第23話 軍神=武力だけとは限らない

 そもそもトウランの皇帝は、伝説の桃娘タオニャンと呼ばれる存在がみな栄養失調でとても虚弱なことを承知の上で、あえて友好の証として送り込んできたのだろう。そこでもしこちらが彼女を後宮内で死なせてしまったら、その負い目をカードに外交を有利に進めようとしてくるのではないか――そう予測していたのだが、どうやら正解だったようである。


「そこで打ち合わせの通り健康を取り戻したシャオメイを引き合わせ、『伝説の桃娘だなどと、先に我が国をたばかったのはどちらだ!?』と問い詰めたところ、形勢逆転し我が国に有利に交渉を進めることができた。これも彼女をうかつに処刑や放逐ほうちくせずに置いたおかげだろう。陛下より、アーファリーン妃には感謝しているとの御言葉を預かっている」


「かっ、感謝、ですか!? それは、わたくしめなどにはもったいないお言葉でございます……」


 私は手に持っていた器をあたふたと茶托ちゃたくに置いて頭を下げると、小さくため息をついた。


「――やはり陛下は、外に聞こえる評判とはずいぶんと印象の異なる御方のようで、驚いています……」


「だから言っただろう。陛下はあえて暴君と呼ばれることを否定なさらないが、本当はとても寛大で……そして繊細な御方でもあるのだ。だがそれを表に出すことはできない。まだ不安定なこの国の頂点として、弱みを見せられないお立場であるからな。だからせめて、ここ後宮が陛下にとってのやすらぎの場となることを願っている」


 彼のどこか寂しそうに微笑むさまは、ただ自らの立身出世のために主君を仰ぐ者の姿ではない。私はそれほどまでに忠義を捧げられる相手を持てることを羨ましく思いつつ、だが今は、素直に賛辞を口にした。


「サイード様は、やはり陛下を心の底から慕っていらっしゃるのですね。真っ直ぐで、私なんかにはとても眩しいです」


 だがそれを聞いた瞬間、彼の表情に陰りがよぎる。


「いや、俺は……卑怯な人間だ。何も、真っ直ぐなんかじゃない。陛下に忠義を尽くすのも、罪悪感からのようなものだしな……」


「またまた〜、そんな妄想のはかどりそうなネタを」


 不慮に訪れた重い空気をどうにか和らげようと、あえて冗談めかして言ってみたのだが――。


「すまん、余計なことを言ってしまった。忘れてくれ」


 いつもの彼ならば、私の発言が終わるのをちゃんと待ってくれてから次の話を始めるはずだ。だが今回は、あえて途中で遮るように被せてくるなんて……。


「は、はい……」


 そこにただならぬ気配を感じ取り、私は慌てて口をつぐんだ――。




 ――しばしの気まずい沈黙が、二人の間を支配する。何か言えることはないかと私が困っていると、サイード様が口を開いた。


「……ところで、そういう君こそ先日の植物や語学の知識といい、皮膚から毒気が出る症状の話といい、なぜそんなことを知っていたんだ?」


 どうやら話題を変えてくれたようで、私は内心、ほっと息を吐いた。


「私の父は博物学者なんです。世界中を旅して万物を記録し、いずれ全てを分類・体系化するのが夢だと語っていました。今は行方不明になって久しいですが……幼い頃に聞かせてもらった不思議なコト・モノの話や、父が置いて行った手記や書物はひととおり読んでいるので――それが私の情報元です」


 両親が残したものは何もかも義妹アルマに持って行かれてしまったけれど……エルグラン語で書かれ、ボロボロに使い込まれた手帳や書物は見向きもされず、私の手元に残ったのである。幼い頃の私は寂しさを感じるたびに、父の書いた意外に流麗な走り書きの数々を、何度も何度も読み返したものだった。


「そういえば陛下が先日仰っていたな。『あまり多くない嫁入り道具の大半が古い書付かきつけだという風変わりな妃の報告を受けたことがあるが、思い起こせばあれはアーファリーン妃だった』と。お父上は行方不明とのことだが……記録の旅を続けているのか?」


