番外編

後日談:鷹狩の罠と精霊の巫女姫

『今どき弓やら鳥やらを使った狩りが最高の娯楽とは、いやはや、さすがは枯れた砂漠の蛮族らしい余興であるが、どんなものを見せてくれるのか楽しみなことだ!』


 エルグラン語でつむがれた侮蔑の言葉と裏腹に、ニコニコと愛想のよさげな笑みを浮かべるキンベリー大使を横にして――通訳が何食わぬ顔で、口を開く。


「伝統の弓術、そして鷹を使った狩猟術とは、いやはや、さすがは過酷な砂漠を生き抜いてきた民らしき力強き行事、楽しみでございますな! ……と、大使は申されております」


 だがそれを聞いたメフルザード様は、この豪奢な天幕が張られただけの荒野の炎天下に、底冷えのするような声で短く応えた。


「ほう……それは何より」


 これは、隣を見上げなくても分かる。きっと彼は、思いっきり睨み付けてしまったのだろう。豊かな腹回りとチョビ髭を蓄えた大使は、ヒッと小さく怯えたように息を呑むと。よほど怖かったのだろうか――今度はペラペラと、帝国を讃える美辞麗句を並べ立て始めた。


 かつて小姓頭のサイードと呼ばれていた彼が、皇太子メフルザードに名を変えてから、早半年ほどが過ぎ――正式に妃となった私に与えられた初仕事は、彼にエルグラン語を教えることだった。それを驚くべき速さで習得してしまった彼は、さっそく外交の場で活かそうとしたのだが。しかしそんな彼に、私は「隠しておきましょう」と提案したのだ。


 言葉が分からないと思わせておけば、思わずこぼれた本音が聞けるかもしれない。そう考えたのだけれど……まさかここまで油断しきって、面と向かって気軽に罵倒してくれるとは。きっと未開のどもが西方の言語を解するなんて、思ってもみなかったのだろう。私は幾重にも顔を覆うレース編みのヴェールの下で、こっそりとため息をついた。


 今回の大規模な鷹狩の会は、このエルグラン王国から来た新しい大使の諸侯への顔見せのために開かれたものだ。しかも「自分も夫人を伴うからぜひ殿下のお妃様も」と、強引に私の同伴を願ったのは、このキンベリー大使の方である。にも関わらずこの舐めてくれっぷりでは、今後どんな問題が起こるやら――。


 そんなことを憂いているうちに、砂と岩だらけの荒野に放たれていた猟犬、そして勢子せこたちが、続々と獲物を狩り場に追い立ててきたようである。鷹匠を兼ねる小姓に呼ばれてメフルザード様が離れると、キンベリー大使とその無口な夫人と共に、私は天幕の下に残された。


 とはいえこちらは本来この国では人前に姿を見せないはずの妃であるし、言葉が通じることを知らせてもいない状態である。そんな気まずい沈黙が続く中で、私は遠く砂色の岩陰に立つメフルザード様の姿を、ぼんやりと目で追っていた。


 犬に追われ飛び出す小動物へと次々鷹を放っては、獲物を手に入れてゆく。こうして得られた獲物たちが、今晩の宴席に並ぶという名目である。だがそこに急に高い破裂音が響いたかと思うと、異変が起こった。彼の近くにいた小姓の一人が膝をつき、そこへ慌てたように人が集まってゆく。


 彼が狙撃されたのだと気付いた、その瞬間――同じ天幕の下にいたキンベリー大使が、悔し気に口走った。


『あっこら、先込め式マスケットはしっかり引き付けてから撃つよう、あれほど忠告したではないかッ……!』


 ――この人、絶対に関わってる!


 とっさに大使の方へと顔を向けると、彼は顔色を変えて隣に座る夫人と小さく話し込んでいるところだった。この様子では、夫人は本物ですらないのかもしれない。


 再びメフルザード様の方へと振り返ると、岩場から飛び出した男が取り押さえられたところである。その瞬間、何やら白っぽい鳥が男の懐から飛び立ってゆくのが見えた。だが――。


「ゆけ、ラフシャーン!」


 遥か荒野に響く掛け声と共に、メフルザード様の腕から黒い影が放たれる。影は飛び去ろうとする白に猛然と追い縋ると、間もなく一塊となって旋回した。掴まれた獲物の回収を鷹匠たちに託すと、彼はひかれて来た馬に飛び乗って、どうやらこちらに向かってくるようである。


 その様子を見た私はすかさず立ち上がると、そちらへ向かって走り出した。一歩天幕の下から出たところで、日中の鋭い日差しが肌を刺す。だが大使が私の同伴を願った理由が、いざという時の盾にするつもりなのだとしたら……一刻も早く、大使達から離れなければ!


