有莉栖こどものふく店

伽戸ミナ

有莉栖こどものふく店

“こどもに服と福を”

店の裏の机の上のフォトフレームに文字が収まっている。シルバーの細い額縁がひけらかすようにではなく控えめに言葉を固定していた。鏡で自分の姿を確認してから店に出る。

店内はドアと入り口側の壁がガラス張りになっていて、通りを歩く人が見える。空がすごく青くて、植え込みの緑は所々白く飛んでいる。その光エネルギーは窓から入ってきて、店内を充溢(じゅういつ)している。窓際には白いイスとテーブルが置いてあって、眩く光っている。

「今日からの山下さんですね。店長の有莉栖(ありす)です」

ロマンスグレイの短髪と同じ色の顎髭を生やした有莉栖店長の口が動いた。綿毛のような笑顔で少し緊張がほぐれる。

店長はブラックのスキニージーンズに、ピンクというよりはサクラ色という感じのリネンシャツを着て、袖を七分袖に捲っている。その装いは外側に纏っているのではなく身体の内側から出てきたような一体感を出していた。他人の服を批評する下品さもなく、オシャレなんて軽薄な言葉では表せない。もはや自然と言う気がした。

「うちは店名にあるように子供服の専門店です」

店長が穏やかで棘はないが、沁みるように響く声で続ける。完全予約制なので接客は私がします。店長が空気に言葉を運ばせる。今日はもうすぐお客様がいらっしゃるので、お茶の準備をお願いします。光を含んだ空気が細かく揺れる。


店長は接客と言っていた。しかし目の前で起きていることは自分の知っているものと違った。店長は客の女性と窓際の席に向かい合って座り、談笑している。今日は子供を連れていないが、子供服店に来ているということはあの女性は母親なのだろう。先程、少し漏れ聞こえた話ではあの母親は以前にこの店で買い物をしたようだった。二人目が産まれたからその子の分も、と言っていた。

そんなカフェみたいな服屋という以上に驚いたのは値段だった。ここでは色違いはあるがTシャツしか売っていない。おもちゃみたいなサイズのTシャツが一枚十万円だった。自分には馴染みのない桁数だった。

途端に恐怖が襲ってくる。膝の力が抜けそうになる。

店長の柔和な表情が、とんでもない悪人のそれに見えてきた。ここは服を法外な値段で売りつけている。一見信じられなさそうでも、店の雰囲気なのか店長の話術なのかで騙している。詐欺師が詐欺をする時には、ばれないようにきちんとした格好をするらしい。詐欺師でそうなら店長は世界を裏から操る悪の親玉くらいだ。とんでもない犯罪に巻き込まれてしまったのかもしれない。

話が終わったようで二人が立ち上がった。母親はたくさん話したからなのか、来たときより爽やかな表情をしていた。そのまま出口へ行って何も買わずに帰った。見送った後店長は、机の上の片付けをお願いします、とだけ言った。


「バタバタしてしまってすいません」

食器を洗っている所に店長が来て言った。

「うちは他と比べて変わっているから戸惑うでしょう?」

そうですね、と言いながら苦笑した。正直戸惑うどころの話ではないが、何をされるか分からないので顔色に出さないように振る舞う。シンクを打ち付けていた水を止める。心臓が早鐘を打つ。

「うちの服は値段が高いんです」

「はい、ビックリしました」

カップを拭いたタオルを掛ける。

「これは特別な生地を使っているからなんです」

疑問を持った表情をする。

「この生地で作った服は、着ている子供の成長を助けるんです。運動が好きになるようにだったり、集中力を持てるようにみたいに」

「そんなことあるんですか?」

店長は温和な表情をしていた。

「あるんです。君も経験がありませんか?スーツを着たらきちんとしようと思ったり、ゆったりした服をきたらリラックスしたり」

あります、と答えていた。

「服には元々着ている人に影響を与える力があるんです。その力を最大限出せる生地なんです。大人だとあまり影響が大きくないのですが、まだ成長途中の子供なら大きな変化が出るくらいの影響を出せるんです」

穏やかなままで店長が話した。


ずっと立っていて脚が疲れた。痛いという程ではないが、筋肉が固まって動きが悪くなる違和感がある。休憩時間になったので店の裏のイスに座って休む。そして気になっていたことをネットで調べる。検索ボックスに“有莉栖こどものふく店”と入力する。指で濁流をコントロールしながら情報を集める。

結論、この店の評判がかなりいいのが分かった。批判も値段が高いことに対する僻みのようなものしかなかった。だがこれはなんとなく分かっていた。というのもお客さんが引っ切り無しに来ていたからだ。やってきて店長と喋って帰っていく。ネット上でも、“接客が丁寧でよかった”や“ゆっくり話を聞いてもらえてよかった”という書き込みが多く見られた。来ていたお客さんも話してスッキリして帰る人や涙ながらに話をする人までいた。子育てで孤独を感じている人の力になっているのだと分かって、誇らしく感じていた。

「お疲れ様です。ここまでやってみてどうですか?」

店長の温かい表情に裏がないことが分かって胸をなで下ろす。しかしどうしても気になることがある。

「今日はまだ一枚も売れてないんですけど大丈夫ですか?」

店長は顔色を変えずに答える。

「今日は初めてのお客さんが多かったのでしょうがないんです」

「ネットでも評判いいみたいだし、もっと売った方がいいんじゃないですか?」

軽い言い方になってしまったと感じたが、善意からの言葉だった。しかし店長の顔には陰が入った。突然のことに言葉が継げなくなってしまった。短かったであろう沈黙を破ったのは店長だった。店長がスマホを操作して、これを見てください、と画面を見せた。

“自宅で母親を刺殺 中学生の息子を逮捕”というタイトルのネットニュースだった。内容は母親を15歳の息子が包丁で刺して殺したというものだったが、犯行の動機に「着たい服を着させてもらえなかったから」とあった。それに対して非難するコメントも合わせて載せられていた。

「この母親はうちの店で買った服を着させていた、というのを後になって知りました」

店長の声に明るさがない。

「でも成長を助ける服なんですよね?」

顔に入った陰が濃くなっていく。

「そうです。でも影響が大きい分、自分に合わない時の不快感も大きくなるんです。この母親は“恩”を着せていたことになったんです。最初は子供のことを考えていても、段々自分の願いの方が強くなり子供の想いが見えなくなってしまうんです。自分は子供の為と思ってるからそれに途中で気付くのは中々難しい。きちんと合う“服”を着せないと、子供に福はやってこないんです」

言い終わると再び沈黙が流れた。それを破ったのはまた店長だった。俯いていた顔を上げて言った。

「だから丁寧に向き合って、十分に話を聞かないといけないんです」

見つめられた視線に攻撃性はなかったがしっかりと捕らえられていた。瞳の奥で見ているという気がした。

店長はいつもの表情に戻って、これからもよろしくお願いします、と言って戻っていった。イスから立ち上がって脚を伸ばす。そして鏡の前に行って、映った自分の姿をもう一度確認した。

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有莉栖こどものふく店 伽戸ミナ @kadomina

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