「さあ……最後に消えたときには、エルグランに戻って戦争を止めるなどと言っておりました。そんなこと、ただの学者なんかにできるわけがないのに」


 とはいえ父の研究予算の出どころはどうやら実家からの送金だったから、今思えば、趣味に生きる放蕩ほうとう貴族とかだったのかもしれない。だからといって、長年本国を離れていた人に戦争を止めるほどの影響力なんて、ありはしないだろうけど。


「そうか……君は西方諸国との戦争が、なぜあれほど早く終結したか知っているか?」


「それは、陛下が伝承にうたわれる軍神の如き活躍をなさったからと伺っております」


「それはもちろんのことだが、勝敗は戦場でのみ決するものではない。諜報にて西方諸国連合軍の旗手となっていたエルグラン王国が政情不安定であることを知り、工作を仕掛けて内紛を誘ったんだ。結果としてエルグランで政変が起こり、外国との戦争どころではなくなったというのが早期終結のカラクリだな。そもそも低下した王家への求心力回復のための戦争だったなど、こちらとしてはとんだ迷惑な話だが」


「裏側で、そんなことが……」


「ああ。だから君のお父上も、帰国したところで政変のあおりを受けた可能性がある。旧王家がたおれ、未だ混迷が続くエルグランからは、砂漠へ向けて出国することも容易ではないだろう。だから……その、かの国の状況が落ち着けば、きっと再会できる日が来るはずだ。うまく言えないが……」


 そう言って、サイード様は困ったように頭をかいた。これは……元気づけようとしてくれているんだよね?


「ありがとうございます。ちょっとだけ希望が持てました」


「それは……何よりだ」


 ほっとしたようにわずかに笑みを浮かべたサイード様は、膝上からそっとバァブルを下ろすと席を立った。


「すまない、また長らく邪魔してしまったな。そろそろおいとまするとしよう」


「いいえ、また何かありましたらいつでもいらしてください。どうせ暇していますから」


 そのままヴィラの入り口まで見送ると、彼はそこで立ち止まる。そしてふと思い出したかのように言った。


「しかし君が東方の方言まで解するとは、驚いたな」


「それも、父の残した研究記録のおかげですね。現地調査を円滑に進めるためには、その地の人々が使う言葉を覚えて直接話しかけ、敵ではないことを示すのが一番だ、と……常々言っていたんです」


「なるほど、言葉か……。この国では妻女さいじょを人前に出すことは御披露目や祭事の時ぐらいだが、西方の王侯貴族は夫人同伴での社交が基本なのだという。今後西方との対等な外交関係を築いていく上で、両国の血を持ち、語学に堪能たんのうな君の存在は、陛下にとって大きな力となり得るだろう」


「がっ、外交ですか!? 私なんかにはムリです! そもそも語学だって、堪能ってほどではないですし……」


「案ずるな。慣れればなんとかなる」


「いいえええ、ぜっっったいに、ムリですので!」


 外交だなんて、そんな責任負いたくない。実を言うと、祖父が亡くなって以降は礼儀作法などほとんど教えてもらえなかったから……あまり高貴な人たちの前に出されると、襤褸ボロが出そうで恥ずかしいという事情もあるのだ。だから今のまま後宮に引きこもって、ただただのんびりできるに越したことはない。


「だからそう自分を卑下するな。折を見て、陛下に推挙すいきょしておこう」


 だがまるでそんな私をからかうかのように、サイード様は言った。


「だから本当に、そういうのはやめてくださいってば!」


 私が詰め寄ると、彼はとうとう面白そうに声を出して笑い始めた――そのとき。


「これは、サイード様にアーファリーン妃。お二人はここのところ、とっても仲がおよろしいけれど……ちょっと、目に余るほどではないかしら?」


 あまり遠くない道の向こうから、よく知った声が響いた。

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