最終話 それじゃまた、元気でね

「あの、サイード様」


「すまないが、小姓頭のサイードは役目を終えた。俺の本当の名は……メフルザードという。どうかこれからは、メフルザードと呼んでくれないか?」


「はい。……メフルザード様。またこうして無事にお会いできて、本当によかったです」


「ああ、それについては内密のことだったので、あの時は明かせずすまないことをした。だが君にだけは、何であろうと知らせておくべきだったな。しかし……君がそれほどまでに強く俺を想ってくれていた事が知れたのは、正直言って、嬉しいんだ」


 彼は目を細めて微笑んでから、しかし一転して、困ったようにため息をついた。


「それにしても、一体どうやって後宮を抜け出したんだ? この宮殿の警備は、そう簡単に破れるものだとは思っていなかったんだが……」


「それは……この魔法の絨毯を使って空を飛んで来たからなんです」


「絨毯で空を飛んだ……だと!?」


「はい!」


 私は並んで歩いていたメフルザード様から離れて、開放型の廊下から暗い庭の方へ降り立つと。ずっと小脇に抱えていた絨毯を、ぶわりと中空に広げて見せた。


「浮いている……。一体これは、なんなんだ!?」


「あの魔法の楽団みたいに、これもバァブルに出してもらったんです」


 いつの間にか足元に合流していた小さな精霊ジン様の方に目を向けると、子トラはニヤリと笑ってその小さな胸を張る。


「なるほど、精霊様の魔法か……この絨毯、俺も乗せてもらうことは出来るだろうか?」


 メフルザード様の問いかけに、子トラは頭をコクリと下げた。


「大丈夫みたいですね」


「では……少しだけ、帰りは寄り道をしてもらってもいいか?」


「寄り道?」


「ああ。この国を、広く眺めてみたいんだ」




 昼間とは打って変わって涼やかな砂漠の夜空を、私たちを乗せた絨毯はすべるように進んでゆく。吹く風になびく前髪をかき上げながら、彼は呟いた。


「ああ、美しいな。家々の灯火ともしびが、どこまでも遠く拡がっている。あの一つ一つの街明りそれぞれに、人々の営みがあるんだな……」


 眼下に続く皇都の灯を眺めつつ、しばしの沈黙が続く。やがて都の上空をすぎ、星明りも静かな永遠の砂漠の上を進みながら、彼は口を開いた。


「君の髪の色……月夜に輝く黄金の砂漠に似ているな。とても綺麗で、俺の大好きな故郷の色だ」


「あ、ありがとうございます……また、短くなっちゃいましたけど」


「それも、俺を探しに来るためか……? すまない。だが、初めて話しをした時を思い出すな。そっちもよく似合ってる」


 目を細めて見つめられ、私は思わず、熱くなった顔を伏せる。私も何か伝えたいと言葉を探しているうちに、先に話を始めたのは彼だった。


「君は俺を助けに来たと言ったが、それで助け出した後、どうするつもりだったんだ? 今ごろ地位も財産も全て失って、砂漠を彷徨さまようお尋ね者になっていたかもしれないだろう?」


「それは……貴方と二人でなら、行商でもしながら世界中を旅してまわるのも楽しいかなって。私、けっこう苦労には慣れているんです」


「それ、本気で言っているのか?」


「本気じゃなければ、こんなふうに飛び出してきたりしていません。……ご迷惑でした?」


「ははっ、いや。それもアリだな、二人なら!」


 嬉しそうな笑い声と共に肩を抱き寄せられて、私はこの選択がやはり間違っていなかったのだと考えた。こうやって、母さまも父さまを追って飛び出して行ってしまったのだろうか。――ほんと、親子ってダメなところばかりが似ちゃうんだから。


「正直に言うと、俺は恐れていたんだ。常に暗殺に怯える生活なんて、まっぴらだ。覇王の後継者なんて、俺なんかには荷が重すぎる、と。大宰相として陛下の治世を助けたいなどと言いつつも、俺は先頭に立つ者の責任から逃げていた。だが君が隣を歩んでくれるなら、俺はこの国を守るために戦える」


 ――私はずっと、この人のことを恵まれたお坊ちゃんなのだと思ってた。だから全てに前向きで、輝けるのだと。でも本当は、実母を殺され、実父を父と呼ぶことが許されない状況で幼少期を過ごしても……それでも、自分が信じるものを真っすぐに見つめていたんだ。