「アーファリーン、無事か!?」


 彼は駆け寄る私の目の前で馬を止めると、半ば飛ぶような勢いで鞍上から滑り下りた。次の瞬間、強く抱きすくめられて――こんな人前で大丈夫!? などと心配しつつ、ほっと安堵が広がってゆくようである。


「はい。メフルザード様も、ご無事でよかったです」


「ああ。だがまだ油断はできん。さっき俺を狙った者は捕らえたが、話を聞き出す前に毒を含んで自ら命を絶った。この場に引き入れた首謀者が分からん以上、第二の襲撃がないとも限らない」


 そう言いつつもぬかりなく、彼は辺りに目を走らせる。間もなく追い付いてきた護衛たちに二、三指示を出し終えるのを待ってから、私は口を挟んだ。


「先ほど捕らえた白い鳥のようなものは?」


「ああ、おそらく伝書鳩だろう。脚に暗号文が括り付けられていたからな。鳩の行き先を追跡できれば、首謀者のところへ連れて行ってくれる可能性もあるが……問題は、飛ぶ鳥を見失わず追いかける方法だ。地上は空と違って、まっすぐに走れるとは限らないからな……」


「それ、私にお任せいただけませんか?」


 そう言って思わず身を乗り出すと、彼は驚いたように眉を上げる。


「それは構わないが……一体どうするつもりだ?」


「こんなこともあろうかと、今日も例のを持って来ているんです」


「絨毯を!?」


「はい!」


 さらに私は自分の衣裳から赤い絹のリボンを抜き取ると、メフルザード様に差し出した。


「これを吹き流しの代わりとして、鳩の脚に結わえ付けさせてください。これなら滅多に見逃すことはありません。あとは絨毯で追跡するだけです!」


「それは、確かに有用に聞こえるが……」


「急がねば、証拠を消されてしまいます!」


 私は強引に押し切るようにして、捕獲した鳩の脚に二本の長く幅もあるリボンを結び付けた。このまま放てば鳩は帰巣本能に従って、首謀者のところへ連れて行ってくれるはずである。


 天幕へと戻り侍女から絨毯を受け取っていると、メフルザード様が私の肩を掴んだ。


「待て、やはり俺も共に行く!」


「ダメです。貴方は地上から、兵を連れて私の後を追って頂かねばなりません。そしてその前に、そこのキンベリー大使を捕らえてください!」


 ざわめきと共に、周囲の視線が大使のもとへと集まった。慌てて通訳が伝えると、たちまち彼の顔色が変わる。


『なっ、何を根拠に!?』


「なぜ」ではなく「何を根拠に」なんて言ってる時点で、自白したも同然な気がするけれど……しっかりとした証拠はないから、しらばっくれられると厄介だ。ここは思いっきり驚かせて隙を作り、墓穴を掘らせる戦法しかない。私は一歩前へ出ると、頭を覆っていたヴェールを一気に脱ぎ捨てた。


『何を根拠に、ですって? あの時、そなたは言ったでしょう。「先込め式マスケットはしっかり引き付けてから撃つよう、あれほど忠告したではないか」と。あの距離で使われたのが先込め式だったなど、知っていなければ分かるはずがない!!』


『んなっ! お前その容姿っ、もしやエルグラン人か!?』


『その通り。正確には半分、だけれども』


 私は逃げ出したくなる自分を奮い立たせ、精一杯に胸を反らせると、不敵な笑みを浮かべて見せる。重要なのは、ハッタリなのだ。


『顔を隠して言葉が分からないフリをしていたということかッ! よくも騙したな!』


『誰も、言葉が分からないとは言っていないわ。そちらが勝手に、分からないものだとバカにして、高を括っていたのでしょう? 残念だけれど、わたくしは貴方の話したことは全て聞いて、よぉく理解していたわ。迂闊だったわね』


