第四話 「吹き荒れる吹雪の中に鉄粉が」
異様な光景であった。
斜めに斬られた燃え盛る赤い空が鎮火していく風景をバックに、俺の妹が立つ。
「おにぃ!」
そう聞こえたかと思えば、瞬きする暇もなく目の前に姿があった。
髪型についての知識はゼロに等しいが、ポニーテールとやら、髪を一本で縛り腰まで垂らしていて、胴の何倍かはありそうな巨大な大剣を背負う。露出が多めな戦闘服(オーダーメイドらしい)をこれでもかとばかり見せびらかし、まるっこい赤い瞳をぱちぱちさせている。
安直に言うならば、「雑誌の表紙の人」だ。美貌も少なからず影響しているが、何といっても「オーラ」が凄い。視覚的に捉えることが出来ないので説明のしようが無いが、覇気を感じる。恐らく鋭利な刃を輝かせる大剣抜きでも、十分畏怖を感じる。
「おにぃぃぃ!いやー久しぶり!」
いきなり空中で抱き着いてくるものだから、戦闘服の背部に取り付けられたスラスターから爆発音がする。まあいいか。
「……久しぶり」
久しぶりと言えど、任務のため東京からベルリンに行っていたホノカと離れていた期間は四日前後、一週間にも満たない。が、ここまで強く体を拘束されてしまえば「久しぶりじゃないだろ」と動く口も動かない。
「はぅ……」
「ちょ、いい加減離れろよ」
「なんで?」
「何でなんでなの……あれ?」
何言ってるか自分でもよく分からなくなりながら、撫でろとばかりに顔を近づけてくるのでしょうがなく撫でる。こんだけ長い髪をぶら下げているが、髪質は本当にサラサラだ。なんのコンディショナーを使ったらこうなるか分からないほど、きめ細やかな髪束は触っていて気持ちがよい。
「ったく、もう十六なんだしこんなことしてもらうなよ。あと身長同じだからな。今さっきから屈んで小さいアピールしてるけど俺と変わらないからなおい170cm」
「なっ、身長ディスり、軽い発言ダメです」
その赤い瞳で睨まれれば撤回する他無い。彼女にとって、171cmの高身長はコンプレックスらしい。理由は「幼さ大事」を達成できないかららしい。俺は、背の高い方が良いと思うのだが。
「ごめんごめん。……っと、南極、行くか。」
「……うん」
ごぉぉぉと、推進力増強シューズの噴き出す青白い光が輝く。
大陸間超音速航路パイプの破損を本部に知らせると、推進力増強シューズのダイヤルを100xに設定して、加速し始めた。
〈推進力増強シューズ・抵抗シールドを展開〉〈速度制限を320km/hに設定〉
「はぁ、もう少し支部寄りで出現してくれたらよかったのになぁ」
長くなってしまった道のりに落胆しながら、制限速度ギリギリまで速度を上げる。
苛立ちが隠しきれずに、シューズの側面につけられた物理ダイヤルの値を1000xまで捻ろうかと思ったが、隣をついてくるホノカが話を被せた。
「ふふ、私が鯱に気づいたのはおにぃより少し先だったから、先に手に掛けておこうかなって思ってたんだけど補修工事で強硬化されたパイプが大剣じゃ破けなくて」
「それで?」
「爆破したの」
「……GPS強制停止しとけ」
俺は1000xのダイヤルをはじけ飛ぶほどの強さで捻ると、急加速した。
隣に並ぶ爆弾と、報告を受けガチギレしてそうなアカリから逃げるように。
〈南極支部・一番線ゲート〉
南極支部。
ハーモニアが設立されてから二年後に建造された、南極の巨大な施設だ。だから要するに、築十四年のボロ基地だということ。
ボロ基地、確かに壁や柱は年季を感じさせる錆だらけ。唯一きれいなのは最近交換されたのであろう天井の蛍光灯だけ。それでも、十四年間も〈アルミス〉との最前線を耐えきったこの施設、基地の耐久性は安いものではない。
