恋情と友情

 藤堂の偵察結果に、要は顔をしかめていた。

 元々おかしいとは思っていたのだ。どうしてこうも、十和子が巻き込まれるのか。まるで十和子と要が協力者だということを知っているみたいに、彼女を要の人質に取ろうとしている。

 それで十和子の既知の中に紛れ込んでいるのではないかと、内通者を探してもらっていた。藤堂は要と違い、女装して校内に潜伏という手段は使えなかった……中性的な要と違い、体格的な意味で無理があったのだ……ため、偵察には難航したが。

 それでも胡蝶女学館の十和子と関係のある女学生に調査対象を絞り、一件一件調べて回った中で、ようやく結果が出たのだ。

 十和子ともっとも仲のいい誠こそが、内通者だということを。


「……こんなこと、彼女に言える訳がないだろう」

「そりゃあね。たしかに十和子さんからしてみれば、やってられないだろうさ。だがね、彼女をこのまま放置しておくこともできないよ。彼女が呪術師に操られているのか、それとも本当に心の底から呪術に心酔してしまったのかわからないんだからね」

「そうなんだが……」


 誠は華族であり、いわゆる高嶺の花という存在である。

 校外で彼女に接触するのはなかなか難しい。なんといっても、彼女が友達と少しばかりの買い食いをしているときだって、遠巻きに彼女の護衛がいるのだから。日頃から鍛錬を積んでいる十和子すら気付かないような、護衛の者たちだ。

 そんな彼女が呪術に染まることなど、まずは考えられないが。

 これが会ったことのない婚約者によって、少しずつ。本当に少しずつ染められたのだとしたら、ありえるのだ。

 藤堂は誠宛の信書を何度もすり替え、中身を確認しなければ、彼女が呪術師と関係があるなんて判明しなかっただろう。

 藤堂は顔をしかめている。


「要。わかっていると思うけど、十和子さんが傷付くよりも先に、危険だということを考えなければならないよ? 誠さんは既に呪術師の術中に落ちている。彼女をどうにかしない限り、十和子さんが危険なのは変わらないんだからね」

「……ああ」


 そういう訳で、彼女をしばらく邪気祓いから遠ざけ、誠が接触していた呪術師を誘き寄せるための罠をつくっていたのだが。

 まさか十和子への善意が、逆に彼女を追い詰めるなんて、思ってもいなかったのである。


****


「くっ……ううっ…………」


 痛い、いたい、イタイ……。

 無理矢理外された肩がミチミチと突っ張って痺れ、十和子に絶え間なく激痛を与えてくる。十和子の額には脂汗が滲み出てつるりと落ちていく。

 それをにこやかに誠は見つめていた。


「大丈夫よ、十和子ちゃん。もうちょっとしたら終わるからね」

「終わるって……なにをする気なの、誠ちゃん」


 あまりにも誠が普段通りなため、十和子も困惑していた。

 この前の警察官のように、邪気と子鬼のせいで凶暴化でもしてくれれば、少しは彼女が変わってしまったことに諦めが付いたかもしれないのに、あまりにも誠が変わらないせいで、十和子も踏ん切りが付かないでいた。

 そもそも。床に転がされた挙げ句に肩を外されてしまっては、まともに起き上がることすらできないのだ。

 その様子を霧彦は満足げに眺めている。


「いい景色ですね。まさかいつもお強いあなたの、こんなに弱っている顔が見られるとは」

「まあ、浮気?」


 途端に誠がプクッと頬を膨らませるが、それに霧彦はクツリと笑う。


「いいえ、自分の気持ちは誠さんひと筋ですよ」

「嬉しい、霧彦さん」


 そう言ってコロコロ笑う誠を、十和子はなんとも言えない顔で眺めていた。


(本当に、どういうことなの……? 誠ちゃんが怪盗乱麻と婚約していて……その人を心から愛していて……私を要さんの人質に使おうとしている)


 本来ならば、ここで誠を「この人は呪術師だから、誠ちゃんは騙されているのよ」と言えればよかったのだが、十和子は誠が婚約者のことをいかに大切かを、ずっと聞かされ続けていたから、それを口にしてしまっていいものかを躊躇った。


