恋文と相談

 警察関係者の懇親会は、瓦斯爆発の危険があったため中断。原因究明のため、しばらく借り上げた建物は立入禁止となり、関係者たちは事情聴取の末帰宅することとなった。

 表向きはそうなっているが、正確には陰陽寮と政府関係者により、そういう風に隠蔽された次第である。混乱に乗じた客を止めようとし、乱闘になってしまった父は、しばらく入院することとなってしまったので、十和子は婚約の話がどうのこうのと言っている場合じゃなくなり、母は慌てて父の入院に付き添いに行くこととなったのである。

 残った十和子は、兄たちの朝餉と弁当、夕餉をつくることとなったが、彼女のつくったご飯は概ね不評であった。


「十和子、お前いくらなんでも日の丸弁当はないだろう?」

「あら、兄様。腐らないからいいじゃない。母様の弁当をつくれるほど、わたしも器用じゃないわ」


 よくも悪くも、要に差し入れをつくりたい一心でおむすびだけは上手くつくれるようになった上、米の炊き方も完璧になった十和子だが、他のおかずはまあひどかった。

 味噌汁をつくるとそもそも出汁が入っておらず、飲んだ兄たちの顔をしかめさせた。ちなみにお湯で味噌を溶いただけなため、具に麩ひとつ入っていない。なんとか干物を見よう見真似で焼くが、全部焦がした。焦げていない部分を探すほうが難しい。

 煮るか焼くかしかできない十和子が当然ながら野菜のおかずをつくれる訳もなく、むしろ日の丸弁当だけのほうがまだマシな程だったのだが。何故か母の糠床を守るのだけは上手く、彼女の漬けた野菜が異様に美味かった。

 彼女の漬けた茄子の漬物に至っては、高い漬物屋のものを買うよりも美味い具合なため、日の丸弁当に漬物を刻んで出したら、それで兄たちの文句も治まったのである。

 ちなみに十和子が漬物づくりだけ異様に美味かったのは、単純な話だった。


(要さんに差し入れするのに、おむすびだけだったら物足りないかもしれないから、漬物でも摘まんで食べられたらいいわね)


 好きの力は偉大だった次第である。

 朴念仁が過ぎる兄たちは、彼女が懸想している相手に当然ながら気付くこともなく、「父さんが帰ってくるまで、もうちょっとお前の料理の腕なんとかしろよ」と言われ、十和子は拗ねた顔で「わたしだって、練習すればもっと上手くなりますからぁ」とあっかんべえをして見送った。

 十和子は自身も学校に向かうべく、バタバタと用意をしていたところで「申し訳ございません」と声が聞こえた。


「はい、どちら様でしょうか?」

「天道です」

「……要さん?」


 十和子は慌てて鞄を携えて、戸締まりをしてから出て行くと、校内で見かける通り、セーラー服に亜麻色の髪を束髪にし、藤色のリボンを留めた要の姿があった。

 十和子の手を取って踊る、髪をひとつ結びにしてタキシードを着た姿では当然なくて、十和子は少しだけ思い返しながらも「要さんはお仕事中だから」と自分に言い聞かせてから、彼に頭を下げた。


「おはようございます。珍しいですね、こんなところまで」

「ええおはよう、十和子さん。少しよろしくて?」

「はい……? ええっと学校じゃ駄目だったんでしょうか?」

「登校しながらお話ししたかったから……駄目?」


 そう言って小首を傾げて十和子と潤んだ瞳で見つめる。それに十和子は思わず仰け反った。


(要さん、これわかってやってるのかな。無自覚なのかな。自覚ありでもなしでも、質悪いけど……)


 綺麗な顔の人の潤んだ瞳でも頼み事など、男女問わずなかなか「嫌だ」と切り捨てることなどできないだろう。十和子はそう思いながら、頷いた。


「わかりました。ではゆっくり歩きながら話をしましょう」

「ええ、ありがとう」


 こうして、滅多にない十和子と要の登校風景となった。

 相変わらず要が歩けば、男女問わず視線が彼に集中する。男性は鼻の下を伸ばすし、女性は憧れの眼差しを向ける。相変わらずの光景で、十和子は彼らの視線の先には入らない。

 逆に言ってしまえば、誰もかれもが視線を向けている中での会話のほうが、呪術師たちがなにかしら仕掛けようと思っても目撃されてしまうためにできないため、安全が確保されるのだ。

 いろんな人々の視線を感じつつも「お父様は大丈夫?」と要に気遣われる。

 父を病院に手配してくれていたため、そのことに触れてくれたのだろうと十和子はじんわりと胸が温かくなるのを感じながら返事をした。


「母様が一緒に入院先にいます。鍛えている関係か、そこまでひどい怪我ではなかったようで、明後日には退院できるそうです」

「そう……それはよかったわね。それでなんだけれど」

「はい?」


 要はじっと十和子を見つめてくる。十和子は思わずときめくが、それでも彼女は既に彼の生真面目な性格を知っている。


(要さん、本当に勘違いさせるようなことばかりするんだから……)