半径四キロに渡る敷地面積のおおよそ二割方を占めるのは、〈極点ゲート〉。ここの施設の建造目的に関わり、ハーモニアの最終防衛線である建造物だ。
地下数千メートルに位置する〈極点ゲート〉は本拠地と直接繋がっているとされる南極に設置された、地下と地上を阻むゲートである。
厳重な警戒態勢に置かれるそれは、人類史上最も強固で、かつ人類が出せる限界の技術力を以て作り上げた、と言われている。素人の俺が見た感じでっかいマンホールのようにしか見えなかったのだが、それは人類最強の防御壁らしい。
――人類最硬の防御壁であってほしい。
〈[S2][S3]入場許可〉〈離着陸記録保存中〉
『――聞いたわよ……! オーストラリア近くのパイプ壊したんでしょ!』
「おい」
「おにぃだって穴開けたじゃん」
『どっちもどっちよ! あぁぁぁぁぁ本部長がぁぁぁ』
スマホのスピーカが音割れするほど響かせる相手はいろいろな感情に揺らいでいるに違いない。
大陸間超音速航路パイプ乗り場、一番線ゲートの改札を組織証カードを翳して通り抜けた後、掛かってきた電話の大一声が「聞いたわよ……!」だ。
通話終了のボタンを押せば今後恐らく通知が鳴りやまないこととなるので、ミュートにして低間隔ごと「はい」を刻んでいくことにする。
「はい」
「はい」
「はい」
「はい」――プツッ。
しまった。
もう、掛かってくることは無かった。
〈南極支部・エントランス〉
その最終防衛線とやらは、田舎の命であるイ〇ンの内部構造のように、そして(東京の)大手町駅のように無駄に複雑な作りであった。〈スターリット・スカイ〉でトンネルぶち空けたい、と思うほどに。実際使いかけてしまったのがこれまで三回だが、その度に飛んでくる清掃兼警備人型ロボットが(腕をへし折って)止めてくれるので大丈夫だ。
「あ、アヤノ!」
「――ホノカ先輩⁉」
エントランスに聳える噴水は、東京支部のものと比べるとサイズは劣るものの、四角形や三角形など様々な図形の造形美がこれでもかと盛り込まれた、美しいものであった。それぞれの立体図形の縁から溢れる水はこれまた綺麗な薄青色で、じゃー、みたいにただ流れるだけでなく、ぽたっ、ぽたっ、と水滴を強調している。
その美しい噴水の近くのベンチに座っていた、桃色髪の少女に気づいたホノカはすたすたとそちらへ駆けて行ってしまうので、俺もやむなくついていく。
アヤノ、俺はその少女の名前を知らない。ホノカとの話しぶりを見る限り、彼女の所属先であるベルリン支部の同僚だろうか。
俺とは違って社交性豊かな彼女に仲の良い奴が出来るのは当たり前だが、何か自分が劣っているように見えて勝手に虚しくなっていた。
「――あ、でこの人が私の兄、ライだよ」
段々と薄れて言った聴覚器官が再復活をしてきたころ、ホノカの、俺を紹介する言葉が聞こえてきた。
「ななな、ら、ライさん⁉あの、〈天武〉第二位の……!」
桃色髪にくりっとした桃色の双眸。高すぎるホノカの身長と比べると遥かに短めの身長。背負った片手剣はとても曲がっており、両刃である自分の片手剣と比べると片方の威力を強めた片刃の鋭さが透いて見える。ショートカットの桃色髪は非常にスポーティで、どこか涼しげな雰囲気が漂う。ホノカのように露出狂ではないが、それでも肩は空き、非常に短めのズボン、組織服を着用している。そして、
瞳はえぐいほど星印に輝いていた。そのいやらしい目つきが刺さるのは勿論、俺の姿。
あれ。
「いやー、ライさん組織内ニュースとかホノカ先輩の動画とかでしか見たことなくて!いざ現物を見るとなると何か感慨深いものがありますね~!」
「……美術品か何かなのか俺は」
あれ、こいつ、マジのえぐい奴?
