第2話  台所で輝く、セーラー服の彼女曰く

 冷蔵庫を見るなりに、彼女は目を丸くした。


「お兄さん、すごくない? こんな充実してると思わなかった」


「は、はい……」


 そう言われると、僕は目をそらしそうになった。不可思議な交換条件をもちだされたが、オムライスにつられ、彼女こと、ひよりを部屋にいれたのだが。

 セーラー服の学生を入れるって、なんか凄くダメなことをしている気がする……。しかも匿うって何から匿うんだろうと今更ながらに思えてきた。顔から血の気を引くのを感じながら、そわそわしていると、ひよりが眉をひそめた。


「おにーさん、私の話聞いてる??」


「きっ、聞いてるよ」


 じゃあ、私はなんて聞いたんでしょとひよりは意地悪く聞いてくる。可愛い子に言われているのだから、すごく天国である。とても魅力的で小悪魔的な態度で、あとが怖い。

 ため息をついて、僕は口にした。


「料理好き? なの、だっけ」


「そうそう、なんも聞いてないかと思った!」


 ひよりは両手をあわせ喜んでいる。なんとも複雑な気分だ一応話はちゃんと聞いていた。聞いていたけど、この状況って真面目に考えるとやばい気がして、現実に心がともなってなかったのだ。

 僕は投げやりな言葉を吐いた。


「料理は全然だよ……包丁とかもあんま使ったことないし……」


「でも材料が、もうぎつぎつに……」


「それは仕送り。実家が畑とか山とか持ってて、季節ごとに送ってくるんだ」


「なるほど……。あのさ、自分でこの食料をどうにか出来ないなら、いつもはどう対応してるの」


 彼女はきょとんと素直に質問してくる。

やめてくれ、そんな純真な目で見られたら、自分のやっているしょうもなさを自覚して、灰になりそうだ。


 僕は目を伏せ、ぼそりと事実を述べた。


「友達に、全部おすそわけしてる」


「……さ、料理作ろうかなー」


 彼女は僕の言葉を飲み込むように息を吸ったが、次の瞬間に言った言葉は鮮やかなスルーだった。ありがとう、と僕は感謝した。スルーされなかったら、どうしようもなく場が凍る。それが目に見えた。


 「こっこ」の手伝いをしているだけあって、接客慣れというか、人の気持ちを読むことに、多少慣れているのだろう。僕は感心してしまった。


 ひよりは僕の家のフライパンや包丁の使われてなさを確認していた。そしてじゃぶじゃぶと洗い出す。その動きは手慣れていた。


「あ、布巾どこなんですか」


「ちょっと待って……出すから」


 ひよりはいつのまにか、エプロンをつけていた。うちに、エプロンあったけと思って言ったら、持ち歩いているという返答がきた。


「料理研究会の手伝いとかしてるし、家に帰ってすぐ手伝いできるようにね」


 しっかりした女の子だ。ひよりは、玉ねぎの茶色い皮を剥いたり、肉を出したりとせわしなく動き出した。その様子を見て……なんだかとてもおかしいが、僕は彼女に見惚れていた。台所の彼女は、生き生きしていた。こんな狭い、手慣れていない場所だろうに。まるで、舞台で輝く女優のようだ。台所はひよりのステージなんだろう。


