第3話 悪行
「レッグストア卿はマグノリア教の司祭であり、この街の税を徴収する役人をしている人間でございます」
クラウディアは声を絞り出すようにして語り始めた。
「現在、領主様の取り決めた租税は民にとって重すぎず、とても良い塩梅です。この街の治安はそのおかげで保たれていると言っても過言ではありません。しかし、近頃、どうにも様子がおかしい。決められたはずの額を納めてもまだ足りぬと当局から追徴されることが増えたのです。そしてそれは明らかに偏った業態――つまり、農家や小作と言った、弱きもの、闘う力のない人間たちに限って起こる。庶民が必死になって納めたものが、どこか消えていくのです」
「中抜き、ですか」
俺は短く数度、頷いた。
中途半端な権力を持った貴族にはありがちな犯罪だ。
そうです、とクラウディアは言った。
「私たちシンシニティ家は地方や郊外の小作農家をとり纏め管理しておりました。ですので、このような出来事は看過出来なかった。父は厳格な人間ですが、労働階級の人間に対しては深い理解があった。たびたび農地へと視察へ行き、なにか不満はないか、どのようにすればもっと環境が改善するか、彼らの話をよく聞いておりました。そのような父上でございますので、すぐに不正の行われている管轄を調べあげ、どこで、誰が、どのようにして税の横領を行っているか、あたりをつけたのでございます」
ふむ。
労働階級の環境改善とは、シンシニティ家の当主はなかなか先進的な男だ。
俺は心の裡で感心していた。
この世界の思想としてはあり得ないほど現代的な考え方の持ち主だ。
俺の元いた世界では当たり前のことだが、階級による支配が絶対的である
何よりも頭が良い。
恐らくは労働者に対する思慮だけではなく、その方が生産効率が良いと考えているのだろう。
風習や慣習に囚われない、有能な男だ。
「レッグストア卿のやり方は実に杜撰なものでした」
クラウディアは続けた。
「帳簿の水増しです。単純に納めた量を誤魔化し、嘘を吐き、税収を改竄していた。これは領主様への裏切りでもあります。父は長い時間をかけてその証拠を集め、それを以て裁判を行う準備を極秘裏に進めておりました。そして裁判所へ赴き、いよいよ奴の悪行を白日の元にしようというときに」
父はレッグストア卿の家に呼ばれたのでございます。
クラウディアの目がどろりと濁った。
「卿はすでに父が自らを脅(おびや)かそうとしていることを見抜いておりました。同時に、父がそう簡単に屈する人間ではないことも知っていた。だからやつは――姉を利用したのです」
「姉?」
俺は眉根を寄せて小首を傾げた。
クラウディアははいと頷いた。
「シンシニティ家の長女で、私の姉であるアレッタです。アレッタは城下町にある有名な貴族、リッピ家の元へ嫁いでおりました。リッピ家は敬虔なマグノリア教の信徒でございますので、レッグストア卿の権力の配下にいたのです。そこでやつは一計を弄した。つまり、姉のアレッタによる不貞を
クラウディアはぐ、と拳を握りしめた。
「マグノリア教において、夫以外との不貞は重罪。しかも捏造された相手はリッピ家で奉公する移民の下働きの男。もしも本当にそのようなことをすれば、当然妻であるアレッタは無一文で放逐されましょう。それだけではなく、シンシニティ家全体の名前にも傷がつく。リッピ家からも裁判を起こされかねない。そればかりか、下手をするとアレッタは罪に問われ牢屋に入れられてしまうかもしれない。レッグストア卿は捏造した証拠を根拠にありもしない事実をつきつけ、アレッタの不貞を暴露されたくなくば、この件から手を引けと父に迫ったのです」
クラウディアの声音はいよいよ怒りが滲んで来た。
ふむ、と俺は唸った。
このレッグストアという男。
なかなかに頭の回る小悪党だ。
そのように言われれば、父親として矛を納めざるを得まい。
人間の急所をよく解っている。
全ての父親は、愛する娘が不幸に塗れるところなど見たくないはずである。
「それで、あなたの父上はどうしたのです」
俺は先を促した。
「父は訴えを取り下げました」
クラウディアは言った。
「恐らく、血の涙が流れるほどの悔しさだったと思います。父は正義感の強い人間でしたから。このような卑劣な策に屈することは魂の敗北だと感じたことでしょう。しかし、自分の愛する娘を人質に取られたら、いかなる父親も平伏せざるを得ない。父も、例外ではなかった」
「それは……はあ、そうでしょうね」
俺は大きく頷いた。
時代や世界がどれだけ変化しようとも。
親が子を想う心に違いはない。
「そのことで今回のことは終わるはずでした。父はレッグストア卿の不正から一切の手を引いて、もう2度と、彼らの帳簿には近づかないことを誓わされた。私たちは歯噛みするような屈辱を味わわされた。でも、これで一先ずの決着がついたと安堵もしていた。またいつの日か、レッグストア卿の悪事を暴くチャンスが訪れるはず。それまでは一族で団結しこの屈辱に耐えるのみ。そのように考えておりました。しかし――しかし!」
クラウディアはそこでバンとテーブルを叩きつけ、一際大きな声を出した。
そして、力が抜けたようにそのまま机に突っ伏した。
やがて顔をあげた彼女は、まるで俺を睨むような、悲壮な眼差しになり、
「しかし、私たちシンシニティ家の本当の悪夢は、そこからが始まりだったのです」
そのように言ったのだった。
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