第22話 超攻撃型デトックス

 するとサイード様は、信じられないといった様子で目を見開いた。


「人の肌からそんな毒気が出る……だと!?」


「はい。その原理は未だ解明されていませんが、西方ではこのような症例を『人は私に過敏症を起こすPeople are Allergic To Me』と呼んでいます。原因は生活習慣や食生活の乱れなどによる毒素排出機能の不調によるものではないかと言われておりまして……環境の悪い奴隷市に売られてから匂いが出始めたという証言とも、一致しています」


「そんな症例があるとはな……驚くべきことだ」


 あの冷徹と呼ばれた陛下が何日も連続して彼女のもとへ通わずにはいられなかったのは、その依存性の高さが原因だと考えたならばうなずける。さらにあの、のだという女性の名を譫言うわごとのように呼んでいた様子からすると……幻覚を見ていた可能性も、高いだろう。


「では今すぐ、タオニャン妃を後宮よりする必要があるな」


 そんなサイード様のけわしい声を聞き、シャオメイさんは意味が分からずとも不穏な空気を感じ取ったのだろうか。


『ファリン、さま……どうか、たすけて……』


 すがるようにこちらを見る瞳に耐えかねて、私は思わず口を挟んだ。


「あの、お待ちください! これは彼女が悪いのではなく、あくまでも病が原因なのです。彼女の症状は、日々の食事など生活習慣を改善すれば、落ち着く可能性が高いでしょう。だからどうか、まずは治療を試してから……処罰の決定には、しばしの猶予をいただけませんでしょうか? なにとぞ、お願い申し上げます!」


 だが必死な様子の私に対し、サイード様はいぶかしげに首をかしげた。


「なぜそこまで、ほとんど話したことすらない相手の肩を持つ?」


「そ、それは……」


 親に売られて後宮へ来たという彼女の境遇に自分を重ねてしまったからとは、さすがにちょっと言いにくい。適切な言葉を探して黙り込んでしまった私に、サイード様は苦笑しながら言った。


「心配するな。君の仮説を評価し、タオニャン妃は当人のヴィラで隔離の上、治療を行ってから処遇を決めてはどうかと陛下へ進言するとしよう」


「あ……ありがとうございます!」


「いや。確かに、仮説が正しいかの検証は行った方が良いだろう。そもそも陛下が倒れられたことは内密とせねばならんから、大っぴらに処刑するわけにもいかないしな。……さて、食事の改善とは、具体的にどうすればいい?」


「それは妃たちが普段食べているものと同じ食事を三食しっかりるだけで充分なのですが……とはいえここしばらく桃しか食べていないなら、まずは胃がびっくりしないようにおかゆからでしょうか。典医の指示に従えば、間違いはないかと思います」


「なるほど。ではすぐに、そのように命じるとしよう」


 その日。あまりの感動に涙ぐみながら、シャオメイさんは久しぶりに桃以外のものを口にした。まもなく普通の食事も少しずつ取れるようになった彼女は元気を取り戻し……頬にふっくらとした血色が戻った頃。いつの間にか、あの甘い香りはしなくなっていたのだった――。



  ◇ ◇ ◇



 ――あの騒動から、ふた月ほどが過ぎ。今日も私のヴィラを訪れていたサイード様は、高脚の卓子テーブルに並べられたお茶を飲みながら言った。


「世話に付けている者の話によると、あれから、タオニャン妃……いや、シャオメイだったか、彼女の不調はみるみる改善し、近頃は例の香りも全くしなくなったそうだ」


「それはよかった! あの、それで、彼女の処遇はどうなるのでしょうか……」


 おずおずと問う私に対して、だがサイード様は目を細め、優しく笑みを浮かべてみせる。


「安心してくれていい、今回の件は公表できない内容である上に、彼女の存在は東方との外交で今後も役立ちそうだからな。そこで本人の希望なのだが、叶うのならば、君の侍女になりたいのだという」


「シャオメイさんが、私の侍女に!?」


「ああ。第二十四妃の位へえ置く話もあったが、君への恩にむくいたいと」


「そんな、恩だなんて……」


 私が恐縮しきりで小さくなると、サイード様は少しだけ呆れたように苦笑した。


「君のその自己評価の低さは、相変わらずだな」


「いえでも、本当にそんな大げさに言ってもらえるようなものでは……」


「ならばこうしよう。シャオメイが、君にこの国の言葉を習いたいと言っていたぞ。手間をかけるが、侍女として側に置き、教えてやってくれないか?」


「あ、はい。そういうことなら、喜んで!」


「そうか、助かる」


 ようやく明るい表情を見せることができた私に、サイード様は膝上で丸くなっている子トラを撫でながら笑みを返した。彼はこのところ頻繁に笑顔を見せてくれるようになったけど、これもお猫様効果なのだろうか。虎だけど。


 ……実はサイード様、どうやらかなりの猫好きである。だが過敏症アレルギーがひどすぎて、これまではまともに触れることすら叶わなかったらしい。それがバァブルでは発症しないとのことで、新しい噂の確認依頼だのなんだのと、最近何かと理由を付けては私のヴィラを訪ねていらっしゃるのだ。


 最初は「アイツの膝、超硬いんだけど……」とか難色を示していたバァブルだったが、今ではおとなしく彼の膝上に収まって、お土産の干し肉をかじるほど馴染んでいる。その姿はどう見ても、ただの猫だ。


「――さて、今日報告にきた理由だが、予想通りトウランの使者からタオニャン妃への面会要請があったためだ。君の提案通りにまず『タオニャン妃は亡くなった』と伝えたら、まんまと『我が国との友好の証の妃を殺してしまうとは、首狩り王の噂にたがわぬ暴挙だ』などと難癖をつけて来たぞ」


「ああ、やはり……」


 私は苦笑しながらよく冷えた茶器を持ち上げると、口をつけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る