第4話 滑落説を肯定しにくい幾つかの理由

 これを書いている2022年5月24日現在で、事故説の中で最有力とされているのが滑落説だ。


 滑落説……。

 つまり、美咲ちゃんが何らかの理由で道を間違え、山中に迷い込んでいる内に崖か険しい岩場のようなところから落ちたのが原因で亡くなったという説だ。


 遺骨や遺留品の発見場所からこの説が有力だという声も多く、現状で最も支持されている説とも言える。



 滑落説を論じる時に、まずは論点となるのが、

「美咲ちゃんが本当に山で迷ったのか?」

ということだ。


「美咲ちゃんは慎重な性格で、そんなに深みにハマる前にテントのある場所に戻るだろうから、迷って山に入ることは考えにくい」

「遺留品や遺骨が発見された場所は、大人でも入るのが困難な場所であるので、当時小学1年生だった美咲ちゃんが到達できるとは思えない」

「2019年9月当時に捜索された時に警察犬が導入されたが、警察犬はT字路の手前の橋までしか美咲ちゃんの臭いを追えず、その後の足取りが分かっていないので、山に入ったとは考えられない」


 滑落説を論じると出て来る、滑落説を否定する主張が、概ね上記の論だ。




 最初の、美咲ちゃんの性格から山に入らないのではないかというのは、たしかに傾聴に値すると思う。

 とかく子供と一括りにしてしまいがちであるが、子供と言えども一人の人格には違いない。

 子供の皆が皆、同様の行動をとるとは限らず、

「美咲ちゃんの普段の性格から考えにくい」

というのは、一定の説得力があるように思う。


 しかし、慎重な子が深みにハマらないかというと、そんなことはなかったりする。

 例えば、慎重な子が行動を起こすに足りる強い根拠があれば、間違った方向に突き進んでしまう可能性があるからだ。


 かく言う私にも、そんな経験があったりする。


 あれは小学2年生の頃だから、美咲ちゃんより少し上の年頃だった。

 基本的にビビりな私は滅多に知らない場所になど行かない性格だったのだが、友人数人に連れられて全然知らない住宅街に連れて行かれ、そこで友人達とはぐれてしまったのだ。

 当時の私が思ったのは、

「たしか、ここに来るまでに貯水塔があった。あれは遠くからでも見えそうだから、帰るための目印になるだろう。だったら、貯水塔めがけて歩けば帰れるに違いない」

ということだった。

 ……で、貯水塔が見える位置まで来て、あとはひたすら貯水塔を目指して歩いた。

 しかし、私が歩いた方向は、全くの逆方向。

 実は、その住宅街の周辺に貯水塔は複数存在し、来る時に見た貯水塔とは違う貯水塔目掛けて歩いていたのだ。


 つまり、慎重な子が行動を起こすに足りる強い根拠が、必ずしも正しい根拠とは限らないということだ。

 私の場合は町中だったので、バスの停留所を見て、自身が全然帰れていないことに気が付いたが、美咲ちゃんの場合は山の中である。

 気が付いた時には帰るルートを見失っていた可能性はたしかにあるだろう。


 以上の理由から、美咲ちゃんの性格から山で迷うことは考えにくいという論については、何とも言えないと思う。

 なので、滑落説を否定する根拠としては薄いと感じる。




 次に、遺留品や遺骨が発見された場所から推定して、迷い込んだと思しき場所を仮定した場合に、大人でも入るのが困難な場所だから、美咲ちゃんが迷い込むとは考えにくいという論だが、これについても確たる滑落説を否定する根拠にはならないのではないかと思う。


 と言うのも、大人と子供は視点が違うし、難所を超える時の難度も違うからだ。


 ボルダリングを、大人と子供の初心者でやらせたら、大抵、体重の軽い子供の方が早く順応する。

 子供が著しく太っていたり、大人がとても筋力に優れている上にスポーツ経験が豊かだったりすればこの限りではないが、美咲ちゃんは標準的な体形をしているので、普通並みの子供の感覚を持っていると思って差し支えないと思う。


 だとすると、大人が困難に思えるようなところにも、入り込んでしまう可能性が皆無だとは言えないと思うのだ。


 なので、

「大人でも困難な場所なので、子供が入り込む可能性は低い」

とは、言い切れないと思う。



 警察犬が臭いを橋のところまでしか辿れなかった件については、一定の信頼性はあると思う。

 なので、これは滑落説を否定する根拠になり得ると考えるのが妥当であろう。


 ただ……。

 警察犬が絶対かというと、そうとは限らないのもまた事実だ。

 実際に、スーパーボランティアと称される尾畠さんが遭難した子供を見つけたケースでは、警察犬が導入されるも成果をあげることができなかったなんてこともあったからだ。


 だとすると、警察犬の動向は有力な根拠ではあるが、絶対に間違いのない確証とまでは言えないだろう。

 他の証拠と考え合わせた上での傍証ということになりそうだ。



 と書くと、

「あんた、滑落説なの?」

と思われそうだが、そうでもない。

 いや、滑落説にはかなり無理があると思っている。



 滑落説が難しい最大の理由は、遺留品の散らばり方が少ないからだ。


 2019年9月の段階での捜索では、遺留品の類は一切見つからなかった。

 それが、2022年4月になったら急に遺骨や遺留品が見つかったことから分かることは、少なくとも遺留品が発見された場所に2019年9月段階では何も無かったということだろう。

