第30話 期待の重み
その日のうちにサイード様と共にパラストゥー妃のヴィラを訪ねると、私は当たり障りのないところから、少しずつ事情の説明を始めた。
「――実は私の父も、幼い頃にこの症状を繰り返していたそうです。ですが弟が生まれて重圧から逃れられたとたん、すっかり治まったと言っていました。重圧になっていそうなお披露目の稽古をやめて、しばらく様子をみてはいかがでしょう」
だが私の話を聞いたパラストゥー様は、さっと顔色を変えた。
「なっ……そんなことを言って、ソルーシュの立太子を邪魔しようというのではないの!?」
想定外の提案にどうやら彼女をものすごく怒らせてしまったようだが、だがそこで
「ソルーシュ皇子の立太子を阻んだところで、私にどんな利点があるのでしょう」
「そんなもの、わたくしを妬んで、足を引っ張ろうとしているのではなくて!?」
「羨ましいと思わぬものを、わざわざ妬む必要なんてありません。皆が皆、同じ望みを持っているとは限らないんですよ」
「なっ……なんですって!?」
さらに色めき立つパラストゥー妃に対し、私は穏やかに、だが少しだけ冷たい声音で言った。
「別に、口上の練習をやめたくないということでしたら結構です。ただ……本当にソルーシュ皇子の症状が、このまま続いてもよいのですか? 少しでも苦しみを取り除いてあげられる希望があるのなら、試してみたいとは思わないのですか?」
「そっ、それは……」
途端に瞳に動揺の色を浮かべて、パラストゥー妃が口ごもる。その時、傍らの寝台に横たわっていた皇子が、小さく口を開いた。
「おかあさま、ごめんなさい……。ちゃんとできなくて、ごめんなさい……つぎはちゃんとするから……」
「ソルーシュ……」
それを聞いた彼女は、ぐっと言葉に詰まると――やがて何かを振り切るよう強く首を一振りして、言った。
「口上の練習は、中断するわ。その、自家中毒とやらだったとして……ほかに、何かわたくしに出来ることはあるかしら」
「では、手足が冷えていたら温めて、安心できる環境を作ってあげてください。嘔吐が続く間は脱水しないように、リンゴの果汁などを飲みやすいぐらいに薄めて、少しずつちょこちょこ飲ませてあげてくださいね。熱が出るようならば、
「そうね……試してみるわ」
それから数日、パラストゥー妃は自身の稽古場からも姿を消した。それに対して「
皇子の症状が落ち着いたという知らせを受けて、私は再びサイード様と共にパラストゥー妃のヴィラを訪ねた。奥の寝所へ通されると、パラストゥー妃が皇子の寝台の脇に座って手を握っている姿が見える。さらに近づいてゆくと、その親指はそっと小さな手の甲を撫で続けているようだった。
その静かな様子に挨拶するのも
「そういえば、『何でこんなこともできないの!?』と、何度も言ってしまっていたわね。それほどまでに重圧をかけてしまっていたなんて……気付かなくて、ごめんね……」
そして、再びの沈黙――。
やや間があって、ようやくパラストゥー妃はこちらへと顔を向けた。
「わたくし、皇帝になることこそがこの子の幸せなのだとばかり思って……。本当に大切なものを、見失ってしまうところだったわ。……ありがとう」
その顔は自嘲と後悔がないまぜになった色をしていたが、だが確かに、優しい笑みを含んでいる。その表情を見た私は、思わず掠れた声で答えた。
「子どもって、親に期待されたら応えたいと思ってしまうんです。それでもソルーシュ様は……こうして
「あなた……お母さまは?」
「もう何年も会っていません。私を置いて、父を追って出て行きました」
「そう……。それでもきっと、ふとしたときに貴女のことを想っているわ。そういう、ものだもの」
そんなもの、個人差が大きいものだろう。子より男を選ぶ女なんて、この世には無数にいるはずだ。だが彼女の気遣いを嬉しく感じた私は、困ったように、それでも小さく笑いながら言った。
「そのお気持ちだけで充分です」
だが私の笑みに笑みが返されることはなく、パラストゥー妃はぐっと眉を
「それにしても……なるほど、それで
「なんで……」
「言ったでしょう? 借りを作るのはキライなの!」
彼女は小声で、だがはっきりとそう言い放つと――ニヤリと不敵に、笑ってみせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます