第4話 殺し屋
「レッグストア卿は父を赦しませんでした」
クラウディアは取り憑かれたようにテーブルを見つめながら言った。
「もちろん、当分の間は動きませんでした。アレッタのことで取引は成立していたのですから、それを反故にするわけには行かない。しばらくは何事もなく時が過ぎて行きました。相変わらず横領はしていたようですが、父は沈黙しておりましたので、こちらを攻撃してくることはなかった。しかし、卿は心の底でずっと怒りの炎を燃やしていた。ああ、なんという恐ろしい執念でしょうか。レッグストア卿は自らの不正を暴こうとした父を、一度でも反逆を試みた人間を、憎み続けていたのです」
クラウディアは顔を覆った。
彼女はまた震え始めた。
「……父は、殺されました」
やがて、クラウディアはほつりと呟いた。
「地方の農場へ視察に向かう途中、馬車に乗っているところを狙われました。賊は捕まりませんでしたが、凶器を現場で調達する独特の暗殺術を使った手口から、レッグストアの手の者であることは明白でした」
あらかじめ武器を用意せず、殺害場所にあるもので殺す。
例えば尖った木の枝や落ちている石ころ、ときには道端に生えている硬い植物の葉を使うこともある。
これなら犯人の痕跡は残らず、暗殺者を辿ることは不可能だ。
プロ中のプロのやり口。
確かにそんな"本物"を雇える人間は限られる。
クラウディアの父に恨みがあり、殺し屋に明るい権力者となればなおさらだ。
「私の兄、シンシニティ家の長男・アントニオは怒り狂いました」
クラウディアは続けた。
「兄は財産のほとんどを注ぎ込み、レッグストア卿に復讐を誓いました。私たち家族は反対しましたが、怒りに駆られた兄は止まらなかった。大金を払い、レッグストアの周りを調べあげ、そして周りの人間を買収して、今度こそレッグストアを追い詰めようとした。兄は優秀だった。現にあと一歩のところまで追い詰めた。けれど――やはり、兄は甘かった! 甘かったのです!」
クラウディアはヒステリックに叫び、頭を抱えた。
「策略は暴力には勝てない! 正義は悪には勝てないのです! レッグストアはあまりに"悪"だった! あの男は、まともな人間には勝てないサタンだったのです!」
クラウディアは吠えるように言うと、はあはあと肩で息をした。
俺は口を挟まず、じっと見ていた。
「その数日後のことです。今度はアントニオの嫁が、複数の男に暴行されました。彼女は嬲(なぶ)られ、犯されました。そしてその様子を吹聴された。貴族の世界で穢れた女がどのように見られるか。不浄な女がどのような扱いを受けるか。悲観した彼女は崖から飛び降りて――」
亡くなりました。
クラウディアは血走った眼で、そう言った。
「このタイミングで、さらに彼奴は父との約束を破り、今度は長女アレッタの不貞を暴露しました。シンシニティ家の人間は不浄の極みだと社交界で触れて回ったのです。アレッタはリッピ家を追い出され、さらにそこから、私たちの家は言われのない汚名と中傷を受け続けました。それが領主様の耳に入り、土地は半分以上を取り上げられてしまった。兄は自らを攻め、すっかり病んでおりました。もはや反論できる状態ではなかった。私や次女ではどうしようも出来なかった。兄はやがて、妻を追いかけて服毒自殺で死んでしまった。そして、私たちは全てを失いました。地位も、名誉も、お金も、信用も、なにもかも」
すっかり話し終えると、クラウディアは疲弊しきったようにくず落ちた。
「すいませんね。辛いお話をさせてしまって」
言葉ばかりの労いを口にして、俺は頭をガリガリと掻いた。
このレッグストアという男。
大した悪党だ。
「……いえ」
クラウディアは首を振ると、持っていた鞄から布袋を取り出した。
それをテーブルに置くと、じゃらと金属が鳴る音がした。
「今の私に払える精一杯の金額です。もうこのお金が全てです。私はもう、生きる気力もなくなりました。いつ死んでも良い。ですがその前に――どうしても、レッグストア卿だけは赦せない。あの男だけは殺したいのです。どうか……どうか。このお金で、引き受けていただけませんか」
俺は袋を引き寄せ、中身を視認した。
金貨が20枚ほど入っていた。
