怪盗紳士と予告状

 十和子が再び走って予備室に向かおうとした途端に、ドシンとぶつかってしまった。


「あっ、すみませんっ! 急いでて……はい?」


 十和子が思わず素っ頓狂な声を上げた先に立っていたのは、十和子がぶつかった先にいたのはスーツの男性だったからだ。

 基本的に胡蝶女学館は教師も含めて女性しかいない。男性はせいぜい校長と学園長くらいで、あとは皆向上心の強い女性ばかりだ。要のように女装している可能性もなくはないが、少なくとも十和子は要以外で女装している人を見かけたことがない。

 ぶつかった相手はにこやかに対応する。


「おやおや失礼。胡蝶女学館のお嬢さんですね?」

「はい……?」


 スーツからは独特の匂いがする。というより、それは毎度毎度逢魔が時に鬼退治している際にさんざん嗅いでいる香炉の忘却香の匂いだ。

 そもそもこの御仁、予備室に向かっているのだ。それで十和子は尋ねた。


「要さんのお知り合いですか?」

「ああ、要の相棒とはあなたですか。ここでお話するのは難ですね。予備室に向かいましょうか」

「……は、はい」


 髪をきちんと脂で固めて流している姿は、いわゆるモボという類で洒落ている。もし他の女学生がいたら、きっと頬を染めて遠巻きに眺めていただろう。思えば十和子は、要が狩衣を着ている姿か、女装している姿しか見たことがない。


(要さんは似合うのかな……)


 ひとりでそうぼんやりとしている中、「要、相棒が来ましたよ」と戸を叩かれる。

 そこで要が戸を開き、露骨に嫌な顔をして男性を見た。


「……藤堂とうどう、どういう用件だ。俺は今任務中だが」


 普段の女言葉でないことからして、どうもこのスーツ姿の彼に任務中の姿を見られたくなかったらしい。彼は戸を閉めて、「失礼」と十和子と一緒に入った。


「いやねえ……この学校に不穏な話があったから来たのだけれど。それとこの相棒も」

「あ、あの! 要さん、友達から話を伺ったんですけど、これを……!」


 十和子は我に返って、誠から見せてもらった新聞の切り抜きを見せる。

 その予告状を見た途端に、顔をしかめて眉を揉み込みはじめた。


「……突っ込みどころが多過ぎる。快刀乱麻の洒落で怪盗名を語る上に、わざわざ予告状を出すなんて」

「そうですね。ちゃんと撒いたおかげで、引っかかってくれましたけれど。どうしますか?」

「向こうが探偵小説ごっこをしたいならば、付き合うしかないだろうさ」


 片やスーツ姿でにこにこと表情を変えない好青年。片やセーラー服の令嬢然とした姿のまま、男口調で不機嫌丸出しの姿。どうにも気安い関係に見えるのだが、このふたりの関係がわからず、十和子は「あのう……」と要に尋ねた。


「この方は、陰陽寮の……?」

「陰陽寮の偵察担当の藤堂だ。この間からの呪術師の不穏な動きを探ってもらっている。どうにも呪術師が邪気を振りまいてなにかを創り出そうとしているみたいだからな」

「はい、それで今日は報告に上がったんですよ。そしたら要の相棒に会えて幸運でした」

「わたしに会えて……ですかあ?」

「はい、薄緑を難なく扱える女人と聞いて興味が湧きましてね。お会いできてよかったです」

「そうなんですか……?」


 思わず十和子は要を見ると、要は藤堂と話をしていたときはあからさまに不機嫌だったが、途端に柔和な笑みを浮かべる。それこそ十和子が勘違いしてしまいそうなほど優しい笑みで。


「前にも言ったと思うが、平安の鬼斬りの刀を大正の世で難なく使いこなせる人間は少ないからな。警察に相方の打診をしようと思っていた矢先に、君が見つかったんだから」

「まあ…………」


 警察官であったら、もしかしたら十和子ほど苦戦はしなかったかもしれないが、十和子が要の隣に立てなかった。そう考えたら、警察に頼むより先に会えてよかったと彼女は少しだけ思ったが。

