永遠と刹那

 誠が座り込んでいる中、十和子はトプン……という音が響くことに気付いた。

 それで振り返ると、邪気を溜め込んだ地下湖に波紋が広がっていることに気付く。地面は揺れていない。邪気がなんらかの反応を示しているのだ。


「……誠ちゃん、そもそもここに私を呼んだのは何故? 要さんの人質? 私を邪気に漬け込んで兵器にしたかったから?」

「それもあるけど、それだけじゃないわ」


 誠はおずおずと十和子を見る。十和子は必死で誠に言い繕う。


「わたし、誠ちゃんに肩を外されたり、ここに連れてこられたことについては、そこまで怒ってないんだ……ただ。この地下湖をそのまんま学校の真下に放置してるのはまずいんじゃないかと思ってるだけで……」

「ええ、そうね。これは……元々この邪気を全て子鬼に吸わせて、帝都に落とすつもりだったから」

「……え?」


 帝都。現在のこの国の中心である。

 既にかつても都から、政治の権限も御所もなにもかもを移動させた場所。

 この町からも鉄道で一時間ほどで着く。

 そこの人口は、この町よりも多く……そんなもの落とされて無事で済むとは、到底思えない。


「それ、まずいじゃない……! というより、さっきから揺れてるけど、これなに? なにが起ころうとしているの?」

「私も詳しくは霧彦さんから聞いてはいないけど……あそこになにかを漬け込んでたんですって」

「なにを!?」

「……かつていた、呪術師の遺骸、ですって」

「…………!?」


 十和子は悲鳴を上げそうになった。

 いったいどこの誰かはわからないが、そんな人の遺骸を邪気に漬け込んだら、とんでもないものが生まれるのではないだろうか。そもそもここの邪気の量が多過ぎて、下手に浄化作業が行えないとは、要も言っていた話だ。


(どうしようどうしようどうしよう……! わたしができることなんて、本当に斬った張っただけだし……! あれ、ちょっと待って。邪気を全部吸い込んでもらったんだったら、わたしでも斬れるんじゃない?」


 十和子ひとりだと、大した力はない。だが。薄緑を持っているのなら、それも可能だろう。

 そう結論づけた十和子は、誠の手を取ると立ち上がらせた。誠は困った顔で十和子を眺める。


「……十和子ちゃん?」

「誠ちゃん、呪術師はなんかすごい移動ができるんでしょう? わたしを校舎に連れて行って」

「なにをする気なの?」

「こんなの、学校の外に出したらまずいよ。霧彦さんがいい人か悪い人かはともかく、あの人だって、元々はちゃんとした人だったのに、怒り過ぎて我を忘れてしまってるんだから。あの人にこれ以上罪を重ねさせたら、本当に戻れなくなっちゃう。止めるためには、武器がいるの。誠ちゃん手伝って」

「……私を、まだ信じてくれるの?」

「だって、わたしは誠ちゃん好きだもの」


 互いがいなければ、互いに寂しい女子校生活を送っていたのだ。それこそ気丈な十和子すら、いつ「こんな学校出てってやる!」とやけくそでどうでもいい人の見合いを受けて、それ以降どうでもいい人生を送っていたかもしれない。

 互いがいたからこそ、自分を大切にできるのだから。


「……十和子ちゃん」

「行こう。霧彦さんを止めに行こう。誠ちゃんが好きな人だもの、止まるかもしれないし、わたしも手伝うから、ねっ?」


 誠は十和子を戸惑ったように眺めたあと、意を決して頷いた。

 ふたりは暗い道を駆け上っていく。


(校舎に行って、薄緑を取り戻したら……要さんを助けに行く!)


 悪寒が、下から迫ってくるのがわかる。あんなものを学校の外に出したら……おそらく町は無事では済まない。

 ふたりは悪寒を振り切るようにして、校舎を目指したのだった。


****


 既に日が落ち、夜へと差し掛かっていた。


「……なんだ?」


 今まで、校庭でさんざん結界や術式を展開していたのは、地下湖を塞き止めるためだった。

 しかし、地面が小刻みに揺れている。


「ああ……ようやく吸ったのか」

「吸った……霧彦、地下湖の邪気に、いったいなにをした?」

「決まっているよ、漬け込んだんだよ……蘆屋道満の亡骸を」

「…………!?」


 平安時代を代表する呪術師。都に使える陰陽師とは違い、常に民間で術を行使していたとされる伝説の存在。しかし、既に千年近く前の話なのだから、遺骸なんて言っても大したものは出てこないはずだが。


「正気か? 霧彦。あの方にこんな真似をして……」

「自分たちにとっては、市中の民を守ってこその、呪術師だと。そう言いたいんだろう? そりゃそうさ。自分だって、そうでありたかった。ただの宮司として一生を終えたかったさ……でもね」


 霧彦は狐のように細い目を吊り上げる。双眸が細まる。


「民はそうじゃなかった。新しいものにかまけて、寺社は古くていらないもの、呪術は怪しくてくだらないもの、陰陽師に至っては、陰陽寮が拾い上げた者たち以外は皆、拝み屋としていいのか悪いのかわからない扱いじゃないか。だからこそ、平気で寺社を打ち壊せた! なくなってもかまわないと言い切った! いらないって言われ続けて、人はそれでもかまわないとは開き直れないんだよ」

