第一章ー4 『夜の教室』

⚫『夜の教室』


 夜の教室に忍び込んだらなぜかクラスの女子がいた件。

「ごめん、突然だから驚いて。まさか夜十時に来る子がいると思わないじゃない。ていうか立ってないで、座ったら?」

 席を勧められ、しようたは机を一つ挟んで腰を下ろす。

 ちなみに今は教室の電気をすべてけている。外からの目が心配だ。

 つきもりあかり

 我が県立ふじはや高校随一と言っていい、校内有名人。

 美人で、学校生活をほぼ寝て過ごし、校内テストで一位をかっさらい続ける異端児。

 思えば、いつも寝ている背中ばかり見る。顔を至近距離で見るのは初めてだった。

 昼間には見覚えのない三日月形のピアスが、キラリと耳元に輝いている。

 色素の薄いさらさらとした長髪。青みがかった瞳。すっと通ったびりようも、薄い唇も、すべてが整っていて、同時に色気を持つ。

 精巧に作られた西洋人形のように、細部の作り込みまで完璧だった。

「なにか? しげしげと顔を見つめて?」

 のぞまれ、慌てて目をらす。

「い、いや……。はじめまして、っていうか、話すの初めてだよな?」

 つきもりがぱちぱちと目を瞬かせる。

「そもそも私、クラスの人とまだしやべったことないかも」

 三年生に進級してもう二週間はつ。

「じゃあはじめまして、じま君。月森あかりです。どうぞよろしく」

 品のあるクールさを保ちながら、親しみやすい温かな微笑を浮かべる。

「こ、こちらこそよろしくお願いします」

 思えばこれまで月森の寝ぼけた声しか聞いたことがない。

 普段はまぶたを閉じているか、起きていてもギリギリ半眼が上限だ。

 そんな彼女がぱっちり目を開いているなんて、もはや別人と言われた方が納得感がある。むしろ、ありえない説明の方が飲み込めてしまう……。

「確かめたいことがあるんだが……」

「うん?」

「月森って、もしかして……吸血鬼的な存在なんじゃ……!?」

「いや全然違うけど。なにを言ってるの、真嶋君」

 全然違ったらしい。

「なに? お前は人間じゃないだろ、みたいなこと?」

「や、する気はないんだが」

「冗談よ」

 いたずらに成功したみたいにくすっと笑う。

 一つ一つの仕草がいちいち可愛かわいい。

 だから思わず漏らしてしまった。

「ただ……あまりにもれいだったから……」

「……もしかして口説いてるつもり?」

 いたく冷めた目で見られた。美人すぎて怖くなる。

「じゃ、じゃない! つい一人のつもりになって……。だいたい、が月森に釣り合うわけないし」

「釣り合う、釣り合わないなんて基準、ないと思うけれど」

 やけにぴしゃりと言われた。

 ……というか、この状況で、いったいなにを世間話しているんだ?

「「それよりも」」

 話し出しがかぶって、お互い口をつぐむ。

「「なんで夜の教室に」」

 また被った。

 気まずい沈黙があって、今度こそしようたは月森に先を譲る。

「じゃあ、私から失礼して。……真嶋君はこんな夜遅くの学校になんの用?」

 この問いは避けられないだろう──お互いに。

 しようたは素直にあらましを話す。

「──なるほど。自分の机が夜のうちに汚されるいじめを受けた。その犯人の手がかり探しのために、同じ夜の時間帯を狙って教室に忍び込んだ、か」

 話を聞いたつきもりが、端的にまとめてくれる。

 正太は被害者なので許される余地がある……気がする。不法侵入にしては。

「ちなみに机に……赤い汚れはあった?」

「ああ。どろっとした血みたいな。それで『しね』って文字が……」

「それは……トマトソースの可能性があるわね。他に汚れは?」

「え? 白い汚れもあったけど……」

「そっちはホワイトソースの可能性が高い。あと、机がべたついていた?」

「そう、全体的にベタベタで……。あとは雑巾が……」

「おそらく……消火に使ったコーラと片付けの残骸ね」

 月森はやけに詳しい。その時は衝撃が強すぎてあまり意識しなかったが、甘い食品っぽい匂いはしていたかもしれない。今思い返せば。

「…………ごめんっ! それやったの私!」

 月森は手を合わせて深々と頭を下げる。

「……どういうことだ?」

「この前の夜、教室でピザを作って焼いたあと片付けそびれたの」

「…………もっとどういうことだ?」

「その日トースターが発火して危うくぼやになるところで、焦って消火の時に結構散らかしちゃって、全部片付けたつもりだったんだけど、言われてみれば最後にれいにするつもりだった机を掃除した記憶がなくて……」

「いや、そういうことじゃなくて」

 そもそもの前提がおかしい。

「この前の夜も……? 教室にトースターを持ち込んでピザ……?」

「ええ、普段から夜の教室を使っているから。あと夜って、おなか減るでしょ?」

 説明を受ける度に混迷が深まる。

「ええと……学校に住んでるとか?」

「住んでるわけないでしょ。朝学校に来て、放課後一度家に帰ってまた夜登校することもあれば、ずっといる時もあるけれど。ちゃんと朝までには家に帰っているわ」

「夜登校……」

 また謎のワードが出てきた。

 授業が終わっても、放課後遅くまで学校で過ごす生徒はいる。その延長戦が異様に長いバージョンだと思えば……いやいや。

「じゃあ、さっき着ていたそれは、なんのため?」

 しようたは先ほどつきもりを黒い円柱状の影に見間違えた要因を指差す。教室のカーテンだ。

 月森はカーテンをマントのように体に巻き付けていたのだ。

「あ、いやっ……これは……」

 意味不明な供述をそれでも理路整然と行っていた月森が、そこだけは突かれたくなかったとばかりに焦り始める。ここに謎の鍵があるのか。

「月森。俺は被害者だ。聞く権利がある」

 被害者面を利用すると、月森も苦しげな表情を浮かべ、ついに観念したらしい。

「夜の教室に一人で、あと、月がいい感じだったからっ……」

 ぷるぷると身を震わせながら、月森が言葉を紡ぐ。

「…………カーテンにくるまって、夜の支配者ごっこ的な」

「……一人で夜の教室で、夜の支配者ごっこ……?」

「れ、冷静に言わないでくれる? ……わからない? 夜に、広い空間に一人で、テンションが上がって、普段やらないことを……やる感じ」

「夜の感じはめちゃくちゃわかる。でも夜の支配者ごっこはちょっと……」

「…………何度も言わないで」

 月森は顔を赤くして涙目になる。意地悪をしている雰囲気になってきたのでやめる。

 いまいち全体像は見えない。が、まとめてしまえば。

「月森は普段から夜の教室を使っている。そして夜食を作る最中に俺の机を汚してしまい、片付けそびれた。……合ってる?」

「……そう」

 月森は何度も謝って、机の中のものに被害があれば弁償するとまで言ってくれた。が、机をれいにした時点で原状回復されている。

「まあ……俺としては、悪意のあるいじめじゃないとわかったなら、別にいいや」

 許せなかったのも、夜の犯行だったからだ。

 正太が夜の教室に侵入した目的は達せられた。

 代わりに、新たな謎が生まれてしまったわけだが。

「じゃあ次は俺から。……月森はなにを目的に、夜の教室にいるんだっけ?」

「うーん、勉強?」

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