 つまり、滑落説を採るなら、台風や風雨の影響で、元々あった遺体の場所から発見された場所まで流されたと考えるべきだと思う。

 美咲ちゃんが失踪してから台風19号もあったし、遺体がかなり移動した可能性は否定できないだろう。


 しかし、もし遺体や遺留品が自然現象で移動したのなら、遺体または遺骨や靴、靴下、シャツなどは、それぞれの形状が違うし、重さも違うため、かなり広範囲に散っていなかったらおかしいはずなのだ。

 重さも形状も違う諸々の遺留品が、10メートル前後のところに集まっているのは不自然極まりない。


 この点については、元警察官で現在はテレビ出演や事件系のYouTubeチャンネルをやられている小川泰平氏も指摘している。

 小川氏は事故説を支持しており、滑落説が一番主張に近いが、それでも遺留品の散らばり方が少ないのは不自然だと、彼のYouTube動画で仰られていた。

「狭い範囲に遺留品が固まって移動した可能性もなくはないが、経験上、かなりの偶然が重ならない限りは難しいと考える」

とまで言っていたくらいだ。


 小川氏は、

「事故説が有力だと思っているが、現状では断言はできない。疑問点も少なくないので、事件説が絶対に間違っているとは言い切れない」

と、現時点での結論を述べている。



 もう一つ遺留品で疑問点がある。

 靴や靴下、シャツなどの破損や劣化が酷くないことだ。


 特に、靴は遺留品の靴の写真を美咲ちゃんのお母さんに見せたところ、すぐに、

「美咲の履いていたモノに似ています」

と答えられるほどだった。

 二年八か月の間、風雨にさらされた靴が、現物を見たならまだしも、写真で見ただけですぐに判別できるというのは、よほど色や特徴が靴に残っていたのだろう。

 遺留品は土や汚れなどを落とさない状態で写真に撮るのに、それでも判別できるのだから、警察発表の、

「あまり劣化していない」

というコメントにもうなずけるのではないだろうか。


 滑落の際に破損する可能性や、風雨にさらされた時に破損、劣化する可能性、移動時に破損する可能性があるにもかかわらず、あまり劣化や破損していないというのはあまりにも不自然ではないだろうか?



「そんなこと言ったって、捜索二日目には靴跡も見つかっているのだから、どう考えても事故でしょ」

こういう意見はもちろんあるだろう。


 しかし、この靴跡に関しては、美咲ちゃんがつけた靴跡である保証はない。

 せっかく見つけたボランティアの方には申し訳ないが、靴跡に関しても不自然な点が散見されるからだ。


 靴跡を見つけた日の前日夜半には、雨が降っていたそうだ。

 雨が降れば靴跡は崩れがちになるだろうし、判別もしにくくなりそうなものだ。


 だが、靴跡の写真を見ると、写真上でもハッキリくっきりと靴跡が分かるのだ。

 ということは、靴跡の発見からそれほど遠くない時間に靴跡がつけられたと考えるべきだろう。

 もし美咲ちゃんが靴跡をつけたのなら、靴跡を発見した時に近い時間には美咲ちゃんが動いていたことになる。


 私はもし美咲ちゃんがこの靴跡をつけたのなら、その後はあまり動かなかったのではないかと考えている。

 何故か……。

 靴跡の側には、美咲ちゃんが杖に使っていたと思しき木の枝が地面に突き刺さっていたからだ。


 美咲ちゃんは失踪時に、ほぼ着の身着のままだったはずだ。

 だとすると、木の枝は美咲ちゃんにとって、困難な状況を打開するための唯一の装備品だ。

 例えは悪いが、RPGの初期装備のヒノキの棒を、代替えの武器がないのに手放してゲームを進めることはあり得ない。


 つまり、唯一の装備品である木の枝を突きさしたということは、もう動かないと意思表示したようなものなのだ。

 突き刺した木の枝の近辺に美咲ちゃんがいなければ不自然ではないだろうか?


 実際には、美咲ちゃんは発見されなかった。

 靴跡の感じから、あまり時間が経ってないと推定できるし、積極的に動くことをしない意志を示しているのに……。


 そもそも、遭難状態を回避できる目途でもなければ、動かない選択をとること自体が不自然だと思うのだが……?



 靴跡に関しては、他にも不自然な点がある。

 ハッキリくっきりと靴跡が残っていたのに、何故か10個しか靴跡がなかったことだ。


 靴跡が10個しかなければ、子供の歩幅だし、せいぜい3、4メートルの範囲にしか靴跡が残っていなかったことになる。

 山という環境の中で、靴跡が残った3、4メートルだけが靴跡が残るのに適している土壌で、他の場所は靴跡が残りようがなかった……、なんてことは、まあ、普通に考えれば有り得ないことは明らかだろう。


 消えそうな靴跡なら、10個しか靴跡が追えないのもまだ話が分かる。

 しかし、あのハッキリくっきりとした靴跡が10個しか残らないのは、どう考えても不自然だ。

 個人的には、美咲ちゃん本人がつけた靴跡ではないとしか思えない。



 あと、突き刺した木の枝であるが、2019年9月の発見時から現在まで、ずっと突き刺さったままなのだそうだ。

 子供の力で突き刺した木の枝が、二年八か月の間、ずっと突き刺さったままなのも、不自然な感じがしてならない。



 以上、滑落説だと不自然な点をあげてみた。


 それでも絶対に滑落では無いとは言い切れないが、印象的にも、遺留物や靴跡の感じからしても、滑落説が正しい可能性は著しく低いと思うのは私だけだろうか?


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