討伐と顛末

「十和子くん……!」

「おお、やるねえ」


 人形で子鬼を始末し、やっとのことで警察官の浄化に当たれそうな要に、そもそも偵察向けなためお祓いが不得手な藤堂は、十和子の登場にほっと息をついた。

 十和子は灯りを構えて、警察官を睨んだ。警察官は今日は正装であり、腰には得物は付けていないが、それでも怪盗乱麻よりも力が強く、その上胴を大きく打ち付けてもなお、叫ぶことなくただ彼女を睨み付けていた。


「要さん、この人はどうやったら元に戻れますか!?」

「……時間を稼いで欲しい。体内に入った邪気を祓わない限り、暴走は止まらない」

「わかりましたっ!」


 再び十和子は灯りを大きく振りかぶる。

 しかし先程彼女が殴りかかったとき、本来ならばあばらが軋み声を上げてもおかしくなかったのに、それがなかったことが引っかかった。


(この人は……鬼に取り憑かれたせいで、痛みを痛みと感じられなくなっている……?)


 眠いと、空腹よりも先に眠りたい。

 物思いに耽っていると、どれだけ目を瞑っても頭が冴えて眠れない。

 怒っていると、好物のホットケーキもおいしく食べられない。

 悲しいと、いつもおいしく食べている漬物もしょっぱい。

 邪気に当てられて、心身共に暴走している状態では、本来ならば肉体を守るために一番必要な痛覚すら、麻痺している可能性がある。


(せめて痛みを感じてくれていたら、このまま一気に峰打ちにして、その隙に要さんに祓ってもらえるのに……! 痛みを感じないんだったら、どうやって……?)


 本来ならば疲労が蓄積されれば、体は睡眠を求めて眠りにつくはずなのだが、警察官はどう見ても暴走していて、眠ってくれないようだった。

 だとしたら、十和子が要のお祓いを待って、足止めをするしかない。


(できるだけ、関節を狙って動きを止め、体の負荷を最小限にする……!)


 十和子は今は床に転がっている父から習ったことを、頭の中で反芻した。

 頭は駄目だ。金属製の灯りで殴ったら、最悪死に至る。膝、肘、足の付け根、脇腹……体のあちこちの関節に打ち込めば、動きが怯むはずだ。それを集中的に行って、要のお祓いを待つしかない。


「たぁぁぁぁぁぁ…………!!」


 十和子は灯りで大きく膝を突いた。途端に警察官はビクンッと体を跳ねさせる。池の鯉のような跳ね具合に仰け反りつつ、十和子は手応えを感じた。


(膝を突いたけれど、体にそれほど負荷は蓄積されてない。これなら……!)


「フガガァァァ!?」

「クッ!?」


 警察官は一瞬たじろいだものの、続いて十和子が打ち込もうとした肘を折り曲げて守ったと思ったら、手首で彼女の得物の灯りを受け止めていた。ぐにゃりと曲がった手首が、見るからに痛そうだ。

 灯りをどうにか引こうとしても、警察官のほうが腕力が強い。おまけに、警察官はあろうことか十和子の足の指を大きく踏んづけ、彼女の足のステップを阻害している。これでは、十和子は彼を殴ることもできなければ、得物を振ることも、抵抗して足を踏むこともできない上に、痛い。


「イッタ……!」


 靴を脱いで逃げようにも、既に爪先は血が滴るほどに真っ赤になってしまっている。十和子は歯を食いしばりながら、警察官を睨んだ。


(要さん……!!)

「……待たせて済まない、十和子くん。臨兵闘者皆陣列在前……! 霊符神が一柱、三万六千神……!」


 要の呪文詠唱により、彼の浮かべた人形は一気に光り輝いた。

 目を開けていられなくなり、十和子は思わず目を瞑ったとき。


──ぴぎゃ

 ──ぴぎゃぎゃ

  ──ぎゃっぎゃっ


 たしかに声が響いた。怪盗乱麻が見せつけた活動写真によると、彼の足下にしがみついた子鬼は全部で三匹。要の召喚した光により、子鬼たちは彼の体内で悪さすることができなくなり、とうとう蒸発して消え失せてしまった。

 途端に、十和子の足を踏んづけていた警察官は体勢を崩し、そのまま十和子にのしかかるようにして倒れてしまった。十和子がその下でバタバタしていたら、「十和子くん……!」と慌てて要が警察官を転がして彼女を助けてくれた。


「ありがとうございます……あの、子鬼は全部」

「今の詠唱は相当長い時間が必要だった。君が来てくれなかったら、最悪あの警察官を取り逃がし、市中で惨事が繰り広げられていただろうさ」

「そうなんですか……防げてよかったです」

「君のおかげだ……ひどい怪我をしてしまったね。折角よく似合う靴だったのに」

「あ」


 警察官に踏んづけられた靴は、先端を力任せに踏まれてしまったせいか割れてしまった上、十和子は親指の付け根から血を流していた。体重を掛けられたせいで親指の爪が割れ、そこから血を噴き出していたのだ。