「私も、自分の気持ちに真っすぐに生きたい。貴方と共に。貴方の作る未来の、助けになりたい!」


「ありがとう。だがどうか……絶対に俺より先に逝かないと、約束してはくれないか?」


「はい。何があっても最後まで考え抜いて、あがいてみせます。絶対に!」


 そう笑顔で応えると、サイ……いえ、メフルザード様の腕に、ぐっと力がこめられる。横にチラリと視線をやると、バァブルはそっぽを向くようにして丸い毛玉になっていた。


「愛してる。何があっても、必ず守り切ってみせる。だからずっと、共に――」


 フワフワと風にそよぐ白い背中に、心の中でお礼を言うと。

 私はそっと、目を閉じた――。



  ◇ ◇ ◇



 ――後日、隠されていた第一皇子のお披露目、及び立太子の儀が、華々しく執り行われた。それと時を同じくして下された御言宣みことのりは、もう一つある。


『ロシャナク族のアーファリーン。本日付けで、余の第十六妃の任を解く。改めて、皇太子メフルザードの第一妃に任ず』


 こうして私の肩書は変わったが、実はまだ皇帝陛下の後宮に住んでいる。気まずいようなら別に宮を用意しようかとも言われたが……やはり皆と離れるのは、寂しかったのだ。


 もう逃げ出したくないと思った私は、レイリとアーラに正直にメフルザード様のことが好きだと打ち明けた。すると二人から返って来た反応は、予想外のものだった。


「こんの裏切りものぉ〜っ! なんて、そうじゃないかなーとは、ずっと思ってたんだけどね?」


「そうなの!?」


 驚く私に、レイリは両手を口許に当ててニマニマと笑って見せる。


「だって、無意識に見つめあっていたりとか、お互いの背中を目で追っていたりとか、すっごくバレバレだったもの。ねぇ、アーラ?」


「うん、バレバレだったわ。でも藪ヘビでファリンがここに居られなくなったら困ると思って、あえてツッコむのはやめておいたのよね」


「ええ、絶対にバレてないつもりだったのに……」


 驚きつつも、深い安堵に包まれる。この二人は知っていたのに、ずっと変わらない態度で接してくれていたのだ。ホッとする私に、しかしレイリは不安そうな視線を向けた。


「でもそれじゃあ、ここは陛下の後宮だから……サイ、じゃなくてメフルザード様のところへ行くなら、もしかしてファリンいなくなっちゃうの!?」


「それが、引っ越したいかと聞かれたんだけど……お断りしちゃった。みんなと、離れたくなくて……まだ、ここにいてもいい?」


 おずおずと言い出した私を、レイリとアーラはぎゅっと抱きしめながら言った。


「「もちろんでしょ!」」

「「「よかったー!!」」」


 深く考える必要なんて、何もなかった。

 ただ一緒にいると楽しい。

 私たちはそれだけで、よかったんだ。


「そうと決まったら、今日は夜通しゆっくり萌え談義でもしようよ! さっそく陛下の新しいお相手を探さなきゃ。あのはもういなくなっちゃったし、親子だって聞いちゃったら、なんか違うなって感じだもんね」


 そう言って困ったように首をかしげるレイリに、私も同じように首をかしげてみせる。


「でも、他に適任者なんて……」


 するとアーラが指をピンっと立てて、ニンマリと笑いながら言った。


「そういえば、陛下と敵対する者としてよく登場している大宰相……実は本当に政務の場で無礼にも陛下に意見することが多い方なのだけれど、なぜ罷免しないのかと陛下に伺ってみたのよ。そうしたら、『余に諫言かんげんできる命知らずなど、あの者だけだ』と言って面白そうに笑っていらっしゃったの!!」


「なにそれ……すっごくイイ!!」


「じゃあまず、二人がお互いを意識し始めたきっかけは……」


 こうして、りない私の変わったようで変わらない日々は、まだまだ続く――。



  ◇ ◇ ◇



 ――ついにバァブルにお願い事をした、あの夜のこと。後宮へと戻り、その一角に降り立った瞬間……彼は言った。


「じゃあボクは、そろそろ行くね。その魔法の絨毯は餞別せんべつにあげるよ」


「行くって……どこへ?」


「キミの願い事は完了したから、そろそろ油燈ランプの中に戻される時間だ」


「そんな!」


 ずっと一緒にいたから当たり前になって、すっかり忘れてしまっていた。バァブルはもともと、百人の子孫の願いを叶え終えるまで……ランプの中に閉じ込められていたのだということを。そして私の願いが叶えられた今、またランプの中へと戻されてしまうのだ。


「そんなに心配そうな顔しなくても、キミがこの油燈を手放しさえしなければ例の義妹たちの願いを叶えに行くことはできないよ。だからちゃんと、大事に保管しておいてよね!」


「そんな……そんなのダメ! すぐに義妹アルマに頼んででも、また外にっ」


「その必要はないよ。キミのご先祖様たちは、ずっと信頼できる子孫にだけボクを伝えてきたんだ。そのおかげで、いつもなかなかに悪くない仕事ばかりさ」


「バァブル……」


「なーんてね、アイツらなんかムカつくからヤダ」


 ペロリと舌を出す子トラに、私は思わず小さく噴き出した。


「あはは、そっか!」


「ねぇファリン、短い間だったけど……ここでキミと過ごした日々は、とっても楽しかったよ。いつかもしキミたちに子どもが生まれたら、またボクを呼んでよね」


「うん、また呼ぶね。きっと!」


 目の前の小さなトラは徐々に薄くゆらめいて、白い煙になってゆく。思わず駆け寄った私の両手は、もはやくういただけだった。



 ――それじゃまた。元気でね!






 

――――――――――――――――――――

あとヒーロー視点のエピローグが一話で、完結です。

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