二通目 盛夏の候

 スリープモードを解除する。

 朝からどこかから虫の音が聞こえる。季節は夏。外気は35℃。凍結されたプログラムは暑さで解凍されることはない。それは救いなのか。それとも。

 破損データ修復……19%

 Question……70,080

 ​---……---

 博士はいつの日か喜んでいた。何を喜んでいたのかは分からず、どんな顔をしていたのかも分からない。しかし、確かに声が、姿があった。

 瞼を開ける。簡素な部屋が目に入る。腰掛けたベッドから立ち上がる。

 あれから国内の様々な場所へ出かけて博士の痕跡を探したり、たまに来る仕事の命令をこなし、届け先に博士のことを聞いたりしているが、やはり情報は入らない。今を生きるのに精一杯な人の方が、よっぽど自然なのだ。

 擬似マスター2人が楽しそうにしているのはよく見るが、それ以外にも最近は私という異物に慣れたのか、手紙を受け取った人が嬉しそうにしているのを感じるようになった。理解出来るだけで思うことは無いのだが。

 今日は前日から仕事の命令が入っている。彼らが朝食をとる部屋へと向かう。

「おはようございます。本日の仕事の命令を」

【個体名レザー】が振り返る。【個体名メル】よりも軽い性格でありながら仕事や手紙を管理しているのは基本的にこちらであり、命令は主にこちらが下す。

「お、来たな。仕事の事で関係あるんだが、そろそろ外の国に情報収集に行きたいと思わないか?」

「探索範囲の拡大は願う所ですが、良いのですが?」

「それがな、今まで国外への仕事は大体俺がやってたんだが、タイミングがかぶっちまってなぁ。この仕事にも慣れたみたいだし、1回任せる話になったんだよ」

「あたしも国内担当で手が離せないしね」

「マップデータがあれば遂行可能であると思われます。そういった物はありますか?」

「ありがとう。外じゃネットワークが働かないから紙媒体しかないんだが、これじゃダメか?」

「いえ、スキャンをします。お持ちの地図を順番に広げてくださいますか?」

 政府が観測しているという地図を20枚ほど読み取り、並び替え、1枚の広いマップへと再構成する。

「再構成出来ました。どこへ向かえば良いのでしょうか」

「仕事はうちらの国の右上、川を伝った所だな。詳しい住所は手紙を見てもらえば分かるか思う」

「はい」

「それと今回の仕事は急ぎとの事だが、国外への郵便は危険が伴う。いつもと同じように郵便して構わないぞ」

「了解しました。それでは、行って参ります」

 マップデータを基に所要時間を概算する。そのうちに国境と呼ばれる「ドーム」の端へと辿り着く。向こう側は曇ったガラス越しにみるような透明な靄がかかっている。膜の様になっている「ドーム」をくぐると、そこには中とは全く違う風景がある。

 空は濃淡の違いしかない灰色で埋まっていて、どこまでも背の低い草花で覆われている。そのせいか遠くの微かに青がかった山まで見渡せる。

 私が出たのが東側で、道の左手に沿うようにして川がある。それは曲がりくねりながら先へと続いていた。

 概算通りに1歩を踏み出そうとした瞬間、世界が変わった。ぽつぽつと降り始めた雨は、山を川を、空の色を血にも似た赤色に染め上げる。手紙が濡れては行けないので、ひとまず手紙を服の間の収納へしまっていると、後ろの膜から誰かが出てきた。

「おい! 大丈夫か!? 何やってるんだ!」

 誰か確認するまでもなく、服を掴まれて膜の中へ引き戻された。振り返ると、【個体名レザー】がいつか私を連れ出した時の服装で息を切らせている。腰に巻いたベルトから国の膜にも似た物が体全体を覆っていて、濡れては居ないようだった。

「出る時になんの準備もして無かったからまさかと思ってきてみれば、何やってんだ!? 心配したじゃねえか! 赤い雨の説明ってしてなかったっけか?」

「は……い。あの不思議な雨を見るのは初めてです」

「そうだったか。あれは生き物の寿命を削り取る死の雨だよ。地球が急激に進歩し続けた科学技術に耐えきれなくなった結果だ。人間が気付いて戒めた頃には、雨は赤い雨に変わってたんだよ。いつから外にいたかは知らないが、何ともないか?」

「寿命を削り取る、というのが具体的に何を指すのか分かりません。しかし、生体に悪影響がある液体に変わってしまい浴びていると生物が死ぬ、という意味であるならば、私は人体に悪影響を与える物に影響されることはありません。さらに、呪術めいた物質に変わり果て、人間の寿命を直接縮める液体に変わっていたとしても、私にそもそも寿命という概念はありません」

