪の意識は飛んでいた。

 シノは拳銃をポケットへ仕舞うと、意識を失った細雪を持ち上げる。

「はぁ…生け捕り任務は後味悪いなぁ」

 よっこらしょ、と立ち上がりサツキの姿を探す。

 台所の方かと思ったが、顔を潰された男の遺体しか置いていなかった。

 それじゃぁ外か、と行こうとしたが

「お疲れ様、帰るよ」

 サツキは既に玄関の方にいた。

「生存者は?」

「なし。遺体は二つ、埋めておいた」

 そう言ってサツキは背を向ける。手には血に濡れたスカーフが二枚握られていた。

「どうするの?それ」

「親族に届けるよう提出しておいておくれ」

「了解」

 そして、二人はトンっと地面を蹴ると消えた。

 もう二度と、ここに来ることはないだろう。

 何時だって、後味は悪いものだ。

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