有名と無名
誠に導かれて、十和子はなんとか校舎へと辿り着いた。
外ではミシミシと音がするので、窓の外を眺める。
「要さんも霧彦さんも大丈夫なのかな……」
「有名な呪術師の遺骸だって言っていたけれど、私もどんなものなのかまではわからないわ」
「わたしも呪術師の名前は、聞かれてもわからないと思うからいい。ちょっと待ってね」
十和子は走って、普段要が使っている予備室へと走る。
予備室の戸に手をかけた途端に、バチンと音がした。
「いった……!」
「おっとすまないねえ、ここ。普段は要が使ってないときは、結界を張っているから」
「……藤堂さん」
スーツ姿の藤堂が、困惑した顔で窓の外を眺めていた。
「何日もかけて結界を張っていたというのに、たった一日で全部破られるかもしれないなんて、本当に呪術師も余計なことをしてくれたね……」
「あのう……呪術師が、有名な呪術師の遺骸を沈めてたって聞いたんですけど……」
「あーあーあーあー……このあたりの話は、自分は聞かなかったことにするよ。陰陽寮の上層部に聞かれでもしたら、君たち一同を尋問しないといけなくなるからね。それに、要の幼馴染だって、無事で済むかはわからないよ。彼、未だに幼馴染のこと諦めてないから」
「あのう……わたし、要さんを助けに行きたいんです。薄緑、貸していただけませんか?」
十和子がおずおず言うと、藤堂は溜息をついてから、いきなり彼女の額に手を当ててきた。
「わっ!」
「ちょっと……なになさるんですか……!」
誠からしてみれば、藤堂は見ず知らずの人だが、それでも文句を言わずにはいられなかった。藤堂はしばらく黙って十和子の額に手を当てたあと、ようやく手を外した。
「うん。君は邪気に当てられてないみたいだね。本当に強靱な心身だ……さすがに邪気に当てられているようだったら、これ以上要に負担をかける訳にはいかなかったから行かせられなかったけど……」
そう言って、藤堂は十和子では開かなかった戸を、難なく開いた。そして刀掛けに掛けられた薄緑を指差した。
「行っておいで」
そう言われて、十和子は頷くと、ふと思い立って誠に振り返った。
「誠ちゃん、たすきある?」
「え? 一応は……」
誠は手提げ鞄からたすきを取り出すと、それを十和子は自身の着物の袖を縛りはじめた。そして、薄緑を手にする。
「ありがとう! 誠ちゃんは危ないからここにいてて! 藤堂さん、誠ちゃんのことをよろしくお願いします」
「いいよ。自分は戦い専門じゃないからねえ、ここで観戦させてもらうさ」
「はいっ!」
そのまま誠は元気に駆けていった。
残された藤堂は、溜息をついて誠を見た。そして彼女にも十和子と同じように触れる。彼女にも邪気はまとわりついてはいるものの、人に害をなす程度ではない。念のため、藤堂はお札を取り出すと、そこに自身の指を噛み切って血で術式を書き、それを彼女の額にペタンと貼り付ける。彼女にまとわりついていた邪気は、あっという間に消えた。
「君は、君の友達に感謝なさい。君がしでかしたことは、本来ならば陰陽寮に通報されてしかるべきなんだから」
「……はい。その……」
「自分はあくまで、偵察部隊の人間であり、呪術師討伐はもっと違うところの管轄だよ。要だって本来の仕事は鬼門の監視であって、呪術師と戦うのは専門じゃないんだから」
「あの……霧彦さんは? ここの呪術師を倒したあと……あの方はどうなりますか?」
「彼は相当ひどい洗脳を受けているみたいだからねえ……全て終わったあとは、要が止めても、術式を祓わないことには彼自身も呪い返しで死に至るよ」
「……っ」
誠は言葉を詰まらせる。それに藤堂は憐憫の目を向けた。
彼自身、仕事熱心な部類であり、要や十和子ほど優しくはないが、それでもわずかばかりには優しさは残っている。
「人を呪うほど憎むのは仕方がないことだと思うんだよ。人間だからね、なにかしらの呪縛というものからは逃れられない。ただねえ。残念なことに、人を呪わば穴ふたつという言葉が存在しているんだ……人を呪うほど憎むというのには、それだけの危険が伴うことだけは、よく覚えておきなさい」
呪術師も陰陽師も元は同じもの。だからこそ、人を呪うときの危険も理解している。
ただ、恋に恋する少女の恋心だけでは済まされないものが、存在していると。
それに誠は俯いた。
実際に酷な話なのだ。彼女自身は本当に、思考を誘導されていただけで、彼女自身はどこから間違っていたのかがおぼつかなくなってしまっているのだから。
「私は、霧彦さんになにをしてあげられるんでしょうか……?」
「憎悪や嫌悪というものは、どうしても本人が対処しない限りは、誰の言葉も届かない。それこそ彼自身が呪術師たちにさんざん利用されても理解できないくらいには、それらに振り回されてしまっている……ただ、君には危害を加えていないのだから、まだそこだけは救いだ。君は君のままで、彼の居場所になってあげなさい」
