第29話 自らを殺す毒
さらに年の瀬に近づくにつれ――奉納の舞以外の練習メニューが、稽古場の予定表へと加わった。それは、次の新年で五歳になるソルーシュ第一皇子のお披露目である。いずれ行われる立太子の儀への布石として、新年に集まった部族長や家臣たちの前で、皇子として初の
ところが、稽古が始まって間もなくのこと――皇子の身体に、異変が現れ始めた。
「かあさま……ちょっとおなかいたい……」
「あら、冷えてしまったのかしら。でもまだ全然できていないでしょう? あと少し頑張ってから休みなさい」
「はい……」
その後も眠そうに生あくびを繰り返してはやり直しをさせられていた皇子は、ようやく練習が終わったとたん母親に身を預け、トロトロとまどろみ始めた。そしてその日を皮切りに、何日も嘔吐を繰り返し……やがて吐物に茶色い血が混じり始めた頃には、継続的な毒物混入の疑いによる捜査が佳境を迎えていたのである。
「だからこの症状、明らかに中毒によるものだと言っているでしょう!? ソルーシュの立太子を
今日も大広間に集められた、全ての妃たちの前で――パラストゥー妃は捜査の責任者らしき十六、七くらいの小姓の少年へと、鬼の形相で詰め寄った。
「それは今、徹底的な調査を続けているところです! しかし厨房を始めとして後宮で皇子の口に入るものを扱う場所は全てつぶさに洗っているのですが、毒物など何も見つからない状況でして……」
「でも発熱も腸の不調もなく、典医もこれは病気ではないと言っているではないの! それで毒でもないならば、まさか
さらに詰め寄るパラストゥー妃に対し、小姓の少年は戦々恐々として首をすくめた。
「いえ、本件の責任者は自分であり……」
「はぁ!? 第一皇子の御身に関わる事件なのよ! サイード様ではないの!?」
「その、サイード様は新年の宴に向けて、皇帝陛下直々に補佐の任を
なんとか目の前の怒りをなだめようとして、彼はおずおずと言い訳めいた言葉を重ねた。だがそれは『皇帝陛下直々』という金科玉条で、ある程度の効果を得られたらしい。
「陛下の……。もういい、アナタ達では当てにならないわ。皇子はわたくしがお守りしますから!!」
パラストゥー妃はそう大きく声を上げると、かたわらで椅子の背にもたれるように座っていた皇子の肩を、強く抱きしめた。
そんな彼女は、息子の不調を毒のせいだと本気で考えているようだけど……彼の、あの様子を見た感じでは――。
ふと思い当たってさっきの小姓の方を見ると、ちょうど広間から逃げるように退出しようとしているところである。私は急いで、だがさりげなくその後を追いかけると、心当たりがあることを伝えた。
「こっ、これはアーファリーン様……! ああ、
すると小姓の少年は、まるで涙を流さんばかりに喜んで――後で私のヴィラを訪ねると約束すると、いったん外廷へと戻って行った。
◇ ◇ ◇
数時間後――。私のヴィラを訪ねて来たのは先ほど約束した小姓ではなく、見慣れた人である。応対に出た私は思わず目を丸めると、驚きの声を上げた。
「サイード様! お忙しかったのでは……」
「それが、皇子の件では陛下もいたくご心痛にあらせられてな。アーファリーン妃に知恵を借りてこいとの仰せだ」
「それは……大変光栄にございます」
あまりの不意打ちに絶句してしまった私に、サイード様は侍女が勧めた椅子にも座らぬままで、真剣な顔をして先をうながした。
「ところで、心当たりがあるとのことだが」
「は、はい! 中毒らしき症状がみられるにも関わらず、どうにも毒物や食物による原因が見つからないというのなら……自家中毒の可能性があります」
「自家の……中毒だと?」
今度は、彼が驚きに目を見開く番である。対する私は神妙な顔をして、深くうなずいた。
「はい。小さな子どもに見られる症状で理由には様々なものがありますが、原因のうち一つに極度の緊張があります。母親への依存度が高く、線の細い子どもに多いという特徴とも一致しております」
「極度の緊張……お披露目の口上か」
「恐らく。……つい先日、皇子の呼気から腐ったリンゴのような甘ずっぱい匂いがしていることがありました。それも、自家中毒症の症状の一つに当てはまります」
出来が悪いと怒られて、出来が良ければ笑ってくれる。もっと褒めてもらいたくて、がんばっているのに、でも、なんで上手にできないんだろう――
――もう子どもじゃない自分にだって、そんな状況はすごいプレッシャーなのだ。まだ幼い皇子にとって、その重圧はいかほどのものだろう。
だが今回の件も、残念ながら私に示せる証拠はない。そこで私はサイード様と相談し、パラストゥー妃に治療方法を提案することにした。もしそれで症状が改善するならば、ある程度は仮説が正しかったと言えるだろう。
もう、実践してみるしか検証の方法はない。だがあのパラストゥー様が、証拠もない話をすんなりと受け入れてくれるだろうか――。
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