第6話 月夜


 不愉快だ。


 レッグストアは暗闇の窓外を眺めながらそのように思案していた。

 何故、私が自ら出掛けなければならないのか。

 どうして私の邪魔をする不届き者がいるのか。

 考えれば考えるほどに腹が立った。

 木々の向こうに、月が浮かんでいるのが見えた。

 今日は帰ったら女どもに酷い目に合わせてやる。

 この苛立ちの捌け口にしてやる。

 レッグストアは携帯していた酒瓶の口を開け、乱暴にくびりと飲んだ。

 馬車は月夜の森を走った。


 もっとも、不機嫌なのは今日に限った話ではなかった。

 彼はその人生のほとんどを不愉快に過ごしていた。

 自分以外の人間がグズに見えて仕方ないのだ。

 思うように動かぬ部下。

 手前勝手な信者。

 無能な愚民。

 高慢な聖職者ども。

 どいつもこいつもが彼の癪に障った。

 

 今日、レッグストアは郊外にある旧い教会へと向かう。

 そこの地下にある巨大図書館の金庫室に用事があるのだ。

 不正に改竄した納税報告書。

 高位司教へ流した賄賂の一覧表。

 それから彼が買った奴隷女どもの名簿表。

 嬲りものにしてきたキンダーハイムの孤児たちの名簿。

 それら言ってみれば彼の悪事の全てが書かれた書類を、そこへ保管しに行くためだ。


 つと。

 急に馬車が減速した。

 レッグストアは前のめりになり、危うく倒れかけた。


「大丈夫ですかな」


 護衛の男がつまらなそうに声をかけてきた。

 ああ大丈夫だとレッグストアは答えた。

 男はそうですかと言い、しきりに外の様子を気にした。


「おかしいな。どうしてこんな森の中で停止したのか」


 男は一人ごちた。

 この護衛も気に入らない。

 腕は超一級のようだから渋々雇ってはいるが。

 値段も高いし、何よりも無礼だ。

 元国有軍の将校らしいが、どうにもその頃の名残が抜けていない。

 金の狗のくせに。

 この私に対する敬意が足りぬ。

 レッグストアは座席に座り直し、むすりと腕を組んだ。


「す、すいません、司祭様」


 しばらくすると、御者が顔を覗かせた。


「どういうことだ。何故、停止する」


 レッグストアは怒りを滲ませた。

 御者は青ざめた顔で、とにかく平伏した。


「も、申し訳ありません。突然、目の前に正体不明の男が」

「正体不明の男?」

「は、はい。何でも道に迷ったのだとか」


 御者はそのように宣った

 レッグストアは顔に血が昇るのを感じた。


「くだらぬ! そのようなことのためにわざわざ馬車を停めたのか! 捨て置け!」 


 レッグストアは怒鳴り付けた。

 御者はさらに頭を擦り付けながら、「しかし」と言った。


「わ、私めもそのように考えました。しかし、その男、どうにも言っていることが妙でして」

「うるさい! 市民が迷おうが野垂れ死のうが私には関係ない! 早く馬車を出せ!」

「し、しかし」


 御者は顔を上げた。


「その男、このように言うのです。“レッグストア卿は、今宵はその書類をどちらに持って行かれるのか″と」


 レッグストアの顔色が変わった。


「……なんだと」

「ど、どうやら、この馬車に司祭様が乗っていることを知っているようなのです」


 それだけではない。

 自分が今、“書類”を持っていることも知っている。


「どのような風体の男だ」


 少し震える声で、レッグストアは問うた。


「よ、よくは見えませんでした。目深にフードをかぶっておりまして。しかし、若い男です。ただ、あまり特徴のない、どの人種にも見える顔立ちをしておりまして」

「……おい」


 レッグストアは護衛の方を見た。


「賊、でしょうな」


 護衛の男は相変わらずつまらなそうに答えた。


「どうします? 私が出ましょうか」

「当然だ。だが、殺すなよ。どこのどいつか知らんが、馬鹿なやつだ。死ぬよりも苦しい目に合わせてやる」

「それは保証出来ませんな。私は加減が苦手でして。やりすぎて消し炭にしてしまうかもしれません」

「良いから言うことを聞け。反逆者は殺すな。生かして、その一族もろとも皆殺しにするのだ」