「……霧彦」


 既に大正の世は、昼も夜も明るくなり過ぎた。夜に脅えることも、札を貼ることも、神仏に祈ることすら、ださいもの、古くさいもの、いんちきくさいものとして扱われるようになってしまった。

 そのために実家を失い、神社の矜持を捨てるしかなかった彼からしてみれば、外法に墜ちても仕方がなかった。だが。

 同じような境遇で、呪術師を名乗ることすらできなくなってしまった要は、外法遣いが呪術師の名を乗っ取ってしまったことに、我慢ができなかった。


「君の気持ちはわかるよ。だが、呪術師はかつての俺たちだ。外法遣いたちが好き勝手していい名ではない」

「それ、今は陰陽師の君が言う言葉かな?」

「そうかもしれない。そうじゃないかもしれない」


 やがて、校庭が割れる。校庭にそびえる灯りが、この光景を映し出す。そこから黒いなにかが、水しぶきと一緒に噴き上がってきた。

 黒いなにかは明らかに邪気であり、おぞましいにおいを放ちながら立ち上っていく。そして、その水しぶきの上に誰かが立っているのが見えた。

 それは真っ黒な狩衣、真っ黒な烏帽子を被り、能面のように真っ白な顔をした男であった。体にはおびただしい邪気を放っていて、明らかに人ではない。


「……千年経って、東の地に移されたが。醜いものよな」


 ぼそりぼそりと響く声は、この世のものとは思えない、禍々しい雰囲気を漂わせていた。

 蘆屋道満。平安の世を生きた呪術師が、邪気に漬け込まれた末に変質してしまった姿だった。

 要は歯を食いしばり、人形を飛ばした。だが。

 それは道満の手に届くことはなく、パシリと叩き落とされてしまう。


「星神の力か……千年経ち、未だ残っていたのは僥倖かな。だがしかし」


 道満は指をパチンと叩いたかと思いきや、自身と一緒に出てきた黒い邪気から、なにかを呼び出そうとしている。

 それに要は息を飲んだ。


「これは……」

「泰山府君よ……かのものを討ち滅ぼせ」


 道満の気怠げな言葉に、黒い巨体は頷いた。

 泰山府君。死者の住まう山、泰山に住まうとされる神であり、本来ならば陰陽道の最高神として祭られている。

 それを邪気から呼び出したことにより、元々強い神はより禍々しく、より凶悪になっていた。

 道満の号令により、黒い巨体は要を狙う。

 腕を振るえば嵐が起こり、地面に叩き込めば地響きとなる。そして天上に声を轟かせば雷を落とす。

 もしここが要が何重にも結界を張っていなかったら、何度ここで死んでいたかわからない。

 泰山府君がなんとかしのげているのは、要が何重にも張った結界にかかるたびに、結界が割れ、要が被るはずだった被害を抑え込んでくれていたからに過ぎない。


(あと、結界は何枚だ? 何枚補強すればいい?)


 要はその都度、人形に自身の血で術式を書き込むと、それを飛ばして結界を補強するが、泰山府君の動きが激しく、彼の結界を補強する数より、かのものが結界を割る数のほうが勝りつつあった。


(俺がやられたら……学校の外に出る。こんな禍々しいものが外に出て、ただで済むはずがないだろう!?)


「降参かな、要」


 この中で、平然と霧彦が言う。

 要は血で濡れた指で人形に書き殴ってから、それらを飛ばした。


「誰がするか、こんなこと」

「どうしてそこまで頑張るのかな、だって君。この町を守る義理なんてないじゃないか。仕事で来ただけ。仕事で失敗して滅んだ町だって、陰陽師を訳のわからないいんちきだと糾弾されて追い出されたことだって、いくらでもあるだろうに」

「……皆が皆、俺たちをのけ者にしている訳じゃない」


 彼の思考を止め、結界を補強するのを阻害しているのだろうが、それでも要は人形を飛ばすことを辞めなかった。

 黒い折り鶴に結界の補強を邪魔されようとも、道満が苛立ちながら泰山府君に結界を破る命令を与えようとも、彼は諦めたりしなかった。


「ああ、そういえば要にはお気に入りの子がいたね? あの子のためかな?」

「それがどうした」

「あの子は駄目だよ。あの子は君を裏切るからね」

「……十和子くんを邪気に漬け込んで、兵器にでもするつもりか?」

「あははははは……君、冷静だね? それとも、全てを他人事だと思わなかったら、耐えられないからかな?」


 露悪的に振る舞う霧彦が、要にとっては痛々しく見えた。彼はこうでもしなければ、自分のやっていることに耐えきれないからだろうと。

 幼馴染なのだ。町を燃やして退路を断たなければ、自分のつらさを誰かに八つ当たりしなければ、自分の居場所を奪われたことに耐えきれなかったのだろうと、想像ついた。

 これは要のありえたかもしれない姿なのだから。

 祖父を失い、父が未だに目が覚めない彼からしてみれば、霧彦はありえたかもしれない自分の姿だった。

 だが。要は光を得た。

 彼女はきっと、自分のことをそうとすら思っていないだろうが。


「霧彦、君の婚約者も、十和子くんが助けているだろうさ。だから、安心するといい」

「なにを言って……」

「俺は、彼女が彼女であってくれればそれでいいんだ」


 そう言いながら、彼は人形を飛ばした。

 結界はあと三枚。それを補強し続けて夜が明けたら……こちらの勝ちだ。

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