第41話 Night Flight

 端に付いた豪華な房飾りフリンジをぎゅっと握りしめ、うなずき返した瞬間。ぐいんっと引っ張られるような感覚と共に、絨毯は一気に加速した。夜闇の中を壁沿いに滑るように飛びながら、徐々に高度を上げてゆく。充分に加速したところで、ぐっと鎌首をもたげると……絨毯はぶわりと、一気に夜空へ舞い上がった。


「わあっ……!」


 眼下には、まるで広大な宮殿の敷地を一望できるかのような景色が広がっている。夜半にもかかわらず未だ働いている者たちがいるようで、月夜の宮殿の各所には、赤いかがり火の光が見えた。


「あそこ、あまり灯火のないあたり。あのあたりに下ろしてくれる?」


 かつての入念な取材の記憶をなんとか呼び起こし、私は安全に降りられそうなエリアに向かって指をさす。


「それじゃあさ、そっちへ行きたいって、心の中で念じてごらん?」


「え、私が!?」


「その通り。だいじょうぶ、この絨毯の主人マスターは、もう君だから」


「……やってみる」


 心の中で強く念じると、絨毯はたちまち加速した。


「うっ、わわわわわ!」


 驚いてとっさに止まるように念じると、絨毯は急停止して私は盛大に前へとつんのめる。さんざん揺さぶられながら、ようやく外廷でも人気ひとけの少ないエリアにふわりと降り立つと、私は絨毯を巻いて両腕に抱えた。


 さて外廷へ忍び込むことはできたけど、もしサイード様が捕らえられているとしたら、居る確率が高そうなのはやはり地下牢あたりだろうか。私が少しだけ進む方向に迷っていると、バァブルがこちらにクリッと青い瞳を向けた。


「アイツのニオイ、たどってあげようか?」


「願いはもう言ったのに、また頼んでもいいの?」


「アイツを探す手伝いが君の願いだからね、これも願いの一部だよ」


「じゃあ、お願い!」


 人とすれ違うたび、両腕で抱えた絨毯で、さりげなく顔を隠してやり過ごす。そうして地面に鼻をつけるようにしてニオイを辿るバァブルの後をついて歩くと、やがて辿りついたのは……あの外廷の奥にある、皇帝陛下の休息所だった。


 垂れ重なる天幕にそっと近づいてゆくと、中から小さな話し声が聞こえてくる。私はすぐにでも突入したいのをぐっと我慢すると、薄幕ヴェールの陰にうずくまった。そして、かつてもそうしたように、そっと中の様子を探る。


 だがこちらに背を向けて陛下と話しこんでいる人物が着ているのは、小姓のお仕着せではない。陛下のご衣装にも見劣りしないその姿は、まるで――。


「でも、この声は……!」


 どんな格好をしていても、この声を忘れるはずがない。


「誰だ!? ……って、アーファリーン! なぜこんなところに!?」


「あの私、ただ待ってるだけじゃ不安で……。もしサイード様に何かあったなら、助けなきゃって……」


「そんな理由で、再びここまで来るという危険を冒したというのか!? まったく、もしかしたらと後宮の門の警備は強化しておいたのに、一体どうやって抜け出してきたんだ……」


 迷惑、だったのだろうか。彼の呆れたような声音に、私は肩を竦めて小声で謝った。


「ご、ごめんなさい。行方が分からないと聞いてしまったら、居ても立っても居られなくて……」


「いや、心配させたようなのは、本当にすまなかった。それと……そこまでして助けたいと思ってくれたのは、その、とても嬉しく思う。……ありがとう」


 その表情は本当に嬉しい人が浮かべるもので、私はほっとして、満面の笑みを返した。


「いいえ。サイード様がご無事で、本当によかった!」


「そなたら……二人の世界に浸るのはよいが、よもや余の存在を忘れておるのではあるまいな」


 そこに割り込んで来たのは、呆れ果てたような男性の声である。


「陛下!」


「も、申し訳ございません!」


「まあよい。ここまで知られてしまったのならば、アーファリーンにも話しておいた方がよいだろう。まあ、余の目論見もくろみ通り、というところだが」


「目論見、ですか……?」


 訝しげな顔をするサイード様に、陛下は苦笑した。


「初めてここで相対あいたいした時から強く興味を惹かれておるようだったから、散々機会を作ってやったというのに……あまりにも煮え切らん態度に苛立って、こんな良い女、もういっそ奪ってやろうかと思ったぞ」


「なっ……父上、お戯れを!」


「フン、若いくせに無駄に理性的で、さっさと腹をくくらんお前が悪い」


 気楽に胡坐あぐらをかき、ジト目で腕組みをするその姿は……どうにも威厳あるいつもの皇帝陛下のものとは思えない。それに、今聞こえた呼び方は――


「え、父上って……」


 驚いて聞き返すと、返ってきたのは想像もしていなかった事実だった。


「ああ、こいつの本当の名は、メフルザードという。ようやく帰って来た、の息子だ」


「ええっ、サイード様が、陛下の!?」


 驚く私に気まずそうに頷いて見せたサイード様の正体は、実は皇帝陛下の死んだと思われていた第一子、メフルザード様なのだということだった。後を絶たない刺客しかくの手から守るため、あのとき母子共に亡くなったことにして、状況が落ち着くまではと姉に託したのだという。


 だが長じても第一皇子としてアルサラーン陛下の息子に戻ることをかたくなに固辞こじする彼に、陛下は一計を案じたということらしい。


「確かに、お前には皇位を継ぐには少々真面目で優しすぎる部分がある。だが……ようやく見付けられたのではないか? それを補ってくれる存在を」


「……はい」


 皇帝陛下は目を細めて息子を見ると、満足そうに笑って言った。


「では、そろそろ夜も更けた。を、自室まで送ってやれ」


「かしこまりました」


「お前達は、互いの真実ほんとうの願いを……見失わぬようにな」


 私たちは深く頭を下げると、部屋を後にした。

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