第二章ー7 『決戦前前前夜』

⚫『決戦前前前夜』


 極限まで勉強の時間を詰め込もうとすると、一日がとても長く感じる。

 特に十四時くらいが、一番満腹感がある。かなり勉強をやったつもりなのに、残り時間の多さに思わず胃もたれする。

 ただ夕方が過ぎ、夜になると、今度はどこまでも勉強できそうな気がしてくる。一日が終わらないでほしいとすら思う。

 ただ一日は長く感じられても、不思議と日々はあっという間に過ぎていく。

 気づけば中間試験は三日後に迫っていた。

「この一カ月、息切れせずに本当によく頑張ったわ」

 これまでの勉強とは、わけが違った。机に向かっていれば、勉強。そう思っている節があった。でも本当の、本気の勉強は、目標に対して一歩でも近づいているかがすべてだ。

「さあ、あとは中間テストで結果を出すだけね」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。勉強はしてきたぞ? でもテスト対策らしいことはゼロでここまできたんだが……。本当にこのままいくのか?」

 つきもりから出される課題は、基本的には東大受験を見据えたものだった。学校のテスト範囲を集中的に勉強してきたわけではない。

「あ、テスト対策について伝えるのを忘れてたわ」

「おいいいいいいいい!? 今からで間に合うのか!? 最低でも一週間、いや十日前から取り組むべきじゃなかったのか!?」

「冗談よ」

 遊ばれたらしい。こういうの多いな……。

「すべての勉強はつながっているんだから」

「それはそうだけど……」

「なんならじま君は、学校のテスト対策なら毎日しているわ」

「い、いつ? 他もやってるけど、この一カ月は英語と数学が中心だったろ……?」

「授業をきちんと聞いて、ノートを取り、復習をしている。それが一番の試験対策よ」

 以前、授業の復習については指導されていた。

 ──授業が終わったら、その授業を自分で再現してみて。

 ──ノートには重要な点がまとめられている。でもそれを読めばすべて理解できるかといえば、そうではないでしょ? 間を埋める先生の説明があったはず。それを自分で言葉にして説明できるか、一人でやってみるのよ。

「特に学校の試験なんて、先生本人が作るんだから。その先生の授業でやったことしか出ない。授業を完全に理解していれば高得点は間違いないわ。その間に真嶋君は基礎力の底上げもしているんだから。成績は伸びるわよ」

「でも、だな」

 ネガティブなことはあまり口にしたくないのだが、どうしても今だけは言ってしまう。

「と、言うだけじゃ不安だろうから、秘伝の極意を授けるわ」

「やっぱりあるよな、そういうの! 期待してたよ!」

「……今日、テンションおかしくない?」

 テスト前で興奮している節はあった。

「それじゃあ、これからテスト期間中にやることね。ノートと教科書を読み返して」

「うんうん」

「以上よ」

「……………………………………それだけ?」

 当然とばかりにつきもりうなずく。ちょっと待て。

「……本番のテストを予想した模擬問題くらい出てくるんじゃないの……? だって前はあれだけ重いプリントを作ってくれたじゃないか!?」

「他意がある気もするけど、聞き流すわ」

 月森がイライラしている。だがこっちも切羽詰まっているので構ってはいられない。

「まずノート。これは言わずもがなね。そして教科書だけど……真嶋君はどう思ってる? これまでは読み込んではなさそうだけど」

「月森を見習う意識はあるんだけど……すいません、正直、市販の参考書の方が読みやすくて……」

「それは間違いないわ。参考書は、本来先生がすべき解説まで書いてくれているからね。ただノートと同じように、先生の解説があって、教科書は完成するものよ。つまり教科書とは、最強の要約よ」

「……要約」

「根本的なことを言えば、東大の入試も、教科書さえあれば必ず解けるはずよ。この一冊に、この科目で学ぶべき内容すべてが入っている。そう思うと、案外薄くない?」

 つきもりは世界史の教科書を掲げてみせる。

「教科書を一度読んですべてを理解する……のは難しいわ。でも今、真剣に授業に取り組み復習もしている状態で、教科書のテスト範囲を通してしっかり読んでみて。じま君も、そろそろ私と同じ見え方になっているはずだから」

「俺が……月森と……? それはないよ」

 いくらなんでも言いすぎじゃないだろうか。

「私と真嶋君の違いって、そんなにないんだけどね」

 ありえない。そのありえなさを証明するために、今自分は勉強をしているのだ。

 とにかく、と月森は続けて言う。

「ノートと教科書。最強の武器はもう手元にある。だから大丈夫よ」

 月森からのテスト対策講座が終わる。

 あとはもう本当に戦いに臨むしか──。

「まだ、心配そうね」

 顔色から見抜かれたらしい。

「自信を持って。少なくともこの一カ月は、学校の誰よりも努力をした自信があるでしょ?」

「勉強だけは……したと思う。でもだからこそ……」

 これまでは結果が出なくても、「そんなものだ」と割りきっていた。むしろ背伸びしすぎず、かと言って不真面目でもない、ちょうどよい場所に収まっていることに満足すらしていた。その方が安心だった。

 だが今から進むその先には、きっと『痛み』が待っている。どんな結果になったとしてもだ。

「真嶋君は、大丈夫。結果はついてくる」

 月森に断言されて安心し、同時におかしいと気づく。

 ──結果が出ないことが、才能のなさの証明が、自分の目的だろ?

 だったら結果が出ない方が……だけど今は。

「でも月森もこれまで色々やってくれて……先生も、手を貸してくれて。あとは妙な流れでぐもも巻き込んで……」

 ただ自分の限界を示すための戦いが、いつの間にか多くの人を巻き込んでいた。

 そうだ、余計なものが、両肩に重くのしかかっているのだ。

「ああ、そういう心配」

 ところが月森はクスリと笑って、

「全部、どうでもいいわね」

 ぶった切った。

「どうでもよくは……ないだろ。そのために勉強してるんだし」

「違うわよ。真嶋君は、真嶋君のために勉強しているの。それだけは間違えないで」

 くっきりとした声でつきもりは言う。

じま君が心配しているのはテストそのものじゃなく、付随することばかりじゃない?」

「あ……」

 言われてみれば、そうかもしれない。

「真嶋君が向き合うのはテストなんだから、その他はなにも気にしないで。むしろ世の中に少ない一対一の状況を作れるのが、テストのだいですらあるわ」

 どうしたって人の目が気になる教室。

 でも今こうして月森と二人でいる夜の教室は、なにも気にしないでいい。

 昼間でそれと似た瞬間を一つ選べと言われれば、確かにテストの最中かもしれない。

 だから言ってみれば。

「テスト中は……夜みたいなもんだな」

「いいわね、そのたとえ」

 月森は窓の外の暗闇を背景に、にやりと笑う。釣られてしようたも笑う。

 笑い声が教室に響いて、やたらと気持ちよかった。

「次のテストは、夜の真嶋君で挑んでね。順位とかは忘れて」

「……わかった。月森も、頑張って」

 照れ隠しもあって言うと、月森が小首をかしげた。

「誰に対して言ってるの?」

「……すいませんでした」

 調子に乗った。

「だから冗談よ。すぐ真に受けるんだから」

 わかりにくいんだよ……とはなかなか言えない。

「でも応援ありがとう。真嶋君のおかげで、いい状態で臨める気がしてる。夜ふかしというか……試験中のも、張りが出そうだから」

 好調の月森……なんだかまた恐ろしい点数を取ってしまいそうだ。


 そして試験当日がやってくる。

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