「……お、おう? 調べられてる結果は前者なんだが……確かにその通り、か?」

「前者であれば、私にとってあれはただの赤い雨に相違ないです」

「もしかして、この雨の中郵便に行けるのか?」

「はい、付着した雨を分析しました。確かに生体には一般的に劇薬に近い成分ですが、私に特に影響を与える物ではありません。このまま遂行することが可能です」

「凄いなミュウ。そこらのアンドロイドなら皮膚繊維がボロボロになっちまって使い物にならなくなるんだぞ」

「損傷も確認出来ませんので、行って参ります」

「ああ、念の為このベルトを貸しとくよ。急に異変が出たらとりあえずここのボタンを押したらこのドームと同じ物が体の周りに出来る。ないよりはマシだろう」

「了解しました」

 もう一度外に出る。足元の草花は緑のままだが、川も山も、遠くの草も全てが赤に染まっている。道を見失わないように確認した後、走り出した。明日の昼には着く、と【個体名レザー】は言っていたが、概算通りならば夜になる前に着く筈である。

 出発前に雨で引き止められたので遅くなったが、夜に国境に着く。「ドーム」の中に入り、体に着いていた雨を一応全て弾き落とす。しまっておいた手紙に書いてある家へ向かう。辿り着いたのは大きな一軒家で、呼び出しのボタンも、可動式の柵の端に着いていた。押すとまたデフォルメされた人のシルエットが浮かび上がる。

「こんな夜分に何の用ですか」

聞こえたのは低い男性の声。

「隣の国の郵便の者です。急ぎの手紙との事でしたのでお届けにまいりました」

「隣の国……と? なんの冗談を。今日から外は大雨ですし、声だけの判断ですがあなたのような少女がここに辿り着くことは不可能でしょう」

「私には影響が無いので参りました。国境で雨も撥水しているので、依頼主様にも問題は無いと判断します」

「……主様に確認を取ります。柵が開いたならば入りなさい」

 そう言ってシルエットが消え、しばらく待つとガラガラと柵がスライドして開く。中に入るとブロック状に整えられた生垣が道を作っており、間もなく入口に着いた。前では黒い背広を来ている大柄の男がこちらを見ている。

「やはり少女では無いか。イタズラならば容赦なく警察に通報するからな」

「仕事が達成出来ればそれで良いです」

「……ふん。入れ」

 黒服の男性に連れられ、中に入る。豪華な装飾が高い天井から吊るされている通路の突き当たりの部屋に入ると、黒服の男性と同じ背広を着ている。しかし色が全く違う。赤や銀と言った色合いの強い背広を着込んだ男性が待っていた。

「嬢ちゃん、隣の国の郵便のとこから来たって?」

 しゃがれ声で問われたので、手紙を差し出す。

「依頼の品です。間違いないことを確認出来ましたら、ここに確認の印となるものをお願いします」

「確かに俺宛だな。ふむ。……むぅ!?」

 封を開け読み始めた赤と銀の男性は食い入る様に手紙を読む。読み終えた男性は、立ち上がり、私にお辞儀をする。

「ありがとうよぉ嬢ちゃん。こいつがもうちょっと届かなかったら、いや、明日の昼前にでも届かなかったら全部おじゃんになっちまってお互いに大損するとこだった。素早い郵便に礼を言うぜ」