『おのれっ、小娘がッ!』


 正確にはさっきの一言しか聞けていないんだけど、こんな反応をしてしまった後では、もう言い逃れはできないだろう。


「キンベリー大使を拘束の上、丁重に宮殿の地下へお連れしておけ。私は妃と、鳩の行方を追う」


「ははっ!」


 メフルザード様と彼に従う精鋭たちが騎乗したのを見届けて、私は日除けのショールを羽織って絨毯に足を乗せた。その姿を初めて見る人々から小さなざわめきが起きるが、ある程度は例のが広がっていたのだろう。小姓の一人が抱いていた鳩を空へと放つと、私はすかさずその後を追うよう絨毯に念じた。


 飛び去る鳩の後ろを追うように、絨毯はぐんっと高度を上げてゆく。やがて鳩は荒野を抜け、皇都を囲む堀を超え、壁を超え、下町を超え――とうとう宮殿の近く、貴人たちの屋敷が立ち並ぶエリアまで到達すると、徐々に高度を下げてゆく。


 堀や壁を超えるうち、いつしか地上を追走するメフルザード様たちから少し離れてしまったが、彼なら必ず、すぐに追いついて来てくれるはずだ。鳩がとある屋敷の窓から中に入っていったことを確認して、私が上空で旋回待機していると――。


「あれは……あの空飛ぶ絨毯は、精霊の巫女姫さまではないか!?」

「まさか、本物をこの目で拝むことができるとは!」


 ――途端に屋敷の周囲に人だかりができる。私はちょっぴり恥ずかしくなって、ショールを目深に被り直してから優雅に手を振った。するとたちまち歓声が沸き起こり、私はさらに首を竦ませることになる。


 なぜこんな事態になっているのかというと、絨毯を使って何度か問題を解決する機会があり、その目撃情報が噂となって、一人歩きを始めてしまったからだ。なので魔女などと呼ばれてしまう前に、「現皇太子の第一妃は精霊の巫女である」と神格化して、発表する羽目になってしまったのである。


 だが群衆に囲まれた屋敷の主がどうにも逃げ出すことができなくなってしまったらしいのは、怪我の功名だっただろうか。


 ――内通と皇太子暗殺の指示を行った証拠を押さえられてしまっては、いくら大使に治外法権が認められていようとも、処罰を逃れられるわけがない。こうしてまた一枚、帝国は外交カードを増やすことになったのだった。



  ◇ ◇ ◇



「昨日は君のお蔭で助かった、ありがとう。だが今回は、さすがに君を危険な目に合わせすぎてしまったと反省している」


 ようやく後処理が一段落したらしいメフルザード様が私のヴィラに訪ねて来たのは、その翌晩のことだった。中に通すなり律儀に謝罪する彼に、私はあえて事もなげに笑って見せる。


「別に危険なことなんて何もありませんでしたよ? だから殿、どうぞお話はそこまでに。立場のある御方がおっしゃることではありません」


「だがキンベリーの叛意はんいに気付かず共に天幕に残し、あまつさえ一人で謀叛人の拠点を追わせるなど、一歩間違えば何があったか分からないだろう!?」


 自己嫌悪に陥っているらしい彼の両頬に手を当てて、ぐいっとこちらを向かせると。私はわざとらしく眉根を寄せて、不機嫌そうな声音を出した。


「それは、私のセリフです。銃声が響いたとき、本当に生きた心地がしなかったのはこっちの方が先なんですから!」


 この頃は父帝にならい、強い権力者に相応しい振る舞いを心掛けているらしい彼だが。やはりまだちょっと、甘いところがあるのだ。それが彼の良いところなんだけど、上に立つ者にとっては足元を掬われる原因にもなり得てしまう。


「だから、メフルザード様は優しすぎるのです! 私という配下を適切に使っただけなのだから、殿下がお気になさることではありません」


 そう言い切って微笑む私に、しかし返ってきたのは血を吐くような言葉だった。


「分かってないのはそっちだ。俺は別に、誰にでも優しいわけじゃない。俺がどれほど、君を失うことを恐れているのか……なぜ気付かない!?」


「それは……」


 ようやく彼の想いに気が付いて、私は悄然として項垂れた。あれ程までに切実な「先に逝かないでくれ」という言葉を……すっかり忘れてしまっていただなんて。


「ごめんなさい……」


 小さく謝ると、きつく背に腕が回される。

 私は自らも腕を上げると、二度と離れぬように力を込めた――。







 ...


――――――――――――――――――――

突発で書いたため、お知らせしていた番外編と内容が異なりすみません。そちらはまだ作成中ですので、また投稿した際にはよければ読みに来てください。

なお以前こちらに含めていたスピンオフの外伝は、短編に分離しました。

同コレクションに置いていますので、よければ読んでみてください。

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