(そもそも……怪盗乱麻は本当に誠ちゃんと婚約していた霧彦さんと同一人物なの? もし本当にそうだったら、わたしは誠ちゃんの婚約者とやり合わないといけなくなるし……)


 そうひとりでグルグルと考え込んでいる中、霧彦が「それでは、そろそろ参りましょうか」と誠に声をかけた。


「はい」

「……どこに、行く気なの?」

「ええ。胡蝶女学館に溜め込んでいる邪気を、きちんと使おうかと」

「使うって……あれを?」


 十和子は頭が真っ白になる。

 学校地下に存在する、地下湖。

 あれは近くにいるだけで怖気の走るものだった。あれを、なにに使うつもりなのか。

 子鬼に注ぎ入れれば、たちまち大鬼となり、霊感のない者にすら認識できるほどの驚異となるだろう。

 あの中に人が落ちた場合は……あれだけの膨大な邪気だ。あれだけの邪気に触れて、人が正気を保っていられるかは怪しいものだ。


「それでは参りましょうか、誠さん」

「はい、霧彦さん」

「待って! あんなものを使って……あなたは、正気なの?」


 十和子がそう霧彦に尋ねる。

 すっと彼の狐を思わせる双眸が、鋭く細まった。


「あんなもの? あんなものとは?」

「……あんなに邪気を溜め込んで……あんなものをどうにかしようとしたら……きっと大変なことになるのに。要さんはあなたを止めたがっていた。あなたと戦いたくなかったみたいだった。なのに……」

「……あれは呪術師の裏切り者だ。裏切り者に今更友人面をされても、こちらとしても迷惑だ」


 その言葉に、十和子は喉を鳴らした。

 霧彦を誠は心配そうに見上げる。


「霧彦さん……」

「自分たちの存在を国に否定されて、壊されて、なかったことにされて……それでよくこの国のためなんて触れ込みを信じていられるな? この国のためなんかじゃない。あいつらは、自分たちのことしか考えていないというのに……! 実際にこの国の景気はよくなったと謳っているが、その恩恵が下々に回っているのか? 本当に? でたらめばかりじゃないか……!」

「……霧彦さん、霧彦さん」


 誠は激昂する彼の袖をきゅっと掴む。


「よろしいの? 暦を違えては、術は失敗するのでしょう?」


 その言葉に、十和子は愕然とする想いで、誠を見ていた。

 いったいこの男が、なにをどう誠に吹き込んだのかはわからない。だが、間違いなく誠は彼から呪術の話を聞かされ、彼の願いを叶えたいと思っている。

 それは……十和子が要に対して思い描いている感情と同じだ。


(……誠ちゃん、本当にこの人のことが、好きなんだね)


 たまたま十和子が好きになったのは、鬼門を憂い、町を憂い、呪術師の立場を捨てて陰陽寮に下った人間だっただけ。

 たまたま誠が好きになったのは、国により寺社を潰され、帰る場所も矜持も蹂躙されてしまい、復讐に走ろうとする呪術師だっただけ。

 互いが好きになった人が逆だったら、逆の立場になっていたかもしれないのだ。


(本当は、絶対に止めないといけないのに……)


 それがこの町の平和のためであり、鬼門をこれ以上刺激しない手段であり、誠に呪術師たちと同じく人を破滅させようとする道に行かせないための手段だとわかっているのだが。

 それと同時に、十和子は誠が霧彦に尽くしたいという気持ちがわかってしまった。

 ……それは得物がない状態でも得物を探し出し、要を助けるために振り回す十和子と、なにがどう変わるのか。


(好きって、歯止めが利かなくなることだよね……)


 霧彦に無理矢理立ち上がらせられると、肩がミチミチと痛み、十和子は何度目かわからない悲鳴を上げる。だが、霧彦も誠もそれについてはなにも触れず、歩いて行く。

 食事はそのまま裏に停められた車に乗せられ、車は走って行く。

 存外静かな車の中でゆっくりと食事をするふたりを眺めつつ、肩の外れた十和子はフォークもナイフも持てず、ただふたりを眺めていた。

 あの地下湖の邪気を使って、なにをするつもりなのか。

 ふたりを止められるのか。それを考えながら、車窓を睨んでいた。

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