「……待っている。それだけでいいんですか?」
「たったひとりでも味方がいる、それだけで救われるものもあるよ」
藤堂の言葉に、少しだけ誠は安心したように頬を緩めてから、窓の外に視線を向けた。
かつての呪術師が猛威を振るって暴れている。十和子が間に合ったところで、いったいどれだけ持ちこたえることができるかがわからないが、これだけのことをしでかした以上、被害を抑えない限りは霧彦の極刑は免れないだろう。
それを防ぐために、あのふたりが頑張っている。藤堂にできるのは、せいぜいこの胡蝶女学館が普通に明日を迎えられるように、校舎の結界を守り続けることだけだ。
****
要は何枚目かの人形を飛ばした。既に何度も何度も指を噛み切っては術式を書き込んでいるおかげで、手は痺れて震えてきた。だんだん、かみ続けている中指から色が失われつつある。
だが、道満はそれを嘲笑うかのように、泰山府君の肩に飛び乗ると、それを操って暴れ回る。
結界は既に一枚破られた。どうにか修復をしているものの、あと二枚で校庭の結界は破られてしまう。
(せめて……修復する時間を稼げたら……)
手にだんだん、人形を折る力も人形を解く力も入らなくなっていくのがわかる。
そんなときだった。
「要さん……! なにこれ。おっきい……!」
あまりにも陰陽師と呪術師の戦いにそぐわないような脳天気な声が響いた。
道満は生前のような人間らしい表情を一瞬浮かべ、逆に霧彦は焦ったような顔をした。
「誠さんは? まさか君は……」
「誠ちゃんは校舎に置いてきた。あなたが心配しているようなことなんてない」
十和子は鞘を引き抜き、薄緑を取り出す。白刃がきらめき、その刃に眼前の敵を映し出す。
要はそんな十和子を気遣わしげに見つめた。
「彼女は無事なんだな?」
「はい……藤堂さんに預けてきました」
「……藤堂も、さすがに操られていただけの彼女に対しては、配慮してくれるだろうさ。十和子くん、この敵だが」
「なんだか……大鬼ではないですよね? これなんでしょう……」
「区分で言えば式神になるが……少々手に余る。これが暴れ散らかして結界を破ろうとしているんだ。この結界が破られればどうなるかはわかるな?」
「町に……出てしまいますね」
「そういうことだ。だから俺はこれから結界の修復をする。十和子くんは」
「足止め、ですね! わかりました!」
十和子はそのまま薄緑を構えた。
それをまじまじと道満は眺めている。
「……晴明の気配を感じるな。あれは?」
道満は晴明と同時期に活動していた呪術師だが、晴明は存外に長生きだったため、彼が導いた源四天王の活躍時期には既に他界している。つまりは晴明が占い、源四天王が登った大江山の話も、大江山にさらわれた都の人々を助けに鬼を討伐した話も、道満は知らないのだ。
市中の人々のために尽くした呪術師の面を持つ道満。宮中で華々しい活躍を繰り広げ、陰陽寮に安部姓ありとまで名を残した晴明に嫉妬する道満。
どちらも正しい彼の側面だが、霧彦により邪気に漬け込まれて復活した彼は、いささか嫉妬の方向に天秤が傾き過ぎていた。
「……潰してくれようぞ」
そう言って、ズシンズシンと音を立てて、泰山府君を十和子の元へと向かわせた。
一方十和子は走りながらずっと考えていた。
(前に大鬼が斬れたとき……あのとき何故かなにもかもがゆっくりに見えたんだ……あれがもう一度起きたら、この式神も斬れるはずなんだけれど)
黒くて大きい。大きさこそ大鬼と似たり寄ったりだったが、不思議と怖くないのは、あのときに感じた腐臭がせず、これは口を大きく開かないせいだろうと察した。あの吐息は丸呑みされたら一巻の終わりを思わせて、恐怖で動けなくなっていた。
怖くなければ、あとはどうやって斬るべきかを考えることができる。
十和子はじっと泰山府君を見つめる。これは子鬼に邪気を流し込んで育てたものではなく、邪気を固めているものではないかと気付く。恐怖こそあまり感じないものの、邪気の放つ薄ら寒い気配を放っているのだ。
十和子はぎゅっと薄緑を握る手に力を込める。
(多分斬れるはずだ。斬らなきゃ駄目だから)
大股で走り、着物は割れ、太股は剥き出しになるが、それにかまっている余裕はなかった。ただ大きく足を踏み出す。
「斬る…………!」
一瞬、十和子は泰山府君から隙間が見えることに気付いた。邪気を固めている場所の風穴。あそこを広げてこじ開ければ斬れるかもしれない。その一瞬に彼女は全てを賭けた。
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