第2話 ちょっとしたアリスの事情

 おばあちゃんは慣れた手つきで小さな籠を後ろから前に出す。色々なメーカーの菓子がてんこもり。


「最初に隠してた事を謝っておくよ」


 おばあちゃんが言った「隠してた」と「謝る」はどういうことだろ。


「少し複雑な事情があってね。あんたが通ってる学校、富津野高校に厄介な代物があるんだよ」


 それだけで察した。「怪しいと思ったら、国際魔法保護委員会に連絡」というポスターを思い浮かべる。魔女たちが作ったと言われている物が高校にあるようだ。富津野は昭和初期からあると聞いているから、ああいった物があるのは理解出来る。


「ギリギリまで部活してる生徒から目撃があるんだよ。被害が出てないだけマシなんだけどね。もしものことを考えると、回収する必要があるというわけさ」


 魔法に関する物は時には災害を招く。未然に防ぐため、国際魔法保護委員会がある。おばあちゃんもかつてはそこに所属してたとこだ。事情は何となく、分かって来た気がする。


「それいつぐらいに分かったわけ」


「3日前だったかね。手続きとか交渉とかでだいぶ時間かかってね。洗脳でやるのもよろしくないしね。色々と会議をやったらしい」


 ギリギリだったようだ。国際魔法保護委員会は組織が複雑化しているという話があるから、相当時間がかかったのだろう。


「そんでアリス・ホワイトを派遣することにしたのさ。富津野高校とグレンズガーデンとの交渉でどうにか留学生として出す事が出来たってわけだ」


 学生もあそこに入ることは出来るが、数少ない。斡旋するだけでもひと苦労だし、その後も大変。何となく分かっていたけど、アリスは相当特殊な形で富津野高校に来たんだなと思う。


「やっぱアリスは留学生としてじゃなくて、国際魔法保護委員会の1人として来たということ?」


「うん」


念のための確認で、アリスは肯定した。せめてアリスが来ることぐらいは知らせて欲しかった。ものすごい混乱状態だったんだぞ。


「ギリギリだったってのは分かった。でもアリスがここに来ることぐらいは言ってくれても良かったんじゃないか?」


 おばあちゃんのニヒル的な笑い。経験で分かる。絶対ろくでもない理由だ。


「サプライズ感ないだろ」


「それだけ!?」


 そりゃ姉ちゃんも父さんも軽く自己紹介して、普通に夕食取っていたわけだ。元から知っていたからだ。俺だけ省くな。


「次に行くとするかね」


 おばあちゃん、孫の心境察して欲しい。マイペースに行かないでくれ。必死にメッセージ―を送ったところで無意味だ。おばあちゃんは普通に話を続ける。


「さっき言ってた通り、アリスは国際魔法保護委員会の一員としてこっちに来ている。うちの薫の弟子でもあるから、日本語には不自由ないさ」


 日本語ペラペラな理由、うちの母さんが師匠だったからだった。結構前から接点はあったということに驚きだ。


「それでも不慣れな環境じゃ苦労するだろ」


 それもそうだ。環境に慣れるまでに時間かかると言われている。


「というわけで透」


 何故ここで俺の名前が出て来る。怖いから返事するしかない。


「はい」


「アリスのサポートをしな」


 どうしてそうなった。確かに同じクラスになった。でもそれだけだ。術を使えるレベルの力を引き継いでいるわけではない。おばあちゃん、マジで何考えているのか分からない。


「ちょ!? 俺に何させるつもり!?」


 だからこうして声を荒くしても仕方のないことだと思う。


「回収する代物がはっきり分かってるわけじゃないんだ。調査する必要があるだろ。橋渡し役として働いて欲しいんだ」


 つまり調査の助手をやれということらしい。地元ロンドンならともかく、ここは異国だ。いくら日本語ペラペラでも難しいところが出て来る。そして、俺より適任がいるかどうかというと、多分いない気がする。国際魔法保護委員会を名前だけしか知らないって人が多い。少しでも知っている奴に頼む方がいいというのが組織の考えなのだろう。てっきりラノベみたいに戦いの世界に挑むのかと思って焦ったのは内緒だ。


「お前みたいなへなちょこを前線に行かすか馬鹿タレ」


 俺の思考を完璧に読んでいた。それより孫に対してマジで容赦ないな。軽く傷付く。

 

「とは言え、働くのに変わりはない。一応報酬を考えるだそうだ。日本円に直すと確か4万だったかね」


 結構な大金だ。美術の資材調達が楽になる。ありがたい。こういう思考になる辺り、俺は現金なのだろう。悲しいがバイト禁止の高校だからこうなってしまう。ため息を吐きたくなるが、アリスの前だ。我慢しておこう。何故かアリスは右手を差し出している。