最終的にスマホのカメラで全身パシャパシャ撮られ放題。しかもポケットとかいろんなところ触られ放題。ホノカにアイコンタクトで「こいつどけろ」と送る決断を早くしておけばよかった。
「で、アヤノ、だっけ? ベルリン所属?」
エントランスの真ん中、シンボルであろう噴水の目の前で一人の少女を簀巻きにする男女。字面では完全に新聞の一面に載っているタイトルだ。
「はい! ホノカ先輩と同じベルリン所属です」
「初対面の男のいろんなとこ触んな。あと写真全部消せ俺の」
「なっ、動画で見たライさんと違います! こんな辛辣じゃありません!」
「お前その姿で変質者とかもったいなすぎだろ」
「……あっ、少しオブラートに包んだ言い方をしました。やっぱり優しいんですね!」
「初対面で人の優しさを確認するな。あとお前の場合薬包紙な、汚いぞ薬包紙」
「せめてろ紙にしてくださいよ~」と訳の分からないことを口走る簀巻きアヤノを放っておき、俺はすたすたその場を去ろうとした。
その時、
「あ、私、まだ派閥入りしてないです」
なんて、アヤノが言う。
一秒、しっかりと硬直した。そして一秒、〈推進力増強シューズ〉の限界圧縮加速機能を使い、すたすた歩いたその距離を一秒足らずで巻き戻る。
「〈水〉派閥はあなたを最高級のおもてなしでお出迎え致します。アヤノ様」
俺は片膝を大理石の床にしっかりと付けると、簀巻きを解除されたアヤノに誠意を込める。
〈天武〉。その位を冠する者は世界中に八人。彼らは一人ずつ、その最上級階級を背負えるほどの実力を備える。彼らにはその実力に等しい、権力も持っている。例えば、超音速航路パイプの優先使用権、組織内施設利用購入料割引権など、実用性に長けたものが多い。ただ、その位、そして権利を持つ代わり、ある一つの〈役目〉をこなさなければならない。
それは、〈派閥〉の運営。
〈派閥〉とは、ハーモニア内で開発された、通称、〈ソース〉の属性により分けられたグループだ。例えば〈水〉派閥は俺がトップを務める派閥。〈炎〉派閥だったらホノカがトップを務める派閥だ。
派閥は、主に未解明の〈ソース〉の完全解明と、それに関する知識の共有、研究をするために作られている。同属性であると見聞が絞られ、未解明を解明にすることが出来るから、らしい。
〈ハーモニア〉に新しく加入した新米組織員には、〈派閥〉へ必ず加入しなければならない。どの派閥に入るかによって、自分の個性になる〈属性〉が定められるのだ。勿論定員もあり、先月は〈岩〉派閥や〈風〉派閥が定員MAXで加入停止を発表していた。人員が多いことに越したことはないのだが、流石に過多だと統率性に問題が生じる。
だが逆に、
人員が少ないことには、悩まされる。
「私の方が!……なんとご加入いただければC-4に百八十箱、贈呈致します」
がっ、しっかり大理石に穴が開くほど、隣でホノカが俺と全く同じ態勢となる。
そして、
――きぃぃぃぃぃぃ!!!!!!
