挨拶





「元気に笑って挨拶をする国を創りたい。わしの目標だ」

「重々承知しております。殿さま」


 二重三階の望楼型天守ぼうろうがたてんしゅ廻縁まわりえんに出て、高欄こうらんを片手で掴んだ殿さまは腕で目を覆った。


「それがどうしてこんなことになってしまったんだ?」


 言い終えては、天を見上げて顔をしかめる殿さまの傍らに控えていた、白い口ひげともみあげが立派なお目付け役は、袖で自分の涙を拭った。


(おいたわしや、殿さま)


「朝は一日の始まり。気持ちよく始めなければならない。それをわしが邪魔をしておる。なぜ、なぜだ?好きだと告白するのは、朝の挨拶の時間帯のみなんだ。いや、昼も夜も迷惑には変わりないが」

「殿さま。そう悲しまないでくだされ。老若男女問わず殿さまに好きだと告白された独身者たちはみな、嬉しかった、元気が出た、気持ちよく仕事に行けると言っておりまする、支障が出ておる者など一人もおりませぬ」

「気休めはよせ、高野たかの。全員が全員そうではないと知っておる。早く解決せねばならぬ。の。だが」


 殿さまは高欄をもう片方の手で掴んで、両の手にぐっと力を入れた。


「高野。わしは本当にだれにも言えぬ恋心を抱いていたのだろうか?」

「占い師が言うには。暴走したせいで、恋心も行方知れずになったらしいのです」

「そう、か」


 お目付け役である高野は眉根を寄せた。

 確かに。

 殿さまは恋心をだれにも言わないだろうか、と疑問には思っていたのだ。

 むしろ嬉々として、教えてくれるような気がした。

 が。

 恋は人を変えるとも言われている。

 だれにも言えなくなる可能性もなきにしもあらず、なのだ。


「夢にわしが恋心を抱いているらしい人が現れた」

「それは吉報ですな。解決ももうすぐではないですか」

「いや。姿かたちがぼんやりとして見えなかった。わかったのは声は女性のものらしいということと、はっきり見えたのが藤の蔓で織られた帯だ。そう。そなたが好んでまとう着物の色と同じだな」


 ドキリ。

 高野は胸をざわつかせた。

 藤の蔓で織られた帯をしている女性に心当たりがあるからだが。


(まさか、そうだ。同じ帯をしている女性など他にも)


 いるはずだ。

 自分の考えに、けれど、高野は自信が持てずにいた。


 もし。もしも、殿さまがあの人に恋心を抱いていたとしたら。


(否。拙者が考えるべきは、殿さまの幸せだ)


 胸のざわつきは気のせいだと、切って捨てた。











(2022.5.21)


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