 今日の予告状と呪術師の関係がわからなかった。


「でも……怪盗が薄緑を盗みに来るんですよねえ……? その怪盗が呪術師なんですか?」

「大方そうだろうと言われているな。そもそも源氏の重宝を盗むような罰当たり、呪術師以外にいないからな」

「えっと……怪盗だから価値のあるものを盗むとかではなくって?」


 十和子もさすがに刀の価値はわからないが、源義経の愛刀だったと聞けば、盗みたくなるものではないかと思うが。怪盗の気持ちはよく知らないが。

 それに藤堂は「はははははは」と笑う。


「たしかにそれも一理あるけれど、この刀は逸話を読めば読むほど、怖くて価値のわかる人間だったら手を出さないと思うよ。あまりにも化け物斬りの逸話が多過ぎるからね。大江山で酒呑童子退治にも提げられていたとされているから、余計にね」


 考えれば考えるほどに、退魔の刀であり、陰陽寮ではどうにかして使い手を探し出したいし、呪術師からしてみれば消し去りたい刀のように思える。

 なによりも怪盗の美学からしてみれば、血に塗れた刀を盗んで被害をこうむるよりも、宝石などわかりやすいものを盗んだほうがいいような気がする。


「理屈はわかりましたけど……でも薄緑、いつ盗まれるんでしょうか? さすがにわたしもこれを盗まれて、素手で鬼と戦えと言われても困ってしまうんですけど……」

「それについてはこちらがどうにかしよう。十和子くんは今日も普通に鬼退治をしてから帰ってくれたらいいから」

「はあ……わかりました……?」


 十和子は首を捻りながらも、情報共有したあと教室へと戻っていった。


****


 彼女が帰っていったのを見ながら、要は天井を見る。


「……どう考えても、あれだろうな」

「うん、校内に内通者がいるね」


 薄緑の特定、ふざけた犯行予告など、どう考えてもそれはただの酔狂な怪盗ではない。

 陰陽寮に「お前たちのことは常に見張っている」と揺さぶりをかけてきたのだ。陰陽寮からしてみれば、鬼門を守るために邪気祓いを行っているのであって、それ以上のことはしないが。

 国に恨みを持っている呪術師たちからしてみれば、ここで国に対して復讐するための材料が揃っているのだから、それを利用しない手はないと考えるのが妥当である。

 たしかに陰陽寮からしてみれば、薄緑以外にもいくらでも退魔の刀の入手法法はあるが。借り物をまんまと盗まれたら、普通に信用問題に関わる。特に源氏の重宝なんてものは、有識者からの借り物なのだから、それをおいそれと盗まれてしまったら、なかなか貸出許可なんて降りなくなってしまうだろう。信用問題の話だ。