「トオル。よろしくね」


 握手を求めていた。こちらも答えよう。


「こちらこそよろしく」


 アリスと交わす。女性と握手なんて滅多にない経験だ。男と違って華奢で、毎日ケアしているのかすべすべ肌だ。


「おーい。お風呂沸いたよ」


 姉ちゃんがちょうどいいタイミングで襖を開けてきた。使い魔がいたから、何となくそうだろうなとは思っていた。


「それじゃ。アリス。先に入って」


 アリスに譲っておいて、俺は色々とやるべきことに取り組んでおこう。課題もあるけど、別クラスの男子から頼まれた奴もやらないといけない。上代家のルールもある。そんな事情を知らないアリスは俺の提案を受け入れて良いのか躊躇している。


「でも」


「そうそう。アリスちゃん、行っておいで。男は後に回すのがうちのルールだから」


 姉ちゃんが助け舟を出してくれたおかげで、アリスは納得して和室から出て行った。時間はたっぷりあるし、2階にある自室で取り掛かろう。


「うわひっでえ」


 部屋に入って、勉強机にあるスマホのSNSを見て思わず言ってしまった。俺のクラスのチャットがとにかく酷い。まとめ役でもあり、ストッパーでもある櫻井も雰囲気に飲まれている。有名な動画サイトのコメントを見ている気分だ。「アリスとの進捗状況はどうですか」ではない。面白がってやってるだろ。返信しておけば静まるだろう。そう思いながら、簡単な文章をパパっと作って送信。最初に学校で出た課題、その後にA組の宇井からの依頼を完遂させておこう。時間は19時半。風呂が回るまでに課題をやろう。


 手早く課題を終わらせて、宇井からの依頼をやる。勉強机の下にある紅色の箱をズリズリと引きずる。蓋を開けて、絵で使う道具を取り出す。スケッチブックを捲って、描きかけのページにいく。ラフ画を終えたばかりだ。色々と付け足していこう。


「トオル。リョーコがお風呂だって」


 21時になって、アリスが俺の部屋の近くに来た。時計を見て頃合いだなと思って片付けておいて正解だった。描いている絵は褒められたものではないからだ。こっちとしてはただの人間を描く練習だが、出来た奴は何故だかエロスを感じるとかで物好きな男子が依頼してくる。お年頃とは言え、ネットに色々と溢れる時代にアナログを求めるとはと思ってしまう。


「あの? トオル?」


 考え事し過ぎていたからか、返事をし忘れていた。心配そうな声で呼んでくれているのは申し訳なくなる。


「ごめん。ちょっと作業してただけ。今から風呂に入るよ」


 パジャマと下着を取って、部屋から出る。ドアの先にアリスがいた。ふわふわとした感じの服だ。雲の上でごろごろしてもおかしくないファンシーさがある。かわいい。


「お風呂あがった後、手伝って欲しいんだけど……いいかな」


 視線がやや下で声が小さめ。手元にあるのは古文のプリント。かなりハードルが高い科目だ。慣れていないと解けないだろう。留学生は無理にやる必要はないという話らしいが、アリスは真面目にやるつもりのようだ。あの依頼も終わっていることだし手伝おう。


「分かった。待ってくれると助かるかな」


 顔が明るくなった。くるりと回る。


「それまで待つね」


 軽やかな足取りでアリスは寝室の方に行った。あの課題は相当時間かかるし、いつもより早めに切り上げていこう。


「アリス。入ってもいい?」


 15分ぐらい短縮させて、アリスが寝る部屋に出向く。確認と同時に3回ノックもする。


「うん。いいよ」


 ドアを開けると、見慣れた母の寝室。そこにいるアリスが涙目になっていた。スマホ片手に問題を解いている最中だと分かる。折り畳み式のカラフルなテーブルの上に古文のプリント。出来るだけ自力でやりたかったらしい。


「同じ日本語なのに難しいよー!」


 うるうるとした目で訴えてくる。上目だから余計にかわいく感じてしまう。ニヤニヤしそうになるがどうにか抑える。


「これ昔の日本語だからね。資料集持ってきたからさ。一緒に頑張ろうか」


「Thanks! とっても助かる!」


 簡単に覚えられそうな言葉を教えたり、解くコツを伝えたりした。距離が近かった。甘酸っぱい感じの匂いが鼻に届くし、パジャマの襟から鎖骨が見えたりして、ドキッとした。耐えながら教えるのは難しい。まあでも、アリスが満足したし、オッケーということにしておこう。


「トオル。一緒に頑張ろうね」


「うん。出来る限りサポートするよ」


 アリスからそう言われてからベッドに入ったわけだが、心臓がバクバクしっぱなしで中々寝付けなかった。大人と少女の魅力が混ざったあの笑みは反則過ぎる。

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