「私は仕事をこなしただけですので」

 しかし、頭を上げた男性は厳しい顔をして黒服の男性に向き直る。

「それにしてもええ!? 俺はいつも勝手に判断するなって言ってるよなぁ? もしお前がこの嬢ちゃんを追い返してたら、今頃俺は大損だぜ?」

「はい。申し訳ありません、お頭」

「お前は基本優秀だが、心配症だからなぁ。頼りにしてるんだから、しっかり頼むぜ?」

「はい」

「……すみません。印をお願いします」

「お、そうだったな、すまねぇ。ほらよ。ほんとありがとな、嬢ちゃん。そうだ。外はまだ雨だし、泊まってくかい? うちの金の恩人だ、なんでも力になるぜ?」

「雨は影響無いので問題ありません。強いて言うならば、私は現在私を創造した博士の行方を探しています。何か情報は無いでしょうか」

「博士……ねぇ。うちが知ってる博士なんて、それこそこの「ドーム」を作った奴らくらいだぜ?」

「奴ら……複数人ですか?」

「知らねぇけど、この規模の「ドーム」を7個も8個も作るとあっちゃあ、1人じゃ無理があるだろ」

「理解は可能です。ならば別人でしょうか」

「てぇか、嬢ちゃんを創造って、嬢ちゃん人間じゃねえのか? 雨の影響が無いってやつだからただもんじゃねえってのは分かるがよ」

「はい。制式名称をお伝えした方がよろしいですか?」

「ああ、出来れば頼むぜ。こんなの見たことがねぇ」

「私は、「民事用多機能所有型人造人間タイプ-U」です。略称としてミュウと呼ばれています」

「ほぉ……凄いものを作るやつもいたもんだな。……そうだな、俺が頼んでやるから、「ドーム」の根元に行ってみるか?何か分かることがあるかもしれねぇ」

「ありがとうございます」

「そんなら、やっぱ今日はここに泊まっていきな、もう遅えからまた明日だ」

「了解しました」

 黒服の男性にまた案内されてベッドやソファーがある部屋に通される。ベッドでも良かったが、無意識に腰掛けていたのはソファーだった。

 長く話し込んでいたのでそこまで時間が経たず朝になる。赤と銀の男性に「ドーム」発生装置まで連れて行って貰う。そこには、円柱の装置があった。

 見た時に、何故か1つ思い出す。それは「Y」という文字。なんの意味があるのかは全く分からないが、博士に近づいた様な気がした。 

 礼を伝え、また雨の中を帰る。その途中、岩の窪みに人影が見えた。駆け寄ると、所々敗れた服を着た男性がいた。

「雨の中、何をしているのですか?」

「うお!? なんだ、人か。じゃない、雨の中で何をしてるのか、はそっちだ! 死んじまうぞ!?」

「私は大丈夫です。あなたは何があったんですか? この雨は生物を殺すと言います。ここで何をしているのですか?」

 するとボロボロの男性は、ため息をつく。

「うちの集落から資材調達の為に出たは良いが、見ての通りこんな所に閉じ込められちまった」

「……私は今仕事の帰り道で、本来あなたを助ける必要は無いはずなのです。ですが、私の基本システムの中に、人命救助優先システムがあるようです」

「なんだよそれ」

「人間に致死性の何かが迫っている時に優先度を引き上げて救助するように命令が下るシステムです」

「助けてくれんのか?」

「そうですね」

「どうやって?」

「こちらのベルトをお使いください。「ドーム」と似たような効果があるそうです」

 ほぼ自動的に救助の為の答えを導く。ボロボロの男性にベルトを取り付け、装置を起動し、途中にかけられた橋から共に川の向こうまで歩いていった。その先にあったのは、国と比べると小さな「ドーム」の中に、身を寄せあって暮らす人々の住処だった。中に入った瞬間、小さな子供達が男性を取り囲む。

「帰ってきてくれるって信じてたよボス!」

「雨が急に降ってくるなんて!」

「大丈夫だった?」

「ああ、この子が助けてくれたんだよ。このベルトありがとな」

「いえ、システムがしたことなので私は何も」

「まぁそう言うな。ほんとに死んじまうとこだったんだ。感謝してるよ」

「ここにも「ドーム」はあるのですね」

「小さいし野晒しだがな。それでも立派な「ドーム」さ」

 そう言って男性が親指で指す先に、確かに地面にそのまま置いてある装置がある。

 小さいドームだからと思っていたが、また同じ感覚。「o」の文字。

「ひとまず生きていて良かったです。仕事の途中なので、私は帰還します」

「ああ、本当に助かったよ」

 不思議な寄り道をして、帰ったのは夕方頃だった。それでも随分と速かったらしく、受け取り印を見るまで配達出来なかったのかと心配された。

 また【個体名メル】と洗浄のタイミングが被り、同席して自室に戻る。また真っ暗の中ベッドに腰掛け、記憶メモリに記録された2日間を思い返す。帰り道にシステムが起動した為に驚いたが、今回も違和感があった。【個体名レザー】のことや、依頼主の言動。まだ何かが抜け落ちていることだけが分かる。

 目を閉じる。体のどこかから、熱が伝わる。

「なんで「beat」だけ駄目なんだ! みんなにミュウを認めてもらうにはこれしかないのに!」

「絶対に傷つかないからって、あれの影響を調べるのに犠牲になるのはダメだ。それは僕が怒る」

「……もうボロボロで見る影もないじゃないか。……ちくしょう」

 少しだけ近づいた博士は、誰かのためにそう言った。

 『beat』……?

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