第20話 覇王を素手で倒せる女

 以前少しだけ、バァブルへのお願い事で出来ることと出来ないことを確認してみたのだけれど……どうやら魔法と言っても誰かの心を変えるとか、身体を作り替えるとか、生き物そのものへの作用はできないらしい。一晩で井戸を掘るとか、立派な屋敷を建てるとか、物理的な作業が得意分野のようだ。まあ一晩というあたりでは、人知を軽く超えているけれど。


 ちなみに私の祖父の代では、重要な水源が大きな砂嵐で埋まってしまったときに、一晩で元通りに掘り返すという願いを叶えたようだった。祖母の言っていた通り、確かにオアシスの街の発展にはこの上ないくらい有難い存在だっただろうけど……使いどころはなんだか難しそうである。


 そんなことをつらつら思い出しながら――私は枕元にあったランプのを消した。辺りが闇に沈むと共に、私の意識もゆっくりまどろんでゆく。


 ――それから、どのくらいの時間眠っていただろうか。急に窓の外が騒がしくなって、私は夢からうつつへと引き戻された。


「せっかくいい夢みてた気がするのに……いったいなにが……」


 まだ眠たい目をこすりつつ、寝台から降りて窓の外を見る。すると松明たいまつを持った衛兵たちが、例のタオニャン妃のヴィラを取り囲んでいるのが見えた。あの衛兵たちの様子は、妃を守っているというよりも、まるで罪人を閉じ込めているかのような……。


 一体何があったのだろう。胸騒ぎがした私は急いで寝間着の上に肩掛けショールを羽織ると、ヴィラの入り口に立った。だがそこから通路へ踏み出すのはなんだかはばかられる雰囲気で、私はそこに留まったまま辺りに視線を走らせる。すると隣のヴィラの入り口に、同じように立ちすくむレイリとアーラの姿が見えた。


「アーラ、レイリ!」


 私がコソコソ声で叫んで手を振ると、こっちに気付いた二人が小さく手招きしてみせる。私はできるだけコッソリと音を立てないように走ると、二人のいるヴィラの敷地へと滑り込んだ。


「ねぇねぇ、これ、何があったの!?」


「それがね、警備の人に聞いてみたけど、教えてくれなかったの……」


 困ったように首をかしげるレイリの横で、アーラが人差し指をピンっと立てながら言った。


「でもあんな厳戒態勢、皇帝陛下の御身に何かあったとしか思えないわ。きっとあれは桃娘タオニャンなんかじゃない。暗殺用に送り込まれた、毒娘ドウニャンだったのよ!」


毒娘ドウニャン!?」


「そうそう。これも東方の商人から聞いたんだけど、トウランには桃娘と同じように幼いうちから少しずつ毒草を食べて育って、その体液全てに毒性を持った暗殺用の美女が密かに作られてるっていう噂があるんだって!」


 そう力説するアーラに対し、レイリは怯えたように肩をすくめた。


「ええー、トウランの伝説って、どれも怖すぎるんだけど……」


 陛下が訪れる時は部屋も人もすごく厳重にチェックされるらしいから、妃であっても陛下の近辺に武器や毒物を持ち込むことは不可能だ。だが妃の体液そのものが毒物だったとしたら、確かに誰も気づくことは……ん?


「でもそれじゃあ湯浴ゆあみで毒が溶け出して、先に侍女とかがやられてバレちゃうんじゃない……?」


「ああー、確かに……」


「でも、じゃあなんで? あの虚弱そうなタオニャンが、武芸百般ぶげいひゃっぱんに秀でる陛下を素手でどうにかできるワザを持っていたとでもいうの?」


「それはさすがに、無理があるでしょ……」


「じゃあなんで……」


 三人でそんな無責任な噂話に熱中していると、暗い中からこちらへ向かい真っすぐ走ってくる人影が現れた。


「そこにいるの、アーファリーン妃か!?」


「えっ、サイード様!? いやこれは、なんかすみません!」


 ヘンな噂話をしてたから、注意しにきたのかも!? ……そう考え反射的に謝った私に、だがサイード様は切羽詰まった様子で言った。


「起きていたのなら、知恵を貸してはくれないか!?」


「あ、はい!」


 状況はイマイチよく分からないが、だが今は余計なことは聞かない方がいいだろう。私は心配する二人の友に小さく手を振って別れると、黙ったままサイード様の後をついて走った。


 そうして向かった先は、厳戒態勢にあるタオニャン妃のヴィラではなくて、陛下の個人的な寝所がある内廷ないていと呼ばれるエリアである。外廷と後宮の間に位置する内廷ここは、通常であれば妃といえど立ち入ることはできない場所だった。


 基本的に開放型の出入り口が多いこの国で、珍しくこの建物には頑丈そうな両開きの扉が付いている。私たちを招き入れた衛兵の手で重たい扉が音を立てて閉まるなり、サイード様は低く囁くような声音で言った。


「これは他言無用だが、タオニャン妃のヴィラを訪れていた皇帝陛下が、意識を失われた。典医による診たてでは、強い酩酊めいてい状態であらせられるのだという。だが今夜、陛下は酒類をひと口もお召しではないのだ。現在、原因を調査中なのだが……何か、心当たりなどあれば力を貸してほしい」


「私で分かることでしたら……。あの、陛下にお目通り願うことは可能ですか?」


「ああ、こちらへ」


 彼に連れられ陛下の寝所しんじょへ入ると、寝台に力なく横たわる覇王と呼ばれた男の姿があった。その顔面は蒼白で、未だ意識が戻らないということである。その症状は、まるで急に大量の酒を飲み、昏倒こんとうした者のようであるらしい。


 典医の話を聞いているうちに、寝台の方から微かにうめくような声が響いた。


「陛下!」


 するとサイード様は弾かれたように身をひるがえし、寝台のそばへ膝をつく。


「ホルシードは……どこへ行った……。さっきまで、ここに……」


 そう譫言うわごとのように呟く陛下に、サイード様は低く答えた。


「偉大なる。ホルシード様はもう……いらっしゃいません」


 こちらへ背を向けるその表情をうかがうすべは無かったが、何かを押し殺しているような声音である。


「そなたは……か。ああ、そうだったな。すまぬ、夢を見ていたようだ」


「御加減は、如何いかがでしょう」


「……眠い」


「は。まだ夜明けまでお時間がございます。どうぞ、ごゆっくり御休みくださいませ」


「ああ……」


 ホルシードって古い言葉で『太陽』という意味だけど、確か女性名としても使われているはずだ。もういないって、一体どういう意味なのだろう。すごく気になるけれど、でも、とてもじゃないが聞けるような雰囲気ではない。後で、上級妃のどなたかに聞いてみようかな……。

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