「お兄さん、そこでボーとしてないで、座ったら? ソースとかも作るから、時間かかるし」


「ああ……そうだね」


 もっと調理をしている姿を見たいと思ったら、やばい、やつだろうか。誰にも聞けない問いを、心の中だけで呟いて、僕はワンルームの隅っこに座った。ドキドキしていた。


 しばらく台所にこもっていたひよりだったが、やがてご満悦と言った顔で、僕のそばに寄ってきた。

 ソースを煮込んでるから、少し休憩しに……というのが彼女の弁だった。


「うちのソース完全再現とまではいかないけど、美味しいのはできると思うよー」


「なんかただで作らせて申し訳なくなるね……」


「いーの、いーの、匿ってもらってるし」


 彼女はカバンから水筒を取り出すと、ごくごくと口をつけて飲んでいく。換気が完璧とはいえない家だ、相当暑かったに違いない。


「コンビニでアイスでも買ってくる? だいぶ暑かったよね」


「あー……あはは、お兄さんいい人だね、大丈夫。調理場の手伝いに慣れてるから、水飲んだら平気よ」


「そう? この間見かけたときは、ホール側だったし、調理場の手伝いもしてるって、従業員でもそこまでなかなかしないような」


 学生ならば学業だってあるだろう、研究会の手伝いもしてるとも言ってたし。忙しいであろうひよりに、店をやっているからと言って、そこまで手伝いをさせるのだろうか。


 彼女は、はははと肩を落とした。


「私、こっこを継ぎたかったからさぁ……跡取りになるはずのお兄ちゃんが、家を飛び出したんだったら、私が跡取り修行してもおかしくないよねって、ホール場でも調理場でも頑張ってたの」


「じゃあ、君がこっこの三代目になるのか」


 頭を横に振り、彼女はぺろっと舌を出した。


「ちがうよ、お兄ちゃんが、家を継ぐって言って、戻ってきたの。もー私は跡取りじゃありません」


 なんてことだ……僕は衝撃を受けた。先程から、ひよりの声の調子は明らかに悪い。……そういえばと僕は思い出した。最初、自分のことを「こっこ」の元跡取りと言ってたような……つまりはその、一生懸命努力してきた日々を、いきなり家に帰ってきた兄に奪われたのか。


「だから私は、ただの、料理好き女子高生でっす……」


 彼女は自嘲するように言った。


「なるほど……」


 僕は何とも言えず、ただ、頷いた。

今、彼女の胸中は、どんな感情で占められているのかと思うと、やるせなくなった。 

 しっかりしているひよりは、場の空気を察したのだろう、話を切り替えるように言った。


「そういえばお兄さんは、どうしてうちのオムライス食べたかったの? わりとどこでも食べられるような……」


 え、そうだなと僕は頭をかしげながら考えた。たしかにオムライスはどこでも食べられる。それなのに、こっこのオムライスがいいのは……。


「なんだろ、いい匂いがしたってのもあるし、実際ちらっと見ただけでもおいしそうだったし、あー、あれもあるかな」


 僕はくしゃっと笑った。


「みんな、食べてて幸せそうだった……あんなに幸せそうに食べている顔って、そんな見たことない気がする」


 そう言って、ひよりを見る。ひよりは呆然と僕を見ていた。あまりにポカーンとしているものだから、なんか不用意なことでも言ってしまったのかと思ったが、ひよりはぐっと拳を握った。


「だよねっ、だよねっ!!! こっこってすっごい素敵なお店だから……皆満足して食べて行くの! 笑顔でいるのっ。あんなに皆に愛されてるって感じる場所って、そうはないとおもう!!」


 ひよりの目は輝き、語る言葉のテンションの高さも相当だった。

驚いて、曖昧に僕は頷くことしか出来なかった。彼女はそんな僕に目が入ってないのか、まるで謳うように話を続けた。


「おじいちゃんとお父さんがずうっと続けてきた場所なんだよ、飲食店って大変だけど、それでも……ってごめんね、急に語りだしちゃったっ、あはは……ちょっと暴走してるなぁ……」


 熱くなったと思ったら、しゅんとするひより。そんな彼女に僕は頭を横に振った。

 そんなことないよ、と優しく微笑んだ。


「ひよりちゃんは、こっこが本当に大好きなんだね、大好きだと感情的になっちゃうのはしかたない」


 ひよりは本当にいい子なのだろう。僕は確信した。

 彼女は僕を見る。まじまじと見ると、やがて困り眉になって、恥ずかしそうにした。


「なんかそう言われると、照れちゃうな……でも、ありがと」


 彼女はニコッと笑った。どうやら、心を持ち直したようだった。

 ……台所から、くつくつとソースが煮込まれる音がする。もうすぐ、ソースは完成するだろう。


 しかしその、そのだ。


 ひよりはいったい何から匿われたいんだろう……。

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