第31話 因縁の精算

 奉納の舞を完璧に終えて――私たちは舞台の上で、皇帝陛下へと向かって一斉にひざまずいた。とたんに割れんばかりの拍手が起こり……同時に演目の途中は静かだった観衆たちの間に、再びのざわめきが戻る。


「あの娘、なんと美しい……まるで水の女神そのもののようではないか」

「なんでも、あの砂漠一の美姫と呼ばれたロシャナク族のアナーヒターと、西方人との間に生まれた娘らしいぞ」

「おおそれで……異国情緒がまたなんとも、魅惑的よのう」


 そんなざわめきのはざまに聞き覚えのある名を聞きつけて、私は耳をそばだてた。だがそれは単なる賞賛の声だけで、その名を持つ人間の行方を示すものではないらしい。私が少しだけ落胆していると、頭上から皇帝陛下の御声がかけられた。


「我が妃たちよ、素晴らしい舞であった。特に今年の水の女神は、まるで本物と見紛うほどだと評判ではないか」


「お褒めにあずかり、恐悦至極に存じます」


「第十六妃アーファリーン、そなたには特別に褒美を取らせよう。何なりと申すがよい」


 観衆たる、並み居る部族長たちの耳目を集める中で……私は深くこうべを垂れたまま、静かに口を開く。


「では……我が義父ちちに、偉大なる皇帝陛下へ直々に御挨拶させていただく栄誉を賜れますでしょうか」


「ほう……許そう」


 実はここまで、皆さまへ角が立たないよう事前に根回ししておいた通りの展開である。名を呼ばれた義父は初めて見るような得意げな笑みを満面に浮かべて席を立つと、揉み手をしつつ御前へと進み出た。後ろに引き連れているのは、私の方へチラチラと意味ありげな視線を向ける婿殿と、苛立ちが隠しきれていない様子の義妹との、二人である。


おそれ多くも御前にはべりまするは、ロシャナク族長ベフナームにございます。いやはや、アーファリーン妃様のなんとお美しかったことでしょう! ながら、鼻高々でございました!」


 義父は陛下に向かい両ひざを突き、叩頭こうとう――つまり額を地に着ける型の挨拶を終えたところで、心にもないだろう賛辞を述べる。そしてさっそく次代のロシャナク族長として、自慢の婿殿をいそいそと陛下に売り込み始めた。紹介を受けて力強く名乗りを上げるカムラーンへ、だが陛下は詰まらなさそうに目をやると……にこりともせずに、口を開いた。


「そなたは『獅子殺しの勇者』と呼ばれているそうだな」


「はっ! 私めはかつて部族の成人の儀にて、砂漠の獅子を仕留めましてございます!」


 だが不穏な様子に気付かないカムラーンは、ひざまずいたままそう声を上げて胸を張る。


「ほう、それはそれは素晴らしい狩りの腕を持っておるようだな。ところで……余の名『アルサラーン』の語源を知っておるか?」


「そ、それは……不勉強で……」


 だがそう言うカムラーンの顔面は、すぐに蒼白になった。きっと彼は、本当は気付いてしまったのだろう。『アルサラーン』とは、この国の古い言葉で――『獅子』という意味なのだ。


「知らぬのならば、それで良い。だが……狩場を、間違えるなよ?」


「は、ははーっ!」


 途端に緊迫した雰囲気に、義父も慌てたように床へと叩頭こうとうして見せる。その姿を見届けた私はあえて衆目にアピールするかのように、パラストゥーせんせい直伝の甘やかな声を、言った。


「わたくしの寛大なる皇帝陛下、もうひとつだけ、ご褒美をおねだりしてもよろしいでしょうか?」


「なんだ、そなたがおねだりとは珍しいな……よい、何なりと申せ」


「では、わたくしめに……久方ぶりにと水入らずで過ごす時間を、どうかくだされますよう」


「なんだ、そんなことか。構わん。だが、妃には常にともの者をつけねばならぬのが規則だ。……サイードを連れてゆけ」


 そこまでは打ち合わせになかったが、勘の鋭い陛下はどうやら私の様子から何かを汲み取ってくださったらしい。筋書はかなり変わりそうだけど、見張りがサイード様ならば好都合だろう。


「かしこまりました」


 陛下の傍らにひかえていたサイード様が、すぐさまそううなずいて……皆で連れ立ち、面会用に用意された別室へと向かうこととなった。



  ◇ ◇ ◇



 ――この宮殿では珍しく、入口に扉のある部屋が閉ざされるなり……もう我慢できないといった形相で、アルマガーンが口を開いた。


「ちょっとあんたファリンのくせに、下っ端の妃になったくらいでいい気になりすぎでしょ!? 本当は、私がそこにいるはずだったんだから! あんただけが特別だなんて、思わないことね!!」


「女、妃に対して無礼である」


 だがそこですかさずアルマをたしなめたのは、彼女の父でも夫でもなく、私の後方に離れて立っていたサイード様である。するとアルマは扉のそばにひかえる彼の方へチラリと眼をやると、小さく鼻でわらって無視を決め込んだようだった。


「なによ、偉そうに! 妃だなんて言って得意げな顔してるけど、しょせんは大勢いる中の一人じゃない。たった一人だけを愛し愛されている私の方が、女として何倍も幸せに決まってるんだから!」


「いいかげんにしろ。妃や後宮に対する侮辱は、皇帝陛下のご威光への侮辱にあたる」


 再度の注意を重ねた彼に、アルマは肩をいからせつつ顔を向けた。


「なによ、その服、小姓のお仕着せでしょう!? まあ、多少見目みめは良いから皇帝陛下のお気に入りなのかも知れないけれど……しょせん下僕ごときが、上から目線で口を挟まないで!」

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