 そう胸の鼓動を誤魔化していたところで、ようやく彼は口を開いた。


「お父様のことで家が慌ただしいでしょう? しばらくはお手伝いは結構だわ」

「え……ですけど、明後日には退院しますし、うちの兄たちの食事の準備くらいしか用事がないですから、大丈夫ですよ? そりゃ、洗濯物をする時間は必要ですけど……」

「だから、大変でしょう?」

「大変じゃないですよ? あのう、要さん。わたしになにか隠し事がありますか?」


 彼の性格上、そう簡単に教えてはくれないだろうなあとわかってはいるが、一応十和子は聞いてみる。それに要はにこやかに答えた。


「いいえ、ちっとも」

「ですかあ……」


 そんな訳で、急に逢魔が時の鬼退治の手伝いが、しばらく中断になってしまったのである。


****


(なんでだろう……わざわざ陰陽寮から、邪気祓いのお仕事している要さんに続いて、偵察担当の藤堂さんまで派遣されてきたし、そもそもこの学校の地下に邪気の湖をつくられちゃってるから、なにかあるのかな……要さん、わたしのこと心配してくれてるのかな)


 どうも要は、十和子に対して過保護である。

 普通の女学生は、そもそも真剣どころか木刀だって振るえないし、振るったとしてもそれだけでへろへろになってしまうというのに。十和子は大の男であったとしても、得物さえあったら負ける気がしない強者だが、彼はあくまで彼女のことを普通の市中の娘として扱う。

 普段は彼がそう扱ってくれるのが嬉しいんだが、今回に限ってはいきなり遠巻きにされてしまった理由がわからず、どうにもむずむずする。

 おまけに学校についた途端に「今日は校長室に用がありますから、先に教室に行ってらっしゃいな。しばらくは家庭のこともありますし、早めに帰りなさいね」と言って、置き去りにされてしまった。

 ますます意味がわからない。


(やっぱり要さん……怪盗乱麻のことでなにかあったのかな……)


 あの狐に似た容姿の男性のことを思い返す。

 彼がわざわざ警察関係者ばかりのところで邪気を撒き散らして騒ぎを起こし、そのまま町を混乱に陥れようとしていた。

 十和子の父もそれが原因で入院してしまったし、混乱のせいで怪我人も出た。責任感の強い彼が、傷付いていないといいんだが。

 せめて藤堂がいたらもう少し話を聞けないかとも思うが、彼のほうが要よりもよっぽど口が硬そうで聞き出せるかがわからない。十和子は直接的な物言いに考え方なせいで、裏の裏を読むということはとことん苦手だ。

 そうひとりで物思いに耽っていたところで、「十和子ちゃん、おはよう」と機嫌のよい声が背中に投げかけられた。振り返ると、誠が立っていた。十和子は会釈する。


「おはよう誠ちゃん。ずいぶん機嫌がいいみたいね」

「ええ……久し振りなの、彼に会えるのが」

「ああ、婚約者さん?」

「ええ。あのね、そのことで相談なんだけれど」


 誠が夢見がちで嬉しそうな顔をしているのに、十和子はキョトンとした顔をしてみせると、彼女ははにかむように笑った。


「私ひとりだと緊張してしまうから、十和子ちゃんも今度一緒にカフェーに行くのに、付き合ってくれないかしら?」

「え……」


 まさか友達の婚約者に会うのに付き合う相談を持ちかけられるとは思ってもみず、十和子は困った顔をした。


「あのさあ、わたしはいいんだけれど、婚約者さんに失礼じゃないかな? それにわたしもどんな服を着て一緒に行けばいいのか……さすがにわたしも、華族のお嬢さんみたいな格好って言われても困るわよ?」


 いくら士族の家系とはいえども、十和子の家は既に剣道場を営んでいるくらいで、そこまで太い資本などない。せいぜい警察にそれなりに口利きができるだけだが、政治家でもあるまいし、警察に口利きしてどうこうなる案件など家にはない。

 本来、華族ともなれば商売音痴が多く、大正の中頃からは没落する家系も数多くあるのだが、誠の実家は上手いことやりくりしているため、どんなことがあってもお金に困ることはなさそうだ。そんな人の逢引同行なんて、十和子だって困ってしまうが。

 それには誠はくすくす笑った。


「普通の着物で充分よ。もう卒業してしまったら、袴を合わせて穿くことだってなくなるでしょうし、着物に袴を合わせてきてくれたら、充分よ」

「まあ、それくらいならば……でも本当にいいの?」


 ドレスであったのなら、そんな逢引に着ていけるようなものなどほとんど持っていないが。着物ならば多少なりともいいものは持っているし、袴を合わせてかまわないなら問題ないだろう。

 しかし本当に友達の婚約者との逢引に同行なんていいのか。十和子が再三確認するが、誠はにこにこと夢見るように笑うばかりだ。


「だって私の婚約者にお会いして欲しいんだもの」

「そう……? 邪魔にならないんだったらいいけど……」


 女学校を卒業したら、そのあとの女性はほぼ家庭に入ってしまうために疎遠になる。地元に残っている場合はその限りではないのだが、特に華族や豪商になってしまったら、嫁入り先から付き合いの制限がかけられ、なかなか自分の意思で友達に会いに行ったりはできない。

 だから、女学校の友人を婚約者に会わせることで、それ以降も交友関係を築くこともなくはないのだ。


(誠ちゃんが寂しく思ってるなら、それでかまわないんだけど……)


 十和子はただただ、首を傾げていた。

 婚約者とずっと文通を続けるくらいに夢見がちな誠が、わざわざ自分の婚約者に紹介してくれるということは、結婚してからも交友関係を続けたいという意思だとは思うが。夢見がちな彼女にしては、やや強引なのだった。

 ひとまず、ふたりは待ち合わせ場所や時間をやり取りした。

 誠はにこやかである。


「ええ、ぜひとも会って欲しいわ、十和子ちゃんに」


 いつものように夢見る口調でそう言った。

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