第37話 死者は微笑む
衣装櫃が運び込まれた内廷に繋がる門をこっそりと叩くと、話が通っていたらしい門兵に、すぐさま中へと招き入れられた。
そこにいたサイード様の話によると、デルカシュ様は今、典医によってご遺体の検分を受けているのだという。だが今簡単に分かっていることだけでも、少なくとも新しい外傷は認められないということだった。
主のいなくなった衣装櫃のみが置かれた部屋に入るなり、私はサイード様へ頼み込んだ。
「どうか、この衣装櫃とその中を、私に調べさせてください!」
「ああ、君の協力に感謝する。何か
「かしこまりました。ただ私……少し気にかかることがあるんです。サイード様は、どうぞ下手人が別に存在する線で捜査を進めてください。私は……もう少しだけ、中から
「中から……つまり君は、この事件がデルカシュ妃の自作自演だとでも言いたいのか?」
「……まだ憶測の域を出ませんが」
「君がそう言うのなら、きっと理由があるのだろう。……よろしく頼む」
◇ ◇ ◇
私は無地の大きな布を借りて床に敷き、衣装櫃の中にあった花を一本ずつ、その上に並べていった。それを片端から、記憶をもとに父の手記や書物との照合をすすめてゆく。すると……とうとう、気になるものが見つかった。それは色鮮やかな大輪の花々の間にひっそりと紛れ込んでいた、白く小さなレースのような、可憐な野の花である。
その名は、ドクゼリ。強い神経毒を持つその花を口にすると、顔面の神経麻痺を引き起こし――その
ひとまず死因は仮定できたから、次は衣装櫃の中から鈎を掛ける方法の検証である。私はデルカシュ様のものと全く同じタイプの衣装櫃と赤い糸を用意してもらうと、蓋を持ち上げ中に足を踏み入れた。頑丈な木製でそれなりの大きさを持つ蓋は、なかなかの重さである。
私は木箱の中にしゃがみ込むと、身長の半分ほどの長さがある糸の中ほどを、外にある鈎の曲がったところに引っ掛けた。糸の両端を持ったまま中に寝そべりつつ、そっと蓋を下ろす。すると目論見通り、櫃と蓋の間には、糸を滑らせられる程度には細い隙間が開いている。それを確認してから糸の両端を揃えて慎重に引いていくと、やがてカシャンっという、鈎の掛かる音が聞こえた。
押しても蓋が開かなくなったことを確認したら、今度はそっと糸の片端をひく。それをくるくると左手の小指に巻き取ると、私はため息をついた。これで、密室の作り方も、仮定できたと言ってよいだろう。
さて、検証も済んだし、そろそろ外に出ようか……そう、思ったときである。びくともしない蓋を手で押しながら、私はハッと我に返った。
「あれっ、そういえば……中から開かないじゃん、これ」
そういえばここは内廷だから、いつもはさり気なく付いてくる侍女たちもいないのだ。
「すみませーん、誰かいませんかー!?」
櫃の中から叫んでみたが、どうやら返事はないようである。どうしよう……。
しばらく蓋を叩いたり声を上げてみたりはしたけれど、声が籠もって響きにくいのか、そもそも人が近くにいないのか、全然気づいてもらえる様子がない。
もしかして私、このまま……
微笑んだまま冷たくなった彼女を思い出し、私は身を震わせた。なんで私、いつもこんな後先考えないことをして――
「アーファリーン妃? いないのか?」
――その時。なぜかひどく懐かしく感じる声がして、私は飛び起きた。
「私はここです! あけてくださーい!」
蓋を叩いて声を上げると、すぐにカチャりと鈎が開いて、暗かった箱の中に光が差し込んだ。
「どうした、誰かに閉じ込められたのか!?」
「それが……仕掛けを試していたら、ついうっかり」
差し出された手を掴みヨロヨロと立ち上がる私の姿を見て、サイード様は呆れたようにため息をついた。
「君は慎重なのか突飛なのか、行動が全く読めないな」
「すみません……ただ、中から鈎を掛ける方法は見つかりました。それと、ご遺体を笑わせる毒草も、この花の中に見つかりました。ただ可能だったというだけで、それが真実だと示す証拠は、まだないのですが……」
「そうか……。こちらも、検死が終わったと伝えに来たところだ。ではいったん陛下に、途中経過を報告しにゆこう」
◇ ◇ ◇
「――という方法ならば、自らあの状況を作り出すことが可能です。さらに典医の見立てで中毒症状がみられたとのことからも、彼女は、ドクゼリによる自殺だった可能性が高いと考えられます」
検死を行った典医に次いで、私はアルサラーン陛下へ一通りの調査報告を終える。だが陛下は眉を顰めると、低く口を開いた。
「だが可能だというだけだろう? そう断定する証拠もない状況で、なぜ、そなたはデルカシュを自殺だと示すのだ。納得のできる理由がないのなら、余はそなたを真犯人と疑わねばならぬのだが。今説明した方法は、どれもそなたがそう見せかけるよう仕組んだこと……そうとも、考えられるのではないか?」
「陛下! それはっ」
とっさに私を庇うようサイード様は声を上げてくれたが、しかし陛下は私から視線を外さないままで、はっきりと言い放った。
「サイード、余はアーファリーンと話をしておるのだ」
だがその視線はただ鋭いだけのものではなく、強い苦悶の色に染まっている。私は覚悟を決めると、口を開いた。
「実は……ずっと気になっていたことがあるのです。この一年ほど、この後宮で起こった数々の事故……デルカシュ様ならば、発生を煽ることができました」
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