 理由も目的もなんとなくはわかるが。問題はここに怪盗を呼び寄せた人間の存在だ。


「まさか藤堂、君でも特定できてないのか?」


 そもそも妖怪退治の術式に特化している要だからこそ、鬼門の守り手として派遣されたのである。偵察は本来、彼の領分ではない。

 それに藤堂は肩を竦めた。


「どうも呪術を使って、式神や人形を避けて回っているみたいなんだよ。多分厄介な相手だね……」

「あの小間物屋の女を呪い殺したのも……」

「おそらくは、ここの内通者だろうね」


 平安の世から、呪術師は表立って姿を現さない。ただ言霊に少し細工をし、人の恐怖や嫉妬を刺激し、邪気を増幅させる。

 鬼を育てるのは人間の負の欲望だ。ただ呪術師はそれにこっそりと支援しているだけで、真っ向からはやってこない。


「どうする? 怪盗に付き合って探偵ごっこに興じるかい?」

「相手の陣地にわざわざ入って死ぬ武将はいないだろ。どのみち逢魔が時になったら、あちらのほうからやってくる……そのときに仕留めるさ」


 それに藤堂はヒューと口笛を吹いた。それを要は半眼で睨む。


「なんだそれは?」

「いやね、愛だねと思っただけだよ」

「茶化すな。俺は彼女に嫌われるかもしれないとおそれてるだけだ」

「それを愛と言わずになんと言うのかねえ……彼女を囮にして、怪盗を捕まえる気だろう?」


 それに要は黙り込んでしまった。それを藤堂はケタケタと笑う。


「いい傾向だと思うけどねえ。あんな可愛い子、今時そういないんだから、もう声をかけておけばいいじゃないか」

「……普通の子を俺の都合に巻き込みたくない」

「そう言って、わざわざ薄緑ぶら下げて巻き込んだのがどの口で言うのかな」


 さんざん藤堂にからかわれ、ますますもって要はむくれた顔をした。


(……あの子はただ、腕が立つだけでそれ以外は普通だ。俺の都合になんか、巻き込める訳がないだろ)


 人がどれだけからかったとしても、越えてはいけないものがある。

 要はそれを越えたらどんな人でも顔を歪めて拒絶するということをよく知っている。

 あの屈託のない子に拒絶されるくらいなら、現状維持がいい。傍からは「そんなことないよ」と言われたとしても、本人が納得しないと意味がないのだから。


****


 その日もまた、逢魔が時になったら香炉で忘却香を焚き込めて、鬼の討伐がはじまる。


「たあ…………!」


 このところは鬼が育ち過ぎて大鬼となってしまうのが続いていたが、今日は子鬼であり、十和子が薄緑を振るえば、簡単に倒すことができた。

 前よりも体が淀みなく動くことに、十和子の息も弾む。


(不思議……前よりも体が思い通りに動く……これって今日の子鬼は弱いってことなのかな。それとも、わたしが強くなったってこと?)


 要が的確的確に人形を投げつけて足止めをしてくれるので、彼女が刀を振るい祓えば、最後の一匹まで簡単に駆逐できた。


「ふう……!」

「お疲れ様。今日の仕事は簡単過ぎたか?」

「そうなんですかね……今日の鬼、小さかったですね」

「育った鬼があらかた片付いたからな。鬼もそう簡単に育たないし、育てない」

「そういうもんなんですねえ……そういえば、藤堂さんは?」


 十和子はわざわざ陰陽寮の偵察担当の人が、潜入捜査中の要のほうに窺っていた理由について意味がわからなくて首を傾げた。

 要は「あれはまた偵察を行っているよ」とだけ答えてくれたが、十和子はどうにも据わりが悪くて首を捻るばかりだった。


「そういえば、もう薄緑を返して帰っていいんでしょうか……?」

「それだが」


 要がなにか答えようとしたときだった。唐突に十和子は動けなくなった。声も出せず、どれだけ口をハクハクと動かしても、声帯が仕事しないことに焦る。


(ど、どういうことなの……!?)


 それに要は顔をしかめて、人形を操った。

 人形を操った先は、十和子の長く伸びた影。そこからバサバサと黒い折り紙の鶴が飛び出してきた。それに十和子は目を白黒とさせる。


(これ……前に小間物屋さんで見た……!?)


 その折り鶴の影から、いきなりグイと十和子の腕を掴むものが現れた。十和子は驚くが、未だに拘束は解けず、動けない。

 出てきた姿を見て、十和子はまたも口をハクハクと動かした。

 影に紛れ込みそうな黒いスーツに、黒い帽子。そして顔は仮面で覆われている。

 探偵小説に出てきそうな出で立ちは……怪盗乱麻。


「やあ、薄緑とお嬢さんは、無事いただくとしよう」


 そう言って薄緑を持っている彼女ごと、ひょいと横抱きに抱えたかと思いきや、再び黒い折り鶴を飛ばしはじめた。そしてそれは、十和子の伸びた影の中に逃げ落ちようとしている。声を出したくても声が出ない。逃げたくても腕が動かない。

 手を伸ばしたくても、届かない。


(要さん……!)


 要は、怜悧な顔をして、怪盗と十和子を睨むばかりで、どんどんと遠ざかっていく。

 やがて、光は閉ざされた。

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