周りから「うぉぉ」とどよめきが起こる。俺は片手剣を秒も立たず出し、ホノカの首めがけて振ったからだ。するとホノカも大剣を繊細に操り、デカい刀身で俺の静かな重撃を受け止めてみせる。バンッッ、という重厚な衝撃波が辺りに走り、俺の跪いた膝元から大理石にヒビが生えていく。
「なぁホノカ。いくら人がいないからって、物品で新規加入者を誘うのはよくないんじゃないか~?」
「あはは、おにぃ何言ってんの~。ブーメランブーメラン、あはは」
「……ブーメラン……?」
「あ、あれ? ライさん? ホノカ先輩?」
「あはは……いくら妹だからって容赦しねぇぞ」
俺は片手剣の柄を持つ、右手に力を入れ、自分の三倍は大きさのある大剣で応戦しているホノカを廊下の壁に吹き飛ばした。
「はぁ」
そう微かに聞こえた瞬間、煙の中からホノカが飛び出してくる。重量がかなりあるはずの大剣も片手で持ち上げ、俺の片手剣をそのパワーで弾こうと全力で振ってくる。
流石にその刃の大きさ、そして勢いで分が悪い俺はホノカの強攻撃を左に受け流すと右足を高く上げ、ホノカの右脇腹に思いっきりぶつける。鈍い音を立てながら、ホノカは横へぶっ飛んでいった。
「……〈水〉派閥に加入いただけたら嬉しい限りです」
「あわわ……」
アヤノは手をぱたぱたさせながら、煙を立ててダウンしているホノカと、頭を下げている俺に困惑する。しかし、俺は力づくで抵抗して頭を上げない。絶対上げるもんか。
「私はアヤノ様にご加入いただきたく存じます」
人員不足。
そう書かれた黄紙は、もう二回も本部から送られてきた。次は赤紙。
そりゃ、俺も必死になる。
俺は少しばかり、頭を上げて、目の前の桃色の瞳の少女に訴えた。
「あっ……」
「あっ、ごめん」
少しばかり見つめすぎてしまった。俺は元の正しい距離感に持ち直すと、俺は一瞬で近くから机と椅子を引っ張ってきた。アヤノと向かい側になるように座った。俺はそのままどこからか取り出した「ソース変更の手続き書」と「〈水〉派閥加入申請書」を取り出して、アヤノの目の前に置いた。
「こちらに記入をお願いします」
「私は……別にいいですよ」
俺はそっと、自分の持っている中で一番高級なペン(九十三万円)をまたどこからか取り出すと、そっと、紙面に被せて置いた――。
――置いた瞬間、俺は側頭部を大剣のぶっとい刀身で強打され、椅子から転げ落ちた。
俺が地面に横たわると同時に、俺が座っていた椅子に腰かけたホノカは、それまたどこからか取り出した「ソース変更の手続き書」と、「〈炎〉派閥加入申請書」を俺の紙を吹き飛ばして置いた。
「〈炎〉派閥はあなたを最高級のおもてなしでお出迎え致します。アヤノ様」
「いやです」
廊下で水と炎が激突し、年季の感じられる壁や床にどんどんヒビが入っていく。
正直よくないなと思っていたものの、容赦なく振り下ろしてくる大剣を流すために、ついつい〈技〉を使ってしまった。
「「ふわッ」」
突如、ごぉっ、と爆炎を散らかしていた赤い刀身の見かけによらない素早い斬撃が音もなく停止する。ゼロコンマに満たない時間の後で、俺の後頭部に痛烈な痛みが走る。戦闘員最上級階級の座に座る者たちの、情けない断末魔が、廊下に響き渡った。
第五話「鋼と炎と水」
うっすらと、視界が晴れる。後頭部に鈍い痛みを感じながら、俺は背を起こした。
左腕の上部に浮き上がる空中投影ディスプレイには〈南極支部〉と書かれていたので、どこかに誘拐されたというわけで無いのだろう。というか背中に鋭利な剣背負った青と黄のオッドアイ非人間と、自分よりデカい大剣背負った怪力髪長核爆弾を誘拐する奴なんてこの世にアカリ、たった一人しかいない。でそのたった一人は、今東京支部でコンソメポテチを貪り食い荒らしているはず。そしてポテチ棚から在庫が切れ、部下をこき使っているはずだ。
