第8話 バトル


「さて。まずは体術から行くか」


 パルテノはぺろりと上唇を舐めた。


 彼の両手両足には光の輪がいくつもの層になり纏い付いていた。

 彼は自らの四肢に強化魔法バフをかけ、運動能力を超人的なレベルにまで昇華させていた。

 既に人間の限界を遥かに越えるエネルギーが、身体の内側に圧縮され増幅している。

 やがてそのパワーが行き場を失い、外に漏れ噴出し始めた。

 大気が揺れ、木々が折れ湾曲し、地面に亀裂のような皹が走った。


「なんだー? 肉体戦やろってのかー?」

 漆黒の幼女――マチルダはおどけるような仕草で人差し指をくいくいと曲げた。

「ったく、よえー奴は準備が大変だにゃー! ええからはよ早くかかってこいやー! 受けてやっからよー!」


 目の前の幼女はまるで無防備に見えた。

 こちらを侮っているとしても、あまりにも脆弱だ。

 今から防御に備えても、もはや間に合うまい。

 或いはこちらの攻撃を全て避けきるほどにスピードに自信があるのか。

 いいや。

 肉弾戦のようなゼロ距離戦において、すべての攻撃を避けきるのは不可能だ。

 それならば、今の口上は三味線を弾いているのか。

 だとすると――それは弱者のやることだ。

 ここに至り、パルテノは訝った。

 もしかすると、伝説は少しばかり誇張が過ぎたのではないか。

 思っていたよりも、ずっと死神は弱いのではないか。

 そのような落胆があった。


「仕方ない。伝説というのは大袈裟になるものだ」


 ズドン――と、いう破裂音と共に砂塵が待った。

 まるで弾丸のような初速で、パルテノは少女へと突進した。

 

 音速で二人の距離が縮まる。

 少女はまだ無防備なまま、少し目を細めてうすら笑っている。

 もう遅い。

 直撃する。

 パルテノは右手を振りかぶり、彼女目掛けて拳を振り下ろした。


 ズギャン――という激しい衝突音が森に響き渡った。


 次の瞬間。

 パルテノの身体に衝撃が走った。

 遅れて背中に鋭い痛みが走り、彼の頭は混乱した。


 一体――何が起きた!?


 彼の身体に後ろに弾かれ、パルテノは大木に叩きつけられていた。

 どういうことだ。

 どうして自分が後方に飛んでいる。

 あの女(ガキ)。

 どんな魔法(からくり)を使いやがった――


「かー! やっぱよえー!」


 幼女は腰に手を当て、カカカと笑った。

 ノーダメージだ。

 いや、それどころか。

 髪の毛一本も乱れていない。

 手応えはあったのに、まるで何も起こっていないかのように変化がない。


 ……そういうことか。


 パルテノが悟るのに然程時間はかからなかった。

 からくりもくそもない。

 この女。

 

 彼女(こいつ)は真正面から私の攻撃を受け止めただけだ。

 自分の身体が吹き飛んだのは、自らの攻撃の反動に過ぎなかったのだ。

 分厚い強化ガラスに弾かれた銃弾が跳弾となるように、パルテノの身体は吹き飛ばされたわけだった。


 つまり。

 単純な、物理的な強度の敗北だ。


 信じられぬ。

 パルテノは思わず乾いた笑い声を漏らした。

 強化魔法を幾重にも重ねがけした上で力を溜め込み、それを一気に放出した渾身の一振が。


 なんの防御もせず。

 強化バフもせず。

 ただ突っ立っているだけの子供に。


 1ミリも通用しなかった。


「なるほど。こいつはバケモノだ」

 パルテノは立ち上がり、拳で口元を拭った。

「しかし、ありがたい。どうやら“本物”だ。こんな化物と戦えるなどと、一生に一度あるだろうか」


「オメーよー」

 と、幼女は言った。

「よわっちーんだから、こんな様子見してんじゃねーよ。魔法戦が得意なんだろ? なら、最初からそれで来いっつーの」


 彼女のいう通り。

 私はなんという自惚れをしていたのだろうか。


 そのとき。

 パルテノの脳裏にそのような言葉が思い浮かんだ。

 パルテノは一瞬でも自分が上だと勘違いしていたことを恥じた。

 自分とこのガキ。

 どう考えても、ガキが格上だ。

 それどころか、自分よりも遥かに高みにいる。

 それなのに、相手の力量を試すなどと驕りもいいところだ。


 捕食者はあくまで向こう。

 この私は――


 餌(え)として喰われるほうなのだ。


「どうやらそのようだ。最早闘うまでもなく、格付けはついた。しかし――それでもまだ、はついていない」


 パルテノは一人の戦士として感じた。

 この戦闘。

 命を賭して、挑むしかない。


「私も長い間、戦闘で生きてきたんでな。死線については専門家なんだ。だから、知っている。覚悟を決めた死闘というのは、実力差だけでは決まらない。今際における生き死にの天秤は――」


 最後までどう傾くか分からない。


 パルテノはそう言うと、少女をめつけた。

 ひっひー、とマチルダはちょっと嬉しそうに笑った。


「なかなか良い顔するじゃねーか、ジジイ。うむ。85点をやろう」


 パチンと指を鳴らし、ウィンクをしてみせる。


「そいつはどうも。お嬢さん」


 パルテノは慇懃に頭を下げた。

 そして自らの首に下げていた銀のチョーカーを引きちぎり、さて、と言った。


「……さて、ではここからは命のやり取りだ」



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