画面の向こうの友人:フジの場合

かわいい人

 ベットから体を起こし、まだ白い空を見上げて窓を開ける。すこしひんやりとした風が部屋に入ってきた。


 ぼんやりした頭でカーテンを閉めると、レースのカーテンが風でふわっと浮いた。昼間は暑くて窓なんて開けたくらいじゃ涼しくならないので、空気の入れ替えをするならこの時間しかない。


 いつもなら顔を洗って着替えてから始める作業も、なんだか今日は頭がいつもよりすっきりしているので先にメールチェックだけでも済ませることにしてPCを起動させた。マウスに手をのせると、冷たくてきもちいい。


 PC画面の右端、水色の封筒に入った手紙のマークをクリックすると、太字で書かれた画数の多い感じの羅列に毎度のことだがめまいがする。


 リモートワークになってから、会社の人たちと顔を合わせるのは最小限で済むようになったが、毎日大量に送られてくるメールをチェックするのはオフィスワーク主体の頃から変わらない。仕方ないことだがこれだけはどこにいても好きになれないルーティンだ。


 未読を示す太字を上からさっと目を通していくと、すぐに返信が必要なものはなさそうだった。主に進捗報告や業績の確認、日報。小学生の頃にあった学校新聞とやってること変わらないな、と毎回思う。


 毎日同じようなメールを送り続けることも仕事のうちなのだろうが、この時間を違うことに使えば良いのに、と思うのはたぶん私が上の立場の人ではないからだろう。偉い人達は偉い人達にしかわからない苦労があるのだ。たぶん。


 太字のメールを一通り読み終えると、受信BOXの少し下の方に、昨日の日付で届いたメールを見つけた。太字じゃないから既読のはずだが、覚えがない。


 覚えはなかったが、会社の同僚の間に並ぶ送信者の名前を見て納得した。「伊豆に旅行!交通費はかかりません」なんて件名、送ってくるのはあの人だけだ。


 本文にはビデオ会議用アプリのアドレスだけが載っている。いつもそうだけど、送信時刻は昨日の深夜1時45分。私が起きているか起きていないか絶妙な時間に送ってくるのはどういうことなのだろう。


 昨日のメールなのだし意味はないと思いつつ、なんとなくアドレスをクリックした。見慣れたアプリのマークが画面に大きく表示される。


 「おや、今お目覚め?おはよう」


 開いたルームの暗い画面から声がする。


 ん?声がする?


「え、フジさんだよね?おーい、聞こえてる?」


 どうやら幻聴ではなかったらしい。聞きなれた声がこちらに呼び掛けている。まだ少し眠気が残った頭が一気に覚醒するのがわかった。近所迷惑にならないように、机に置いてあったヘッドホンのプラグを差し込む。


「聞こえて、ます。えっと……」


「あ、よかった。同居人の方が間違って開いたのかと思った」


「同居人なんていないの知ってるでしょう」


「それもそうだね」


 PC特有のちょっとこもったような声がヘッドホンの奥で笑った。いつもと同じイチさんの声。


 イチさんこと81ハチノイチさんは、数年前ハマっていたゲームで意気投合したネトゲ仲間。


 特に趣味が合うとか住んでいる地域が近いとかでもないが、なんだか話していると心地よくて、ゲームのサポートが終了した今でも数年にわたり頻繁に連絡を取り合う不思議なネットの友人だ。リモートワーク主体になって外出が減った今では、一番よく会話する友人になっているかもしれない。


 太陽はまだ起きてはいないらしい。薄暗い部屋に浮かぶPC画面には、不敵な笑みのメガネをかけたうさぎの画像が映し出されている。私の側のアイコンはコスモスの花の写真。まだ私が女子高校生だった頃に気まぐれで撮ったものだ。


 私とイチさんは、年齢や性別、好きなゲームや音楽、面白いと思った本や美味しかったお菓子など、相手を構成する中身はほとんど知っているのに、お互いの顔を知らない。


 しかし、昨日送られてきたアドレスのトークルームに何故彼がいるのだろう。まあ、送信者は彼なのだからおかしくはないのかもしれないが。左下に表示された経過時間に目をやると、4時間以上が経過していた。


「え、何してるんですか?」


「酷いな~フジさんを待ってたのにさ」


 フジさん、とは私のゲーム内での名前。今では呼んでいるのはイチさんだけだ。


「いや、昨日来なかったんだから寝てくださいよ」


「あはは、やっぱ厳しいな。ホントはルーム入室したまま忘れて徹夜でゲームして放置しちゃってさ」


 ふあ、とあくびをするのが聞こえる。


「そしたらフジさん入室の通知きたからたまたまね」


 気にしないで、とまた笑う声がした。いつも深夜に連絡してくるけど、この人はいつ寝ているのだろう。


「今日は仕事お休み?」


「あ、はい。昨日早くに寝落ちちゃったので起きてしまって」


 昨日はオンライン会議に出席して、新しいプロジェクトの進捗具合を報告して、終わったあとは気になっていた映画を見ながら軽く晩酌していたら、いつのまにか眠っていたらしく、目を覚ますと映画の終わったタブレットと空のグラスを放り出して布団に転がっていた。


 最近、布団に横になったら寝落ちしていて慌ててシャワーを浴びて仕事の準備をして、ということがよくある。リモートワークになったことで気疲れ等からはだいぶ解放されたと思っていたのだが、それなりに疲れていたようだ。


「ちゃんと休まなきゃだめだよ」


 イチさんの、男性にしては少し高めの声が耳に響く。久々に聞く私の為の優しい言葉に、じん、と体のどこかが暖まるのがわかって驚いた。いつもは感じたことのない感覚に、私も少し仕返しをしたくなる。ヘッドホンのマイクを口元に近づけた。


「伊豆、行くんじゃないんですか?」


「え?」


 何々?といつも冷静を装っているイチさんの声が揺らいだ。


「交通費いらないんでしょう?私は家で待っていれば良いですか?」


「ちょっ……フジさんいつも件名とか無視するくせに急にどうしたの?俺と旅行行きたくなっちゃった?」


 あはは、とイチさんのいつもの笑い声がして、そのあとは沈黙が流れる。


 4つ年下の彼のことは、姿以外はなんでも知っている。強気にふるまっているようで意外と押しに弱いことも。アドリブに弱い、かわいいところも。


「行きたくなったって言ったら、どうします?」


「……25歳の成人男性からかって楽しいかよ」


 悔しそうにぼそりと呟いた言葉が、画面から聞こえた。


 楽しいです、と答えた後に聞こえたガチャン、という物音と、あー!というイチさんの声に笑いながら、窓の外のきれいな朝陽に目を細める。


 画面の向こうのかわいい友人が、恥ずかしそうな顔をして迎えに来てくれるのを待つ休日も悪くないな、と画面に残ったメールの受信BOXを消して、朝陽に向かってのびをした。

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