最終夜 ナイト・フライト
第40話 私の願いは
宮殿に戻り私をヴィラまで送り届けると、サイード様は外廷へと消えて行った。陛下への報告は全て、自分ひとりで行うと。
必ず迎えに行くから待っていてくれという彼の言葉を信じて、私はじっと、不安に身を震わせながら耐え続けた。だが五日がすぎ、そして七日が過ぎたところで……彼が私のところへ来ないばかりか、他でも全く姿を見ないことに気がついた。それは皇帝陛下も同様で、後宮への訪れが全くなくなっていたのである。
――やはり、あの報告は何か問題を引き起こしたのではないだろうか。こんなことになるのなら、何がなんでも同行させてくれと頼むべきだった!
思いつめた私は、とうとうマハスティ様に本当の事情を話すことにした。だが「後宮を出て探しに行きたい」という頼みについては、申し訳なさそうにお断りされてしまった。なぜか宮殿中の警備が強化されていて、チェックが厳しくなっているらしい。
「わたくしの小姓に命じて外を探ってあげるから、あなたはじっとしていて」
彼女から親身に説得されて、私はマハスティ様のヴィラで彼女付きの小姓の帰りを待った。
空が暗くなり始めた頃にようやく戻って来た少年の話では、なぜか外廷はどこも張り詰めた雰囲気だったらしい。だがその理由はといえば、はぐらかされるか知らないかのどちらかで、全然聞き出せなかったとのことである。そして肝心のサイード様本人の姿も見つけることはできず、誰に聞いても深刻な顔をして「言えない」の一点張りだったというのだ。
それを聞いて動揺をあらわにした私に、マハスティ様は気にしすぎだと言って背中を撫でた。でも、単に下賜の許可を得るだけで……こんなにも
今夜はこのまま泊まって行くようにとマハスティ様は提案してくださったが、私はそれを丁寧にお断りして、彼女のヴィラを出た。自室へと向かいとぼとぼと歩いていると、悪い考えばかりが頭に浮かんでくるようだ。
この程度で考え過ぎだということは、私にだって分かってる。でも私はまた、大事な人に置いて行かれるのだろうかと思うと……ただ待っているばかりのこの状況は、この上なく辛いことだった。
『父さまを連れて必ず帰ってくるから、だから、良い子で待っていてね』
そう言って、母は消えた。
『必ず、必ずすぐに迎えに行く。だから陛下のお許しを賜るまで……少しだけ、待っていてくれ』
そう言って、彼も消えた。
なんでいつも、私ばかりが、待って――
――なんで、待たなきゃいけないの?
私はハッとしたように顔を上げて駆け出すと、自分のヴィラに戻って居室に向かう幕を跳ね上げた。そこで目をぱちくりさせていたのは、小さな白いトラである。
「なに? そんな慌てて」
「バァブル、私、今すぐサイード様に会いたい! 彼を探しに行くのを、手伝ってくれない!? 迎えが来るのをただ待っているだけなんて、もうやめたい。二度と会えなくなってしまわないように、自分から迎えに行きたいの!」
彼の無事を確かめて、もし危険な状況なら助けたい。そう勢い込んで言った私に、バァブルは小さく首をかしげた。
「それって、お願い?」
「うん。
私がハッキリとした声音で言うと、彼はニヤリと笑ってみせる。
「確認だけどさ、『連れて来る』んじゃなくて、『迎えに行く』でいいんだよね?」
「そう。
「よし。じゃあ出発の準備ができたなら、また声をかけてよね!」
「うん!」
私は急いで鏡の前に立つと、意を決して砂色の髪を左手でつかんだ。あの日サイード様に見つかって以来、ずっと伸ばし続けていた髪――。だが私はかつて何度もそうしたように、毛の半ばに小刀の刃を当てた。
カツラに納まりきらないからと切り落とされた毛束が手中に残るたび、かつては心が痛んだものである。だが今は、これは自分の意思なのだ。
私は胸にぎゅっと晒し木綿を巻きつけて少年の姿になると、しばらく着ることのなかった小姓のお仕着せに身を包み、バァブルに声をかけた。
「準備万端だよ。お願いします!」
「その願い、叶えてしんぜようー!」
待っていたかのようにその小さな両前足で天を仰ぎ、バァブルが吠える。
するとボムンっという音と共に湧き上がった煙が薄まると、出てきたのは人ひとりがゆったり寝転べそうなサイズ感の絨毯だった。くるくると巻かれている時の大きさは、私でもなんとか片腕で抱えて持ち運べるくらいだろうか。
「え、絨毯?」
「そう。でもただの絨毯じゃないよ。広げてごらん!」
そこそこ厚みのある絨毯の一辺をつかんでブワりと広げると――それは地面に落ちることなく、そのまま膝くらいの高さにとどまっているではないか。
「うそ、浮いてる!?」
「これで飛んで、壁を超えるよ!」
「えっ、飛ぶの!?」
「そうそう。ほら、わかったなら外に行こう!」
再び巻いた絨毯を腕に抱き、バァブルの魔法で居眠りを始めた侍女たちを起こさないよう、私はそっと庭へ出る。そして外廷との間を仕切る壁際まで走ると、再び絨毯を振り広げた。
月明かりの下でおっかなびっくり足を乗せると、絨毯はまるで生きているかのように、ぐおんっと強くたわんで足の裏で波を打つ。これでは足場と呼ぶには弾力がありすぎて、まるで綱渡りのようである。だが私は勇気を出して力を入れると、そこから先は一気に飛び乗った。
「よし。それじゃあ行くよ、慣れないうちはしっかり掴まっててね!」
「うん!」
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