冀望と憂鬱
十和子が誠と共に地下湖の邪気の元へと落ちている中。
忘却香と結界の張り巡らされた校庭では、激しい攻防戦が行われていた。
霧彦の折り紙の黒鶴が飛び交い、そのたびに子鬼がブクブクと育ち、鬼へと転化する。その何匹、何十匹になる鬼相手に、要は人形を飛ばし、星神を召喚して滅していた。
「臨兵闘者皆陣列在前……! 召喚、霊符神が一柱、鎮宅霊符神!」
まだ空に星がきらめいてもいないというのに、星から放たれた光が、鬼にぶつかり、引き裂かれる。
日頃校庭で邪気を祓うときよりも強い力が、校庭に放たれていたのである。
それをくつくつと霧彦は嘲笑う。
「なんだい、君もずいぶんと強いじゃないか。今まではあの薄緑の少女に全部任せていたというのにね」
「……なにを言っている。陰陽術が万能じゃないことくらいは、霧彦だって知っているだろうが」
「そうだね、鬼門にむやみやたらと力を行使する馬鹿はなかなかいないね。君はそこまでして、あの子を助けたいのかい?」
「当たり前だ」
彼女と出会って、まだ数ヶ月しか経っていないが。彼女の傍は居心地がよかった。
ただ力が強いだけじゃない。彼女は当たり前のように人のことを心配し、人の願いを慈しみ、人の悲しみを自分のことのように悲しむことができた。彼女が当たり前のようにしていることが当たり前のことじゃないというのは、陰陽師や呪術師であったら、嫌というほどよくわかる。
邪気が生まれるのは、人が欲を持つからだ。その欲で育った鬼を祓うことを生業にしていれば、嫌でも人というものに嫌気が差す。
十和子だって邪気が見えているというのに、その当たり前なことをやめなかったのだ。人を諦めなかったのだ。
彼女を人間として、ひとりの少女として、大切に想ってなにがいけないというのか。
……それこそ、民間の呪術師として、市中の人々のために戦ってきた霧彦だったらわかるだろうに。
それを霧彦はなおも嘲笑う。
「あの子は人より力が強いよ」
「知っている」
「人はね、残念ながら口先ではどれほど綺麗事を並べられてもね、それは長くは続かないんだよ。人が自分と違うものは遠ざけるし、排除しようとする。だからこそ、この国は寺社を排除しようとしたし、呪術師たちだって駆逐された……人より強いあの子だって、いずれは排除されるさ。『あれは人ではない。人に似たなにかだ』と言えば、一発さ」
「……それでも」
要は人形を飛ばした。
そして手印を刻む。
「俺はあの子の行いを尊ぶ……寺社がなくなったって、呪術師がいなくなったって、人が欲に塗れたら邪気が生まれる。それを祓う人間が少しいればいい……それでいいじゃないか」
「だって要、君の父だって未だに目が覚めないじゃないか……君は、許せるのかい?」
その霧彦の声には、嘲りがなかった。
かつてのように、友達として過ごした頃と同じ、心配に満ちた色を帯びていた。
……一瞬、気を緩めそうになるものの、すぐにそれを振り払う。
既にこの町で、大勢の人が被害に見舞われ、時には命を落としている……どれだけ大切な友達だったとしても。大切な友達だからこそ。
ここで許す訳にはいかない。
「臨兵闘者皆陣列在前……召喚、冥道十二神が一柱、泰山府君……!!」
途端に雷鳴が轟いた。
陰陽道における最高神の力を召喚したのだ。それが人形に乗り移り、雷鳴は龍をかたどった。
その勢いは霧彦の育てた大鬼へと向かっていく。
幼い頃から、さんざん喧嘩をしてきたが。今回ばかりは負ける訳にはいかなかった。
****
とある町。
あまりにも萎びた町だったが、それでも初春には梅が咲き、夏には川で蛍が見られ、秋になったら紅葉を拝み、冬は雪を眺められる……。
大正の世になったが、今だの江戸の風情を色濃く残している町であった。鉄道が敷かれ、どこの家庭でも瓦斯が入るようになった都会ならいざ知らず、未だに台所は薪とマッチが必要で、電話も隣町まで行かないと通ってないような体たらくである。鉄道も車も遠い町の話くらいに思っていた。
そこで呪術師たちが、昔ながらに力を持っていた。
元々一年ごとに暦をつくり、その通りに過ごすのが江戸時代以前の話であった。太陽暦が定められた大正の暦では、なかなか作付けが上手くいかなかったがため、呪術師のつくる暦のほうがありがたかったのである。
要はそこで暮らす呪術師であり、霧彦はこの町で一番大きな神社の神主の息子であった。
その頃、呪術も神社も特に大きな隔たりはなかったのだが、明治維新以降ずっと各地に通達があった不条理によって、この町も飲まれつつあった。
「……神社を取り壊す?」
幼馴染から言われた話は、青天の霹靂と呼ぶにふさわしかった。
今まで、神社を壊すなんて発想は一度たりともなく、どうしてそうなったのかわからなかったが。霧彦は悔しそうに頷いた。
「国が勝手なんだ。いきなり祭神を変えろと言ってきたかと思ったら、寺社が増え過ぎてよくないから減らせと。この町の寺社なんてここしかないんだから、言いがかりとしか思えないのに!」
各地で、なにかと言い訳しては、寺社を減らしていっていた。