だから、誘拐されてない。
しかし、周りの景色は、如何にも誘拐された雰囲気を醸し出す、一面灰色のコンクリ壁。殺風景で、あるものと言えば金属製の棚と、あと机。暗い部屋に唯一の光源として存在するデスクライトは、何年製のものだろうか、使い古されて明滅している。
隣には赤髪の少女が倒れており、一瞬だけ「死んじまったかおい」と思ったが、ハーモニア戦力第三位の彼女が死ぬなんてあり得ない事実だと思ったし、「おにぃの若白髪は計二十三本」なんて呻きやがるので生きていることに確証を持てた。
「ってか、どこだここ」
本当に、この光景は十六年の短く厚い経験上、一回も目にしたことは無い。
いや、一回も目にしたことは無く、無い。どこかで見たことがあるのだ。記憶の奥底の大書庫にて本を盛大に荒らし、断片的なものから、しっかりと焼き付いた記憶まで。
〈南極支部〉……。
〈南極支部〉……。
〈南極支部・支部長室〉……。
……⁉
〈南極支部・支部長室〉
殺風景ルームにこつ、こつと足音が甲高く響く。
そしてだいたい三十秒後、足音がぴたりと止む。そして、低く芯の入った太い声が聞こえてきた。
「……騒ぐな。エントランスで」
この部屋は目測14m×14mの広めの部屋だ。しかし前面コンクリに囲まれているのでその声はよく響く。「はっ⁉」なんて声を上げながら、ホノカが一瞬で起き上がる。
この声は聞き覚えがある。
小さい頃、両親を亡くした俺とホノカを引き取った、ある一人の人物の声にかなり似ていた。
「……まぁ、おかげですぐ見つかったわけだが」
暗闇から影を現すのは、軽く身長は190cmを超えそうな、巨躯の人物。灰色のラインが入る組織服のズボンのベルトに、輝く灰色の光。
「テツオ!」
鐵鉄雄(くろがね てつお)。部屋の壁の色と遜色ない髪色をして、さっぱり切っている。灰色の瞳は無気力さを感じさせるが、それの反面、顔は三十代にしては若い端正な顔。濃い眉毛は何か一つの大きな目的を何があっても突き通そうとする太い芯を持った男であることを証明する。灰色に染まった本を片手に持ち、そして灰色の組織服のポケットにも灰色の本が隙間なく突き刺さっている。彼は、剣は所持していない。ハーモニアの戦闘員なのに。だが、その男の発するすざまじいオーラは俺の軽い剣気をいとも容易く吹き飛ばす。
「――テツオさん、ご無沙汰してます」
〈ハーモニア〉全八つの支部のうちの一つ、最古の〈南極支部〉。そこの全権、トップの位に立つ、支部長。
〈HalOS ver12.7 [Z]Tetuo_Kurogane[M]〉
「フフッ、更に水色に近くなってきたな、その瞳も……その髪も。ホノカ君は相変わらず、真っ赤なお嬢様だ」
「もう、語り口がおじさんですよ? まだ三十一なのに」
低くて響くボイスに合わせて、灰色の髪と見れば、もう六十後半のおじいさんと見ても別に良いのではないかと思えてくる。さらに彼の着こなしの地味さは、更にその若さを盛大に消し去ることとなっている。勿論、スーツ型の戦闘服をきっかり着こなしている点は清潔感があってとても良いが、それで本を片手に構え、更にそれを空中に浮かしている時点で脳内は混乱する。
暗いところに長時間いると、瞳はそれに順応する。特に「照明」と言えるオブジェクトが一つしかないこの部屋でも、壁の輪郭がぼやけて見える程度にはなった。壁掛けの絵画の一つも無いこの部屋の主は、シンプルを突き詰めたミニマリストだ。