「……これが限界ですか?」
俺が問うと、彼女ははいと頷いた。
「先ほど申し上げたように、これが私の最後のお金です。もう、明日食べるお金もありません。正真正銘、すべてなのです」
俺はふーん、と言い、顎を上げた。
嘘は吐いていない。
彼女は最初から最後まで。
全て本当のことを喋っている。
そこは問題ない。
問題はないのだが――
「申し訳ないが」
と、俺は言った。
「ハッキリ言って、これでは全く足りませんね」
クラウディアは目を丸くした。
「あ、あの、それは、公爵様から聞いていた話と違うのですが」
「ドルトルミ公がどのように仰ってるのかは知らないですけど」
俺は肩をすくめた。
「世の中には相場というものがありましてね。ウチは暗殺屋の中でも超A級クラスでして。一流のプロは、ギャラも一流になるん――いででで!」
説明をしていると、いきなり頭に鋭い痛みが走った。
幼女が噛みついていた。
「てめー! カワカミ! いつまでダラダラ話してやがんだよ! なげーよ! ながすぎんよ! この世にそんなに長くしゃべることなんてねーよ! オラ! さっさと遊びに行くぞ!」
「も、もう少しだけ、待っててください。もうすぐで終わりますから」
俺はそう言いながら、幼女をひっぺがそうとした。
しかし、本気で噛みついている彼女は、どうやら剥がせそうに無かった。
「あ、あの」
クラウディアは眉根を寄せて、怪訝そうに俺たちを見ていた。
「ああ、すいません」
しょうがないので、噛みつかせたまんま、俺は話を続けた。
「そういうわけで、この金額では受けられないんですよね。この業界には【格】というものがありましてね」
「格、ですか」
「ええ。うちのようなS級の殺し屋は世界に5人といない。我々のような特Aクラスの人間なら、例え魔王であろうと、標的であれば確実に任務を遂行します。成功率は100%だと思っていただいて結構です。失敗することはない。それがSクラスの暗殺者という人種。なので、あまり安請け合いは出来ないんです。金貨の十枚や二十枚程度ではとてもとても受けられない」
俺はそこまで言うと、最後に「本来なら、ね」と付け加えた。
「本来なら?」
「ええ」
「それは……どういう意味でしょうか」
クラウディアは小首を傾げた。
俺はおでこを掻きながら、えー、と改めて説明を始めた。
「言葉の通りです。本来なら、クラスSのギャラはとんでもないんですけどね。うちは少し事情が違いまして。標的(ターゲット)が
「悪党に……限り?」
「はい」
と、俺は頷いた。
「これがうちの流儀でしてね。世直しなどと綺麗事を言うつもりはサラサラないんですが、少しばかりこの世には悪が多すぎる。晴らせぬ恨み果たせぬ辛みが多すぎる。死ぬも地獄、生きるも地獄のこんな世の中じゃあ、わざわざ生きる価値がなくなってしまう気がするんですよね」
そうじゃありませんか? と、俺はにこりと笑った。
「……あの」
クラウディアは少し不審そうな顔つきになった。
さすがにわざとらしすぎたか。
笑顔はどうも苦手だ。
「なんでしょうか」
「あの……あなたは公爵様の紹介ですし、疑うわけではないのですが」
「はい」
「あなたはまだ小さなお子さんを持っているようだし、その、なんていうか、とても凄腕の殺し屋には見えなくて」
クラウディアはすっかり言ってしまってから、すいません、と頭を下げた。
「す、すいません。頼んでいる立場でこんなこと」
「良いんですよ。気持ちは分かりますから。けど、クラウディアさん、あなたは一つ、ああいえ、二つほど勘違いしてますよ」
「勘違い?」
俺はええと頷いた。
「まず、この人は俺の子供じゃありません。そもそも俺は所帯も持ってないですし。それから、俺は殺し屋じゃありません。ただの仲介屋です」
「ちゅ、仲介?」
「はい。殺し屋はこっち」
俺は相変わらず俺の頭にかじりついてる、幼女を指差した。
「それじゃあ改めて紹介しますね。今回、レッグストア卿の暗殺を担当するのはこの女の子――」
マチルダちゃんです。
俺はそう言うと、またぞろ、苦手な作り笑いを浮かべた。
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