第38話 真相と、真実と

 いつも何かが引っかかるたび、私はそれとなく関係する人々から話を聞いて回っていた。するとその全てにデルカシュ妃が、一見好意的に感じる『贈り物』を通して関わっていたということが、発覚したのだ。


 彼女の出身は、砂漠の西端にある交易都市の長の家である。珍しい交易品にも詳しい彼女は、いつも流行の発信源だった。木靴を流行らせ私に贈ってくれたのも、バハーミーン様や他の妃に猫をすすめたのも、輸入品の大百合を庭園に植えて部屋まで配るよう手配したのも、全て、デルカシュ様の采配によるものだ。


 使用人たちへの褒美を名目にノミ付きの毛皮を大量に後宮内に持ち込ませたのは、はたして偶然のことだろうか? 不運を慰めこそすれ、誰も彼女を責めることはしなかったけれど……もし、あの大発生したノミたちが疫病など媒介していたら? あの程度の騒ぎでは、終わらなかったことだろう。


 そんな彼女の『贈り物』は、物品だけではない。水の女神役に抜擢された私に、「絶対にできるから自分を信じて!」とニコニコしながら言ったのと同じように……ソルーシュ皇子にも、皇帝陛下唯一の男子に期待していると、褒め言葉を贈り続けていたというのだ。


 この齢でなんと利発なのか。まさに後継者に相応しい。すぐに立太子させよう。これで帝国は安泰だ、と……ソルーシュ皇子が繊細なタイプであることを分かった上で煽り立て、パラストゥー妃と皇子に強いプレッシャーを与え続けていたのである。


 そして陛下が毒気に弱いということが判明した後に、皇帝しか入らない正妃の部屋の壁を……新年を名目に、わざわざ輸入した綺麗な青い塗料で塗り直しさせたのも、彼女だった。


 どれもこれも、ほんの少し背中を押しただけのこと。どれも、確実に事故につながる確証のある方法じゃない。でも、その小さな呪いの種が、次々と無数に撒かれたら? ……いくつかの種は芽吹いて、やがて事件に育つのだ。


「だがなぜ、そのような陛下への裏切り行為を……デルカシュ妃の実家も今やすっかり帝国に恭順きょうじゅんしているし、本人にも利などないはずなのだが」


 困惑したような顔を見せるサイード様に、私は沈んだ声音で言った。


「マハスティ様に伺ったのですが、デルカシュ様が最期に纏っていらっしゃった婚礼衣装……陛下のもとに嫁いで来られたときのものとは、異なる衣装だったそうなのです。私には、それがどうにも気にかかります……」


「それはつまり、他に通じる男がいたということか!?」


 そうサイード様は驚きの声を上げたが、だがそこで、検死を行った典医が口を開いた。


「いや、それはないかと……デルカシュ様は、未通女でございましたので」


「え、デルカシュ様が!?」


 次は私が驚きの声を上げると、陛下が沈んだ声音で言った。


「そなたと同じだ。泣きじゃくる者を無理に抱くほど余は不自由しておらぬ。だが……対応を、間違えたのかもしれぬな」


「そんな……」


「しかしそれでは、単独の計画だったということになるのか?」


 首を傾げるサイード様に、私は重い首を振った。


「いいえ、逆です。通じる相手がいないんじゃない。相手に操を立てていたのかもしれません。そういうものは精神的なつながりの方が、きっと怖い……」


 もしこの考えが当たっているのなら、デルカシュ様を使って自分だけ安全圏にのうのうと逃げおおせている男がいる可能性があるということだ。もしそうだとしたら、絶対に……許せない。


「どうか、私に外出の許可をくださいませ。事件の五日ほど前に、デルカシュ様が故郷から連れて来ていた長年の侍女が解雇されたばかりだったという証言を他の侍女から得ています。今は尼寺にいるのだという彼女に、話を聞きに行かせてください!」



  ◇ ◇ ◇



 ――翌朝。サイード様と共に商人の夫婦に身をやつすと、私たちは驢馬ロバに引かせた幌つきの荷車に半ば隠れるようにして、宮殿を出た。


 カツラをやめて以来ずっと伸ばし続けている地毛は、ようやく肩甲骨の下あたりまで伸びている。だがそれは男装には違和感のある長さだったから、今日はショールで髪を隠して女の装いだ。


 そのまま荷車に四半刻ほど揺られて到着したのは、皇都の外れにある小さな寺院である。あらかじめ使いを送っておいた私たちは、すぐにその一室へと通された。


 間もなく出てきたのは、デルカシュ様と同じような年頃の、細身の尼僧にそうである。それは確かに、かつてデルカシュ様の近くで何度も見かけたことのある顔だった。


「アーファリーン様、お待ちしておりました」


「待っていた、とは……もしやがここへ来ることを、デルカシュ様は予見していたの?」


「……はい」


 神妙な面持ちでうなずく彼女の目を真っ直ぐに見つめて、私は問うた。


「ならば全て、話してもらえる?」


 再びの肯定と共に語り始めた彼女は、デルカシュ様の乳兄弟ちきょうだい、つまり乳母めのとの娘であるとのことだった。その縁でお嬢様の侍女として、出来たばかりの後宮に入ったのだという。


 自らの結婚なども全て諦めて、彼女がデルカシュ様と共に後宮入りを決心するに至るには、理由があった。それはまるで実の妹のように可愛がっていたデルカシュ様の、あまりにも辛い運命ゆえである。


 ずっと慕っていた従兄との結婚の日を指折り数えていた少女のもとに届いたのは、西方との内通罪で婚約者が処刑されたという知らせだった。それに追い打ちをかけるかのように、その喪も明けぬうちに父親から命じられたのは……最愛の婚約者を殺した男の元へ恭順きょうじゅんの証として嫁げという、残酷なものだったのである。


 だがそれを復讐の好機と捉えた彼女は、その心の内の狂気をひた隠しにしつつ、優しい女を演じて周囲の信頼を集めることにした。そして機を窺ったまま、三年余りが過ぎたころ――。身重の妃を不慮の事故で亡くしたとき、それまでは一分の隙も見せたことのなかった覇王の憔悴した姿を初めて目の当たりにして……彼女は、つぶやいた。



 ――なるほど、そうすれば、あのお兄様を殺した男を、あの自らの妻子をも見殺しにした男を、苦しめてやることができるのね――



「本当は見殺しになどしていないのだと、本当は正反対ながら同じ哀しみを背負う者同士なのだと、お嬢様は分かっておられたはずなのです。なぜなら、自らの死をもって陛下を苦しめようとした――つまり、陛下がご自身を大事に思ってくださっているということを、お嬢様はようくご存じだったのですから」


 そこまで語り終えると、尼僧はころもの袖口で顔を覆い、その場に崩れ落ちた。


「わ……私が、何度も違和感をなかったことにしていたせいで! あのとき、引っ掛かりを覚えたときに、ちゃんと向き合ってさえいれば……!」


 なぜ薄々気付いておきながら、私は真相から目を逸らしてしまったのだろうか。あのとき、ちゃんと真正面からぶつかって、しっかり話を聞いてさえいれば……こんな最悪の結末は、避けられたかもしれなかったのに!


 だが後悔に震える私に向かい、尼僧は悲しそうに首を横に振った。





――――――――――

※後付けで恐縮ですが、第15話に伏線(デルカシュとの会話)を追加しました。

ストーリーの流れに影響はございません。

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