ひんやりとした肌触りから、壁、それに加え床、天井はすべてコンクリートであると分かる。声がよく反響するのも、コンクリートである証拠だ。しかし窓一つとして無いのは流石に換気とかどうなのかと思ってしまうが、ちゃっかり灰色の布を被った、換気機能付きのエアコンが静かに稼働していたのを見て安心した。
ホノカは部屋の端でこの部屋の耐久力を試していた。右手から青白い炎を出したかと思えば、それを部屋の壁に直接翳したのだ。ホノカの超高熱はコンクリの熱に耐えられず溶かされてしまったが、中から錆びれた金属のような鉄板が見えると、流石、と驚嘆していた。
テツオは、部屋の中央にひっそりと佇む、大きめのデスクの後ろに置いた、これまた灰色の塗装がされた簡素な椅子に腰かけ、何かの書類を眺め始めた。そしてその書類を持ち立ち上がると、今度は俺とホノカのその資料を渡した。
「早速だが、君たちには任務をこなしてもらいたい」
「たぶんそのために来てるんですから。内容は分かりませんけど」
「……あれ、送らなかったか?」
「支部長の印鑑やサインも無く、そして詳細も書かれていない白紙に近い派遣要請書(緊急)だったんですけど。で様子見を兼ねて来ました。アカリ支部長の出した推定任務要項も把握済みです。任務あるんだったらやってきます」
「……あれ、」
「あ、FAXの使い方講座を開けばいいですか?」
あっ、
そうだった。目の前の男は。
壊滅的に機械音痴だった。
〈ハーモニア南極支部・第二訓練場・遠距離狙撃ボックス〉
「……貸し切りだ、好きなだけやりたまえ」
凍て刺す吹雪が舞いながら、俺は遠距離狙撃ボックスに立つ。
本来ならば、ここは飛び道具を主武器とする戦闘員たちの専用ボックスである。壁にはイヤーマフが掛けられており、ボックスから見て遠く先の方向には、小さく的が縁を輝かせる。
勿論、任務内容を適切に書き込まなかったテツオの謝罪の意で、俺たち近接戦闘員は立ち入りが制限されている銃火器訓練場に入らせてもらった。俺とホノカにこなしてほしい緊急の任務があったのは確かだが、どうやらFAXで派遣書のテンプレートデータを東京支部に送ってしまったらしい。今、テツオは本部に正式な問い合わせと、正式な任務要請書の作成を行っている。
俺は片手剣を使う近距離戦闘型なので、この練習場とは無縁の存在なのだが、俺も銃火器が使えないわけでは無い。
借りてきた巨大な対物ライフルを地面に置き固定する。1500m飛ぶ優秀な対物ライフルである。
使えないわけでは無いと言ったが、手足のように使う戦闘員のように手早く操作できるかと言われればそうでもない。覚束ない手つきながらも、ようやく一発発射することができた。
「相変わらず、ライフルは苦手か?」
的を光学で捉えてみれば、それはそれは綺麗に外していた。
「スターリット・スカイ」
〈アクチュエート〉
的は勿論、奥に聳える氷山ごと消し飛ばすと、遠距離狙撃ボックスのドアを開け、外に出た。連絡通路の隅に置かれたベンチに座ったテツオに、
「……〈ソース〉の力が適用されにくいライフルなんて、武器じゃないです」
そう、吐き捨てた。
「コア・フィージョン」
特殊装甲を纏っている故に、片手では開けることの出来ない重厚な扉を開くと同時に、奥からホノカのよく透き通った声が響く。
〈南極支部・第一訓練場・屋外〉
「訓練場」の看板を戸に引っ掛けておきながら、目の前に広がるのはただ広い広大な土地であった。一応縦十四メートル超ある巨大な檻に囲まれているものの、それでも閉鎖的な空間でないことは確かだ。俺とは違い、どうやらこの施設を貸し切りにしなかったホノカには何かの意図があるのだろうか。
