42 最悪の魔道師
斉藤和樹の全てを擲つ絶叫は、自失状態だった三年四組の皆を覚醒させた。
「え!」
片倉美穂は今更天空のドラゴンに気付いた。
巨大で禍々しい怪物だ。
長い首の先にある頭には幾本もの角がはえ、金色の目の下の顎にはびっしりと刃物のような刃が並んでいる。体は黒く輝く黒曜石のような鱗に包まれ、は虫類を思わせる翼は大きく、空の風を受けて膨らんでいる。
片倉ですら一目で判った。
その怪物に今の三年四組は絶対に勝てないと。
ドラゴンがまた吠える。
びりびりと大気が震動し、片倉は恐怖と威圧感に押し潰されかけ、自然と自らを抱いた。 黄金の瞳が獲物を見定めるかのように下に向く。
片倉の呼吸は停止した。
ごほっごほっ、それがすぐに再始動してくれたお陰で、彼女は呼吸困難から救われる。
彼女は知った。この世には絶対なる存在があるのだと。
「くくくくく」
片倉の金縛りは嗤い声で解けた。
馬車の上で両手を天に向けている斉藤和樹がいた。
「和樹! 何してんの? 早く逃げよう」
「逃げる? 逃げるだと? この私がか? この大魔道士レイスティンが?」
くくく、彼はまた嗤う。
片倉はその声に唖然となる。
姿は、顔は彼女のよく知る気弱で不器用な放っておけない少年、斉藤和樹なのだが、声は違う。
まるで地の底で響く悲鳴のような音程が調和してない、耳を塞ぎたくなるような声だった。
「貴様の知る男はもういない、あれはお前達を救うために私に体を、全てを捧げたのだ。見よ」
言われた片倉が改めて周囲を見回すと、怪物達が数え切れないほど集まっていた。
「……本来ならばお前達など、ここで汚らしい者達のエサになるのが精々だ。しかし私はあれと約束した。その約束だけは守る」
ドラゴンの咆吼がまた地面を揺さぶる。
だがもう空の存在に何も感じなくなっていた。それよりも目の前の斉藤和樹の姿をした何者かのほうが遙かに恐ろしい。
「……和樹を、返して」
意味はそれほど理解していなかったが、彼が乗っ取られたと感じた彼女は声の震えを懸命に制した。
レイスティンはただくくくくと嗤う。
「私はこの新しい若い健康な体で、今度こそ魔道の深遠にたどり着く。残念ながら貴様に返す物はない、そもそもこの中の者の魂はもう無い、私の魂と完全に一つとなった」
「和樹! 和樹! 早くそいつから出てきて!」
片倉の懸命な呼びかけをレイスティンはせせら笑う。
「それでは貴様達も助からぬ。愚かな娘……さて」
斉藤の顔が再びドラゴンに向いた。
「千年も生きていないドラゴンの若造が、何を勘違いしてこのレイスティンの上を飛ぶか!」
大魔道士は両掌を突き上げた。
ぼんやりとした丸く青い球が手の上に現れ、それはすぐに大きくなっていく。
「やめて!」
何をしようとしているか、勿論片倉には判らなかった。
ただその球があまりにも禍々しいので反射的に声を上げたのだ。
レイスティンは唇を歪める。
「消えろ、ゴミくず」
青い球はドラゴンに向かって放たれ、それはゆっくりと目標を追尾し、ややあって追いつかれた竜は空中で粉々に分解された。
人間と同じ赤い血が雨のように降り注ぎ、片倉を、三年四組の皆の色を塗り替える。
「そして」レイスティンは振り返り、集まった怪物達に氷のような目を向けた。
「感謝しろ、ガルベシアをしばらく安全な地へと変えてやろう」
片倉が答える前に、斉藤の体はふわりと宙空に浮かんだ。
「さあ、惨めで愚かな生物ども、貴様達を地獄に返す時が来た」
レイスティンの、斉藤和樹の体が光る。
「味わえ! フォーリング・デッド!」
瑞々しい青空に黒雲がわき立ち、周辺は光は翳った。
ぎゃー、ぎゃー。怪物達の声が明らかに変わる。
戦いの時の勇ましいそれではなく、傷つけられ追いつめられた者の恐怖の叫びだ。
片倉美穂が見守る中、黒い雲から透明な滴が落ちてきた。
篠突く雨。なのに片倉には水の感触は感じらず、まるで幻のようだ。
ぐぎゃー。断末魔の悲鳴を上げて怪物達が次々に倒れていく。いつの間にか視界の果てまで集まってきていた全ての命が、幻の雨により消されていく。
「そ、そんな……こんな、魔法」
片倉の舌は痺れた。
確かに彼等は敵だった。この後戦いになったらただ殺されていたろう。
だがこの魔法は……この一方的に何百もの命を奪う魔法は、彼女にとって間違いなく反則だった。
「もう嫌、お願いやめて!」
片倉は重力などないように空中に立つレイスティンに哀願した。
だが斉藤和樹の姿をした大魔道士は彼女を一顧だにせず、死の雨を降らしている。
どのくらいの時間が経ったのだろう。
雨は不意に止み、空に光が戻った。つい先刻までのような晴れ渡った天気だ。
が辺りは静寂に包まれていた。
ガルベシアの全ての生物をレイスティンが虐殺したのだ。
「ど、どうしたんだ?」
事態を全く知らない白夜が、空に浮く斉藤に目を細め、片倉に尋ねる。
「……和樹は……和樹は……」
片倉の目から涙が溢れた。
彼女の胸は張り裂けたかのように痛む。
「……わたし、たち、のために」
「そうだ、貴様達の為の全ては終わった、あの者との約束は果たした。ではさらばだ、もう会うことも無かろう」
皆の驚愕の視線を受けていた斉藤和樹は、まるで撃ち出された弾丸のようにあっと言う間に遠ざかっていった。
「和樹……」片倉はその場に蹲って泣き叫んだ。
その日、ガルベシア地区に未曾有の天変地異があった。後世の歴史にはそう記される。
三年四組は徳川准に続き、斉藤和樹も失った。
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