第一章ー8 『英単語小テスト』
⚫『英単語小テスト』
「それじゃあ、今日も英単語の小テストから」
「えー、エビちゃん今日はやめとかな~い!?」
「はい、やめません」
白衣に、金縁眼鏡。特徴的な
小テストのプリントが前から順に回ってくる。
「やべっ、今日の範囲一度も見てなかった」「俺はさっき五秒見て写真としてすべて記憶したから余裕だわ」「お前いつからそんな特殊能力に目覚めたんだよ」
直接成績に影響するテストでもないので、教室に緊張感はない。
受験生になったら変わる。
自分も含め、周りもそう思っていた節がある。
でも実際のところ、突然なにかが変わるわけもなくて、今までの延長線上にある日常が続いていた──これまでは。
周囲の
正太はプリントを受け取る。
まだクラスメイトはざわついている──でも自分の机の上だけは静かだった。
「始め」
さっと全問に目を通す。
スペルミスが不安な長い単語だけ先に解答して、あとは上から順に書き込んでいく。これも
なぜ月森は、出題する単語を予想できたのか──。
『先生はなぜ見出し語以外もテストに出すか。それは例文も記憶に残してほしいからよ。せっかく触れる英文があるんだから、広い視野を持っておいてうろ覚えの記憶だけでも残すに越したことはない。受験を見据えた対策ね』
『満点取らせたくない意地悪だってみんな言ってるのに……』
『……それはちょっと
言われてみると、印象が随分変わる。
『必修単語はそもそも見出し語になっている。じゃあそれ以外で記憶に残っていて助かるものはなにか? たぶんスペルを正確に書ける必要まではないだろうから、出番は長文読解やリスニング問題ね』
今まで考えてもみなかった意図を読み解こうとすると、見えてくるものがある。
『長文やリスニングで「この単語を知っていて助かった!」と思った経験は?』
『ある、かも。特殊な単語だけど、それがわかっていたから状況の想像がついて……』
『まさに。抽象的ではなく、その単語が出てくればある程度シチュエーションの特定ができるような種類のもの。今回の範囲で言えば……「archaeologist」と「compilation」よ』
月森のテクニックは、魔法じゃなかった。
あるのは、地道に目の前の問題に向き合ったからこそ導かれる、論理的帰結だ。
最後まで解答を埋め終わる。
凡ミスがないか、繰り返し見直す。一度見て、さらにもう一度。
「はい、そこまで。隣と交換して、採点ね」
「あ」
正太の解答用紙を採点していた女子が声を上げ、思わず正太はペンを取り落とす。
まさか、ミスが? いやでも、ほとんど自信を持って書けた。一つだけ、スペルに迷ったものはあったが……。ミスがなければ……。でもそのミスが……。
「採点が終わったら、本人に返して」
正太が採点した用紙を、隣の子に返す。隣から採点済みの用紙が戻される。
点数は……二十点満点。
「よしっ!」大声が出てしまった。
「び、びっくりした」と隣の女子に驚かれる。
「おいおい、なに小テストにマジになってるんだよー。
近くの席の男子には「わはは」と笑われる。
そりゃそうだろう。ただの小テストで満点を取ったからなんだ。なにも起こらない。
でも……なんだ、この胸に込み上げてくる熱いものは。こんなの昼に感じていいものじゃない。夜、一人の時じゃないと、どうにかなってしまいそうだ。
「ん、今日満点だった人がいる?」
おー、と小さなどよめきが起こった。
でもそれだけで、あとはみんな自分たちの会話に戻る。
いつだったろう、それこそ小学校の低学年の頃は、問題が簡単だから満点答案だってあった。でもいつしか、×印を見るのが当たり前になった。×印があっても悔しくもない。だいたい満点を取りたい気持ちすら、久しく忘れていた。
なのに今は──いやいやいや。
正太は慌てて首を振る。妄想を打ち消す。
次も、その次も満点を取って、そうしたらいつか本番もなんて──ありえない。
別に、
でもなぜか、教室の景色がいつもと違って見える。
人が多いのに、息苦しくない。ざわめく声が耳にへばりつかず、まるで心地よいさざ波のようだ。心はおだやかで、なのに熱を持っている。
「で、今日はやってたみたいだから、どうせもう一人……」
海老名が突っ伏して眠る生徒の席に近づき、プリントを手に取る。
「うーん、やっぱり満点だなぁ」
小テストの解答だけ済ませて、すやすやと眠る『深窓の眠り姫』も、もちろん全問正解だったらしい。
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