そこまで遅れずして、俺の入ってきた戸を片手で開けたテツオが、「もうそろそろ任務について話させてくれ」と言ってきた。
「何ですか?」
プラスチック製の、背もたれ付きベンチに座りながら、口数の少ない支部長と会話をする。
「貰ったおはぎ、食べたよ」
「もう食べきったの⁉」
そんなタイミング、一度も無かったのにな、と思うも、余分な肉の無い彼の頬に黄な粉がついていたことを見れば、確かに食べたのだろう。
「アカリ君も、わざわざ選んでくれなくてもいいのにな」
「選んで、って、羊羹がよかったんすか?」
するとテツオは、ふっ、と笑ってみせた。
「あれは、アカリがこの組織に加入した始めのころ、私が祝いとして渡したおはぎなんだよ。その頃は『今時これですか』と呆れられたものだったがね」
「へぇ~」
そんなエピソードが、と驚くと、そんなことより、とテツオは一枚の紙を出す。
「今さっき私にした質問の回答だ。『任務内容』だったね」
テツオが俺に渡してきた紙は、『任務内容』と書かれた紙であった。
「って、俺が知りたいのはそれに加えた詳細な情報ですよ」
「だから口頭で話す」
「プリントアウトくらいしてきてくださいよ」
「無理だ」
「一台五十万するプリンタ持ってるくせに勿体ないですよ」
直後、遠くで何かが輝くと、途轍もない爆音とともに衝撃波が押し寄せてきた。
「奴、ここ吹き飛ばす気か」
「指パッチンで大陸くらい吹き飛ばせます。ホノカなら」
テツオが顎を触りながら、ホノカの尋常でない破壊力に感嘆している。
「……こなしてもらうのは、ここ南極支部本部棟から約六キロ前後離れた巨大な亀裂内部での、行方不明者の救出だ」
爆風が収まった後、吹き付ける吹雪さえ吹き飛ばして、黒煙を天高く上げるホノカの〈技〉をバックに、テツオは暗い顔をして俺に話した。
「……亀裂に転落し行方不明の、一人の、少女を助けてもらいたい」
それを言うと同時に、〈ハーモニア〉のロゴが映る大きめのタブレットをひょいと取り出すと、どこかの定点カメラの映像を流し始めた。目の前には縦に裂けた、巨大な亀裂が映っており、画面の端から、淡い青色の、長い髪の少女が現れる。構えた片手剣は震え、その切っ先は少女の喉元のすぐ前で停止していた。三秒と少し、そのまま硬直していたが、やがて亀裂に背を向け、そして亀裂に向かって数歩ずつ歩み始めた。澄んだ刃の切っ先は喉元を掻き切ろうとぶるぶる震えている。やがて彼女のかかとと、崖の端の隙間が消えたころ、
――少女は転落した。黒く疼く巨大な深淵へと。
「……」
自殺。今の動画を見る限り、考えられるのはそれだけだ。
アカリから貰った〈推定作戦要項〉に記されている亀裂の大きさは半径五百メートル、深さ不
明だ。この動画を定点カメラから引っ張ってきたのが2046年5月27日。例え記録日が同じで
あっても、一日も経ってしまっている。生存確率は限りなくゼロに近い。
「投身自殺、ですよね」
「その可能性は低い」
「え?」
いきなりテツオが否定するので、俺は素っ頓狂な声を上げてしまう。今の動画を見れば、自殺以外には、
「考えられないですよ。他殺であれば、〈推進力増強シューズ〉でもなんでも、自ら浮き上がれる術を持っているはずです」
「いや」
灰色の髭をいじりながら、テツオは言う。
「何者かに、その身を突き落とされた。そして当時、〈推進力増強シューズ〉の装備はしていなかったことが確認された」
動画を見返す。
確かに、その身を投じる際、押されたりはしていない。だから他殺だと考えにくい、ただの投身自殺だと思っていた。しかし、低解像度の定点カメラの映像でも分かるほどはっきり映る、彼女の構えた片手剣の刀身の震え。自らの喉元を掻き切ろうと輝かせる剣は、どうも意図してそう動いているとは思えない。そして、飛行を行うための〈推進力増強シューズ〉は見えず、スラスターのついた戦闘服すら着ていない。
