第二章ー2 『勉強、勉強、勉強』

⚫『勉強、勉強、勉強』


 目覚まし時計が鳴って、しようたは起床する。

 時刻は七時半。昨日は二十四時過ぎに眠っているので、七時間は睡眠を確保できている。

 母は仕事から帰ってきているが、まだ眠りの中なので自分で朝食を用意する。

 朝は白いご飯としる、それに昨夜の残りのおかず。

 ご飯を食べながら、正太はイヤホンで英語のリスニング音源を聞いている。

 ここ数日、つきもりからの夜の授業を受けいくつものアドバイスをもらった。

 ──東大は二次試験でも重めのリスニングが出るわ。だから早く慣れておくこと。

 ──英語を聞く時に肝心なのは、声は出さなくてもいいから可能な限り口を動かして『音』を覚えること。もちろん一番いいのは音読よ。『言えない音は聞けない』、この鉄則を忘れないで。

 朝の登校前ルーチンはほとんど全自動なので、英語を流しながら小声で復唱している。

 家を出て、最寄りのバス停へと歩く。

 これまで自転車登校の日も多かったが、基本はバスに切り替えた。その方が乗車中も勉強できるからだ。

 正太はバス停で英単語帳を開く。

 一単語一秒で次々に見ていく。

 ──入試の頻出単語は早期に覚えて。長文読解といった他の勉強効率も上がる。頻出単語さえマスターできれば、あとは長文読解で単語を少しずつ拾って覚えれば十分だから。

 バスの乗車中もずっと単語帳を見ていた。

 教室に入っても、授業開始前まで続けた。

 一時間目が始まる。

 授業の受け方にも大幅なメスが入っていた。

 ──まず『無意味な予習』をやめなさい。今のじま君は、漫然とただこなすだけの予習をしている。重要なのは学習範囲にあらかじめ触れることで、ポイントを押さえつつ、わからない部分を明確にすること。授業効率を上げるため、という目的意識を忘れないで。

 ただこなすだけの予習には、思い当たる節があったので受け入れた。

 ──それから、学校の授業は受けない。

 授業を受けないなんて古今東西許されるはずがないっっ! と、流石さすがに正太も反論した。

 ──ね、熱にびっくりした。

 それは簡単には受け入れられないと思った。やってしまっては『真面目』の名折れだ。

 ──学校の授業を無視するわけじゃないわ。言いたかったのは、『受け身の姿勢はやめて、主体的に取り組む』よ。

 ──それならまあ……。でも授業をちゃんと聞いていれば、主体的じゃないのか?

 ──『目的意識』がないとダメね。例えば、古文の授業でただ教師からの現代語訳の説明を聞くだけで終わらない。同時に単語を覚える、文法を覚える。『授業からなにを学びたいか』を意識するだけで、吸収効率が変わるわ。ちなみに内職は結果非効率になりがちだからオススメしないわ。

 つきもりの言葉に従い、前のめりに授業を受けた。その時間になにを学べたか、授業の終わりに確認した。それだけで、通り抜けるだけだった教師の話が頭に残るようになった。

 授業の合間の休み時間には、昨日学んだことの復習をする。

 ──勉強は予習より、復習に力点を置いて。これは鉄則よ。

 ──受験勉強とはなにか。分解すれば、『一、内容を理解し知識にする。二、知識の記憶を保持する。三、本番に適切なタイミングで知識を取り出す』の三段階に分けられるわ。

 ──よくあるのは、塾や動画教材のわかりやすい授業を聞いて、それだけで満足しちゃうパターンね。『わかった気分』は、さっきの分解で言う『一』番しかやっていない。

 ──記憶して、本番で使えなければ意味がない。忘却曲線って、聞いたことあるでしょ? 人は忘れる生き物なの。そんな人が覚える方法は一つしかないわ。何度もやる。何度もやれば忘れにくくなる。初めは迷って地図を見ながらたどり着いた場所も、何度も通えば、自然と道順を覚える。復習して。

 昨日学んだことを復習する。三日前に学んだことを復習する。

 そうするだけで、学んだ『知識』が確実に『記憶』として蓄積されている感覚を持てた。

 こんな風に感じられるのは初めてだった。……いや、勉強をしているのだから初のはずがない。なのに初体験に思えるのは、これまで無意識だったものが意識化されたからだ。

 昼休みも昼食を早々に終えると、残りの時間を勉強に充てた。

「おーっす、また『真面目』にやってるねー」

「……ん? ああ」

 顔を上げると、しようたの手元をのぞんでいた。ひょこっと首を伸ばしているのがなんだかハムスターっぽい。

「また予習?」

「いや、今は復習」麻里の相手は勉強しながらでも怒られないので、正太はノートに目を落とす。

「…………ねえ」

「ん?」再び顔を上げる。

「……なんか、変わった?」

「なにが?」

 正太が問うと、麻里は目をぱちぱちとさせる。

「あー……なんか変わった気がしたんだけど……なんだろうね?」

 休み時間中でも正太が勉強をしていることは珍しくない。だから幸いにも、他のクラスメイトから「どうしたんだ急に?」と言われることもないのだが。

「……急に力が入ったというか……? あ……つきもりさんに恋をしたからか!」

 月森の名前が出て「え!?」と声を出してしまった。

 あくまでしようたと月森の関係は夜だけのものだ。『妙な勘ぐりをされて夜のことがバレてはいけないから』と月森には昼間の接触を控えるよう言われている。

「……というか、いつから僕が恋をしたことになってるの?」

「最近の変化は、正太ちゃんが『深窓の眠り姫』に興味津々なことしか思いつかなくて」

「恋とかそういうことは……ないな。うん、ない」

 そういう関係じゃないと思う。

「じゃあ受験モードに入ったのかな? 早すぎるよ~! 焦らせないでよ~!?」

 授業が終わったあとも、正太は放課後の図書室で勉強を続けた。

 帰路に就く。バスの乗車中は英単語帳を開く。

 家に入る直前、出ていく母とすれ違った。

 英語のリスニング教材を聞きながら家事を済ませ、食事をする。

 まだ家を出るには時間があったので、自分の部屋で勉強をする。

 ──計算力を上げましょう。四則演算、因数分解。場合によっては小中学生レベルから。

 いくらなんでも小中学生レベルはできると思うけど……と正太も反論する。

 ──限界まで速く、そして絶対間違えない正確性でよ? 数学は考え方が合っていても、初歩的計算ミスで点数を失う危険性がある。仮に拳銃を突きつけられて計算問題を三秒で解け、と言われても余裕と自信を持って答えられる計算力をつけて。

 ──……そんな状況に遭いたくない。

 ──簡単な計算が一秒でも速くできる。そして間違えない自信がある。これは絶対的な強みになるわ。

 月森からもらったプリントをかばんから出す。本当に初歩の計算問題が百題。これをストップウォッチで時間を計りながら、解く。

 用意……スタート。

 問題を解いているうちに、日が沈んでいく。

 オレンジ色の空が藍色を経て、やがて黒に塗りつぶされる。

 さて、夜だ。

 正太は、夜登校の準備を始める。

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