「戦うのに夢中で、気付きませんでした……」


 十和子が気まずそうにそう話すと、要は黙って自身の胸ポケットから見せつけていたハンカチを抜き取り、彼女の靴を脱がせるとそれで足を縛る。


「痛くないか? 爪が折れるくらいにまで頑張ってくれて……」

「わ、わ、わ……わたし、本当に要さんが心配してくれるほども大したことなんてしてませんよぉー!」


 そう言って十和子はぶんぶんと首を振るが、それでも要は笑みを浮かべた。


「今、会場から出した人々は陰陽寮が忘却香を使って記憶改竄を行っている。君が邪気にやられた警察官を足止めしてくれなかったら、ここまで俊敏に忘却香を使うことも、これ以上恐怖にさらされた人たちを野放しにすることもしなくて済んだ。ありがとう」

「お、お礼なんてぇ……」


 思わず十和子が頬を赤らめている中、各所からの報告で人形を飛ばしていた藤堂が「そこまで」とパンパンと手を叩く。


「今会場で倒れてたり気絶している人たちの記憶改竄及び、館の修繕作業を執り行うから。今から陰陽寮から人が送られてくるから、全て終わるまでは中庭に出ていようね」

「あ、はい!」

「あと十和子さん、ちょっと要と陰陽寮の話があるから、先に中庭に出てもらってもいいかな?」

「はい! 要さん、藤堂さん、お待ちしていますね」


 十和子はそう会釈して、ひと足先に中庭へと出て行った。

 靴は割れてしまったし、親指だって悲惨なことになっているが。それでも要からハンカチで手当てをしてもらった。父も無事だった。警察官も悲惨な結末を迎えずに済んだ。

 彼女はそのことに感謝しながら、ステップを刻むような足取りで中庭へと出て行った。


****


 十和子が先に出ていったのを確認してから、藤堂は深く深く「はあ……」と息を吐いた。

 基本的に十和子はどれだけ強くても一般人だから優しく接している藤堂ではあるが、特殊な生い立ちとはいえども陰陽寮に所属している要に対しては、藤堂も少々手厳しい。

 先程までの柔和な笑みを引っ込めて、前髪を掻き上げた。

 相変わらず要は、女装をしない限りはそこまで愛想はない。


「君もずいぶんとお熱のようだね。たしかに彼女、薄緑なしでも充分強いし、こちらの手伝いもしてくれているが……厄介なことになっているね」

「先程からなにやらやり取りをしていたみたいだが。彼女に聞かれては困る話か?」

「自分の仕事は本来偵察任務でね。そっちのほうで情報がいくつか入っているよ。時系列から聞くかい? それとも、今日の話から?」

「……今日から。今日の任務、どう考えても術者がいたが……十和子くんはおそらく遭遇しただろうが、聞きそびれた」

「それだけど。残念ながら今日の黒幕も君の幼馴染のようだよ」

「そうか……」


 怪盗乱麻と名乗って、怪盗活動を行いながら邪気をばら撒く。探偵小説に出てくる猟奇殺人犯ほど派手ではないが、被害が町単位なのはどう考えても怪盗乱麻のほうであった。

 彼が未だに邪気を大量にばら撒き、それで被害者を増やしていく手を緩めないことは、要を傷付けるには充分だったが。

 今回はそれ以上にひどい話が存在している。


「それともうひとつ。彼女に出てもらわなかったら言えなかった話だけれど」

「……胡蝶女学館の内通者のことか。見つかったんだな?」

「鬼門に建っているせいで、どこもかしこも邪気だらけで偵察するのも難儀したんだけどねえ。前に怪盗乱麻が校内を踏み荒らしてくれたおかげで、邪気の整理ができた。それで調べがついたけれど、内通者は」


 それを聞いた途端に、要は目を見開いた。


「……それは本当か?」

「さすがにね、協力者を傷付ける気はこちらとしてもないんだよ。要くんが頑張ってくれているから、なおのことね。どうする? 適当に罪をでっち上げるように働きかけて、そのまま陰陽寮に連行して、呪術師について尋問することも可能だけれど」

「……以前に呪術師に入れ知恵された小間物屋が死んだ。こちらに既に内通しているのがばれた途端に、彼女が殺されることは目に見えている」

「そうだね。先に彼女が呪術師にかけられている術を解くことが先かな。で、このことはどうする?」


 暗に十和子に伝えるか否かと問いかける。

 どう考えても協力者である十和子を巻き込むことになるのだ。あらかじめ彼女に知らせた上で巻き込むか、なにも知らない彼女を巻き込むかの二択しかなく、隠し通すのはどう考えても無理だ。


「……これは俺の口から言うのがいいだろう。君から言われたら、十和子くんも余計に混乱するだろうからな」

「だろうね、そうしたほうがいいよ。本当にどうしようもなくなったら、彼女に忘却術を使ってもかまわないけど」

「……彼女はそもそも、忘却術を自力で解除したんだ。忘却香ではどうすることもできまいよ」

「そう。君にひどい役回りを押しつけてしまってすまないね」


 口調こそ軽いものの、それは心からの藤堂の本音であった。

 陰陽寮は、平安の世からずっと守り続けていた鬼門の守りを崩した呪術師を、決して許しはしない。

 元は同じようなものであったとしても、大正の世では陰陽師と呪術師には、深い溝が刻まれてしまっている。

 だからこそ、要はずっと彼らに押しつけられ続けているのだ。

 我らの同胞になりたくば、かつての同胞を消せと。

 それは所属する陰陽寮の考えながら、手放しで賛同できない。しかし残念ながら藤堂には戦う術はない。

 要に全てを押しつけるしかないのだからこそ、心からの謝罪以外にかける言葉が見つからないのだ。

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