「名前はなんて」
「名前は涼風氷彗、〈ソース〉は氷、だ」
「年齢は?」
「十四」
「もう、生存していないかもしれない」
〈HalOS〉を空中に三画面展開し、東京支部から支給品を要請する。
遠くで大剣を振り回し〈技〉の練習をしていたホノカを呼び、自分が履いた〈推進力増強シューズ〉の簡易メンテナンスを行う。
「一応、行きますけど」
「生きていないかもしれない」ではない。
絶対に、「生きていない」。
貫通型レーダを使用しても信号が跳ね返ってこずロストするほどの深さの亀裂に、何かに引っかからなければ永遠と落下していく。浮き上がるための〈推進力増強シューズ〉も履いてなければ、戦闘服すら着ていない。彼女の装着している〈氷〉ソースには足場を作る技がソースの中で唯一存在しないし、また〈氷〉ソースの性質上、落下を防ぐ技もない。彼女が落下中に出来ることは少しでも軌道をずらして壁に体をめり込ませるか、もしくは剣で壁を掴むか。何か対象が無いと発動の出来ない〈氷〉ソースには、それくらいしか対処法が無い。
「もう行くのか?」
テツオのその発言で、俺は確信した。テツオも、もう生きていないと思っている。また、落下してから一日後に要請を送るのも、もう助ける気はみじんも無いのだろう。
「……」
俺は答えなかった。ホノカが隣に着地すると、指で「ついてきて」と言い、訓練場をあとにした。
もしかして……。
色々な可能性を一度に考えた。
そして、直ぐ諦めた。
雪が降っていた。掴んでみれば、それは鉄粉だった。
「……」
俺は唇を、強く噛み締めた。
〈二千四十六年・五月二十八日〉
〈スタードロッププロジェクト〉
〈発動〉
「よし、こっちはOKだ、シヴィル」
「よくやった。もういいぞ」
〈南極支部〉〈中央棟地下二階・旧電信室〉
薄暗闇の中で、男どもが四人、古めかしい機械をがたがた操りながら、タブレットの映像を横目で捉えていた。
「ったく、狭ぇなこの部屋! 臭ぇしよぉ」
「くせぇのはシヴィルが屁こきやがったからだぞ」
「ふっ、畳と腐ったミカンを混ぜたような匂いだぜ」
「嗅いだことあんのか?」
これでもかとタブレットの側面にはステッカーが貼られている。そしてこちらが捉えている画面にも、ヒビが生えている。
さぞ扱いが雑なシヴィルは、それを気にしない。そしてその仲間も。
真っ黒な髪をバッサリと切った、ひょろひょろの薄汚い男だ。骨が浮かんでしまうほどやせた手と指は、QWERTYキーボードを高速入力するせいで簡単に折れてしまいそうだ。
「支部長もちょろいもんだなぁ! あ、違うか、シヴィルの神プログラムがクソぼろHalOSに余裕勝ちしたからか! ギャーッハッハッハッハ!!!」
タブレットは、南極支部内の定点カメラをハックして手に入れた動画が流れている。ターゲットが二人、部屋のドアを閉じて出ていく姿が、今映った。
「まぁな」
シヴィルは初めて声を出した。そして忙しなく動かしていた自分の手を止め、後ろを流れる配管に凭れる。
「おい、スタードロップ計画って、誰が考えた」
「俺だ!」
「……いいな。気に入った」
星落とし。
本日を以て、実行する。
「「「フヒヒヒ」」」
シヴィルはポケットから取り出した〈天武〉第二位のバッチを取り出し、
それを割った。
あの空は、いつになく水色に染まっていた。 凛 @Lin_s
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