第7話 痕跡の無い遺留物とくっきり残った靴跡の矛盾

 現在、見つかっている遺留物は、靴両足分、靴下両足分、黒いシャツの五点だ。

 これらはほぼ損壊していないことは報道でも示されている。


 個人的には、靴はともかく(遺体になってから自然に脱げてしまう可能性もなくはないため)、靴下とシャツは繊維で出来ているので、遺体が着ている状態で腐敗が進んだ場合には、何らかの痕跡が残らないのは不自然なのではないかと思うのだ。

 繊維は顕微鏡で見ると複雑な網目のようになっており、いったん血液や体液、腐敗したモノがこびりつくと、その複雑な網目の中に入り込んでしまうので、少々の風雨ではその痕跡がなくなってしまうことはあり得なかったりする(洗濯機で水洗いする程度では落ちないため、これは断言できる)。


 なので、骨が白骨化するまでの過程では、遺体はシャツと靴下を着てはいなかったのではないかと推定できる。



 こう書くと、

「だからと言って、それは事件説を後押しするものではない。例えば、低体温症で錯乱状態に陥り、美咲ちゃん自身が服を脱いで山の中をさ迷ったあげく、崖から転落した……、なんて可能性もあるんだから」

という反論があったりする。


 低体温症とは、体温が35度以下になると、筋肉の硬直、脈拍や呼吸の減少、血圧の低下などが起こり、激しい震えや判断能力の低下が症状となってあらわれる。

 よく、雪山の映画などで、遭難した人が錯乱状態に陥るのがこれだったりする。


 美咲ちゃんが失踪し、山中をさ迷っていた頃の道志村の最低気温は13度。

 そんなに低い気温ではないが、美咲ちゃんがそれほど防寒対策をしていないのなら、可能性は低いが、有り得ないことではないような気もする。


 ただ……。

 美咲ちゃんが当時着ていたはずの黒いシャツは、ヒートテックだ。

 ヒートテック……。

 つまり、極めて防寒に優れたシャツだったりするのだ。


 これは美咲ちゃんのお母さんが、キャンプということで万が一があっても良いように山に備えて着せたものだ。



「そんなこと言ったって、美咲ちゃんが失踪したあと、二日目の夜半には雨が降ったらしいよ。雨が降って濡れて、急速に体温が奪われたら低体温症になったって不思議はないよ」

まあ、そういう反論はもちろんあるだろう。


 いくらヒートテックを着ていても、濡れたら防寒能力も落ちるだろうし……。

 たしかにその状況だけを看たら、低体温症で錯乱し衣服を脱いだ末に滑落した可能性はなくはない。


 一応、筋が通っていることは認めざるを得ない。



 しかし……。

 低体温症で脱衣したことを全否定する状況証拠が存在していたりするのだ。


 それは、靴跡と、黒いシャツに包まれるようにして存在した肩甲骨だ。

 靴跡とは、例の、ハッキリと土に刻まれた、10個しかなかったあれである。




 何故、靴跡が低体温症を否定できる状況証拠なのか……。

 靴跡がくっきりと地面に刻まれていたということは、靴跡がついたのは雨が降ったあとだからだ。


 つまり、雨が原因で低体温症になったのなら、そのあとに正常に動いていたとは考えにくいのだ。

 しかも、靴跡があったのなら、まだ靴跡がついた時には衣服は着ていたということになる。

 これでは滑落した時に衣服を着ていない状態だったという、低体温症が原因だとする説は成立しないのだ。



「いや、そんなことはない。靴跡をつけたあとに低体温症になって、美咲ちゃん自身が服を脱いでから滑落したと考えれば説明はつくよ」

こういう反論が出るだろうが、それも全否定できる。


 なんせ、黒いシャツに包まれるようにして肩甲骨は見つかっているのだ。

 低体温症で錯乱して脱衣したのなら、黒いシャツはその時点もそれ以後も肩甲骨と離れた状態になければおかしい。

 脱衣してから滑落したという想定なのだから……。



 私は別にどうしても事件説だと主張したい訳ではない。

 しかし、遺留物や当時の状況から考えると、低体温症での錯乱の末の脱衣も否定できるし、脱衣していたという状況そのものが不可思議にしか感じないのだ。



 それとも、遺留物や靴跡の矛盾を説明する他の可能性があるのだろうか?


 ごくごく自然に判断すれば、事件としか言いようがないと思うのだが、いかがだろう。

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