「相手が弱者ならどうとでもなるですがね」


 護衛は肩を竦めた。


「どうやらその特徴のない男。只者ではない。恐らくは激しい戦闘になる」

「……分かるのか」

「その男。この距離まで私に気配を気取らせなかった。向こうに殺意があるなら、絶対に気づくはずなのに」

「そ、それだけで、相手の腕が分かるのか」

「気配を殺すのは一流の証」

「な、なんだそれは。大丈夫なのか、貴様、しっかりしろ。いくら払ってると思ってる」

「心配入りませんよ。手加減は出来ない、というだけです。私に勝てる人間は、この街には一人もいない」

 

 だから一つ、提案が と男は言った。


「これから外に出て、二人で男の顔を視認しに行きませんか。殺してからでは身元確認出来ないのなら、生きているところをみておけば良い」

「……大丈夫なのか」

「安心してください。私があなたからいくらもらってると思ってるんですか。あなたの命は何があろうと護る」


 それがプロです、と男はニヤリと笑った。


「信用していただきたい。あなたの命は保証します」

「……やけに嬉しそうだな」

「すいませんね。実際、嬉しいもので。私はいわゆる戦闘狂でしてね。強い人間を殺すのが大好きなんです」


 護衛の男は顔を歪めるようにして嗤った。

 偏執的な笑み。

 見てるだけで背筋が凍った。

 迸る殺意。

 この男は“本物”だ。


 であるならば。

 ここはその提案を呑んでおくべきだ。

 賊の前に姿を見せるのは嫌だが。

 賊のことは知っておかなければならぬ。

 というよりも。

 この目で見ておきたい。

 確認しておきたい。

 でなければ。

 万が一取り逃したときに。

 またぞろ、眠れない日々を過ごすハメになる。

 疑心暗鬼にとらわれて。

 あのときの賊はこいつではないのか。

 常にその疑念に囚われてしまう。


 わかった、とレッグストアは頷いた。


「そ、それじゃあ、何かあれば頼むぞ」


 馬車を降りると、月明かりで外は存外に明るかった。

 地面には影すら落ちている。

 夜気に紛れて、獣たちのざわめきを感じた。


 その道のど真ん中に。

 確かに、男が立っていた。


「……貴様、何者だ」


 レッグストアは問うた。


 男はしばらく応えなかった。

 夜の森に静寂が落ちた。

 びゅうと風が吹く。


 そしてどこからか――


 チリン。


 錫(すず)の音がした。


「私は人形屋でございます」


 男が言った。


「人形屋?」


 レッグストアは右の眉をぴくりと上げた。


 チリン。


 また錫の音。


 今度は背後からだ。


 レッグストアは思わず振り返った。

 しかし、そこには誰もいない。


 ――常世は所詮人形遊び、悪も善もみな道化者


 再び声がした。

 もう一度男のいたほうに目を戻すと。


 そこには、もう誰もいなかった。


「ど、どこだ!」


 レッグストアは叫んだ。

 すると今度は。

 四方八方から声がした。


 ――しかしどうやら世にはちと悪が多すぎる


 男の声が。


 ――その均を保つために今宵はこの僕(やつがれ)が


 森のなかで輪唱しながら。


 ――非道悪道を極めるこの悪党に


 レッグストアを取り囲んでいた。


 ――正義の鉄槌死神人形を


 チリン。


 最後に、もう一度、錫の音。


「ど、どこだ! どこにいる!?」


 レッグストアは大声を叫びながら辺りを見回した。

 その時。

 目の端に、影が見えた。


「怨み辛みを載せて届けに参りました。レッグストア卿」


 さっきと同じ場所、同じ格好で。

 フードの男がいた。


 いや。

 同じではなかった。

 レッグストアは目を擦り、男を凝視した。


 すると。


 よく見ると今度は、その男の横に。

 先ほどはいなかった、もう一つの影。

 暗がりに溶けるように。


 漆黒の髪の少女が、佇んでいた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る