祭神を変えろ、もっと日本っぽい行事に変えろと、いい加減なことを言ってきたかと思ったら、本当に思いつきのように区画整理を行ってきて、寺社を飲み込んでいく。
まるで寺社が多いと不都合があるかのようだった。実際に陰陽寮は廃止されて久しく、未だに陰陽師は存在しているらしいが、形はかつてあった姿ではないようだった。
町に神社は必要。
それは町で執り行う祭りを取り仕切るためにも、氏子の管理のためにも必要だと主張したが、その主張は認められなかった。
ただ、彼らの土地は没収され、呆気ないほど簡単に神社は潰されてしまった。
要は心配して、霧彦の元に向かったが。
霧彦の今の仮住まいに向かった際、あまりにも冷たいものを感じた。
クギャ
クギャ
クギャ
ギャ
ギャ
ピチピチと鯉のように跳ねるのは、子鬼であった。
子鬼がつばめの雛のように口を開くと、そこに黒いなにかがばら撒かれる。
「……なにを、やって……?」
邪気は溜め込めば人は変質するし、土地は痩せる。そもそも町の鬼門に寺社を置くのは、邪気を祓うためだというのに、霧彦はよりによって邪気を使って、鬼を育てていたのだ。
日頃取り澄ました顔をしていても、言動の節々は同い年の子供だったはずの霧彦は、目は細く狐のような形になり、ふくよかだった頬は痩けてしまっていた。
「やあ、要。もうすぐ自分たちは、新しい職に就くことになったのさ」
「なにを? 鬼なんか育てて……こんなもの町に解き放たれたら……」
「大丈夫だよ、この町になんか放たない。やるんだったらもっと大きなところにする」
「だから! こんなもの人の住む場所に放つもんじゃない!」
「……どうして?」
途端に霧彦の機嫌が悪くなる。
狐に似た人相に陰りが生じる。
「どうしてやっては駄目なの? 自分たちは職も住所も追われたんだよ?」
「まともな説明さえしなかったさ。寺社を取り潰すのに理由がいらないとばかりに、ぽい捨てされてしまったんだからさ」
「だから復讐してなにが悪いのさ。この町じゃないからいいじゃないか」
「自分たちを憐れんでくれた人たちがいたんだよ。その人にとっては当たり前のことかもしれないけれど、自分たちにとっては救いだったのさ。その恩義に報いたい」
「だから一緒に町を出て、寺社を取り潰すこの国に復讐しないかい? 君たちだって元は呪術師だ。一緒にやっていけるはずさ」
「断る……!」
要は、未だかつてないほどに大きな声で怒鳴った。それに霧彦は冷たく彼を眺める。
「どうして?」
「……君の神社が壊されたこと、そればかりは理不尽だから、それを怒るのはかまわない。だが、国に直接矛先が向かうんだったらともかく、どうして弱い者いじめをするのさ。それだと、この国のやらかしと君と、なにがどう違うんだい?」
「どうして? そんなの決まってるじゃないか」
霧彦は黒いものをぽいっと子鬼に投げ捨てた。
その瞬間、鼻にかかるような鳴き声を上げていた子鬼の声が低くなった。子供の膝までの高さしかなかった背丈が、急激に子供と同じくらいの高さにまで伸びた。
それに要が怯む中、霧彦は毒を吐き出した。
「何度も助けてくれと言ったさ。町長にも、氏子にも、国の偉い人にも! でも誰も助けてくれなかった。国が決めたことだ仕方がないから諦めろの一点張りだった。冗談じゃない、嫌だと何度も言ったというのに!」
「霧彦……」
「でもこんなくだらない場所でも故郷なんだ。壊さずおいてあげる。その代わり、鬼をばら撒いてあげるから。それが放たれ、町が邪気に沈んだとき、ようやく今まで鬼門を守ってきた寺社のありがたみを思い知るんだろうさ、ざまあ見ろ」
「だから、霧彦、やめろ」
「やだ」
かつての彼は、優しい人だった。
氏子たちの相談に親身になって乗り、誰かの悩みを一緒に嘆き、誰かの喜びを共に喜ぶ、人の気持ちのわかる人。
それが。大切な居場所を失った途端に、人が変わってしまった。
彼は邪気に当てられ、知らず知らずのうちに溜め込んでいた不満が爆発し、濁流となって彼の優しさを押し流していき、その怒りの矛先が邪気に対抗する術のない人々へと向かっている。
要は必死になって、人形を取り出した。
父から習った呪術を使って、必死になって鬼を消そうとしたが、力が及ばなかった。
その夜、地図からこの小さな町は消えた。
世間一般では、地盤沈下でなくなってしまったことになるが、その日のうちに鬼が跋扈し、蹂躙の限りを尽くしたことを知る者はなく。
ただこの地に住んでいた呪術師たちが必死で抵抗したものの、数の暴力でなすすべがなかったのだ。
要はその日の内に、故郷も、祖父も、起きている父も、親友も無くしてしまったのである。
彼が陰陽寮に所属し、陰陽師として働いているのは他でもない。
あの騒動で消えてしまった霧彦を止めるため。そして、もう二度と力のない人を呪術の犠牲にしないため。
何度も間違えた彼ではあるが、もう次がないことくらいわかっていた。
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