呪術師と影の戦い

 最初は真っ暗で、なにも見えず、ただ十和子は途方に暮れる。自分を抱えた怪盗乱麻の姿かたちどころか、温度すら感じないため、ただ孤独の中暗闇に放り出されたように思えてならなかったのだ。

 だが、やがて。

 ぼんやりとだが光が見えてきた。いや、光と言っていいものか。

 そこは地下湖だった。そもそも校庭の地下にそんなものがあるわけがなく、しかもその湖自体が発光しているのがおかしいのだ。十和子は目に見えるものを信用できず、ただ「なんで……?」とだけ呟いた。


「やあやあ薄緑の乙女、陰陽師の選ばれし剣よ、お加減はいかがかな?」


 今まで黙っていた怪盗乱麻がようやく口を開いたのに、十和子は思わず「ぴゃ」と声を上げたが、咳払いをしてツンと澄ました声を上げる。


「訳がわからないんですけど。わたしをこんなところに引き摺り落としてきて、しかもこんなところに連れてきて。あなたはいったいなんなんですか!? そして、どうして鬼門に邪気をばら撒くんですか!?」

「おやおやおやおや……あの過保護な陰陽師のことだから、もしやとは思っていたけれど、君に言っていなかったのかな?」


 怪盗乱麻は自身の顔に付けた面をパカリと取った。その顔はどこかで見覚えがあると、十和子は少しばかり考えて、気付いた。

 あの狐面の手妻師。彼の顔半分も、ちょうど今の彼の顔に似ていた。

 狐のように細い目に、通った鼻筋。華があるのとは違うが、どうにも魅入ってしまう奇妙な魅力が彼にはあった。


「あなた……子供たちに手妻を見せていた……」

「そうだね。あれで喜んでくれるんだから、子供は本当に素直な生き物だ」

「その素直な子たちを鬼の危害に加えようというの?」

「おやおやおやおや……その素直な子供たちをだまくらかしているのは、どこの誰だい? この国じゃないのかい?」


 そう言って怪盗乱麻はじぃーと十和子を見てきた。

 表情自体はなにも変わっていないというのに、醸し出す様子がどうにもちぐはぐで、十和子の肌が粟立つ。


「なにを言っているんですか!? そもそも、鬼を育てるために、いろんな人たちを呪術師に変えているのは、どこの誰!?」

「おやおやおやおや…………」


 どうにも、彼とは平行線のままで、一向に会話が噛み合うことがない。それに十和子は苛立ちを覚えている中、怪盗乱麻はニィーッと笑う。


「この国は、富国強兵の名の下に、大量に寺社を取り壊したからねえ。あれは駄目、これは駄目と、どんどん理由を付けては壊して壊してまた壊す……そのせいで、この国全土の霊脈は、もうガタガタなのさ」

「それは……」


 そのことは、たしかに要も言っていた。寺社が取り壊され、そのことに怒った関係者が、呪術師の言葉に乗せられて、呪術に走ったと。

 この国に復讐するために。

 しかし、その大事のための小事として、まず鬼門付近の人間が犠牲になる。十和子だって女学生たちを助けた。もし胡蝶女学館の中だけで押し留められなかったら、次に犠牲になるのはこの町だ。


「それはおかしいです。どれだけ国が悪くても、そのせいで住んでいる方が犠牲になってもいいんですか!?」

「おかしなことを言うんだね、本当に薄緑の乙女は」

「そもそもなんなんですか、薄緑の乙女って……!!」


 たしかに薄緑を振るってはいるが、そもそも借り物だ。そんな風に言われても困る。十和子が憤慨してそう言うと、怪盗乱麻はケタケタと笑った。


「かつて、都に鬼が出て、女子供はさらわれた……さらわれた女子供を助けるために、仲間と共に山に登った源氏の棟梁は、見事鬼を討ち果たした……しかし、そのあとはさんざんな末路さ」

「はあ……それって……頼光四天王のことですか?」


 かつて薄緑を持っていたとされるのは、源頼光とされている。

 頼光は幾許かの仲間と共に山に登り、酒呑童子たち山を巣くう鬼を成敗したと聞いているが。それで末路とは。

 ケタケタと怪盗乱麻は笑う。


「助けに行った姫も若も、皆死んだ。見事鬼を討ち果たしても、彼らが都に帰った際に受けたのは、罵倒さ……跡継ぎを亡くした者も、箱入り娘を亡くした者も、皆等しく彼らを責め立てた……それが原因で、頼光は地方に飛ばされた。子孫は奸計にかけられ、平家討伐を成すことなく討ち果たされた。恨み、妬み、嫉み……邪気を吸った源氏の重宝は、とうとう子孫にも及び、それぞれに凄惨な死を与えた」


 それに十和子は言葉を失った。

 薄緑と名付けられた十和子の借りた刀は、源氏の頼朝義経兄弟の不仲解消のために神社に奉納され、とうとう兄弟の不仲を解くことなく、兄弟をそれぞれ死に追いやった。

 それが平安の世から続く邪気の仕業と言われたら、そんなことないとは言いにくい。

 ケタケタと怪盗乱麻は続ける。


「最初は鬼や蜘蛛を殺す刀だったが、年月を追うごとに、その刀身には邪気が宿った……それを振るい続ければ、いずれは邪気に飲まれるだろうさ。それをわかって振るっていたのだとしたら、相当のものだよ。君は、どうして初めて会った陰陽師を、そこまで信じられるのかな?」


 粘ついた言葉遣いに、おぞましい自身の帯刀の正体。

 神社に預けられていたはずの刀に、邪気が宿っていると言われて、その邪気が鬼を育てて大鬼になったのを目撃して、どうしておそろしくないと言えるものか。

 十和子は愕然とした。本当だったら、もっと彼女は拒絶して、なにもかもに耳を塞いで黙ってしまってもよかったのだが。

 怪盗乱麻の言葉を続けざまに聞いて浮かんだのは、疑問だった。


「……あなた、要さんの……陰陽師の事情にどうしてそこまで詳しいんですか?」


 彼はたしかにいろんな嘘をついている。

 女装して女学校に潜入しているのはもちろんのこと、しょっちゅう一緒にいなければわからないくらいに女性として生活しているし、平気でおべんちゃらだって言えるが。

 彼は嘘をついていてもなお、十和子のことを心配してくれているように感じるのだ。

 彼の言葉の端々、行動の端々に感じる気遣いも言葉も、そして自分を逃がしてくれようとする行動も、それは自分を利用するためと言い切ってしまっていいものか。

 そもそもなにも思っていない相手に、わざわざ源氏の重宝を預けたりするだろうか。


「要さん、たしかにいろんな嘘をついていらっしゃる方とは思いますけど、そんなあなたが言うほど嘘八百を並べているとも思えません。たしかにこの刀に邪気がこびり付いても仕方がない謂われはあると思いますけど……そもそも薄緑ってたくさんあるじゃないですか。これ、本当に源頼光が使ってた薄緑ですか?」


 そもそも十和子にだってわずかにだが、邪気は感じるし霊は見えるのだ。そんな彼女が薄緑を持っていてなんの反応もしないということは、怪盗乱麻の詭弁だという可能性が高い。


「今初めて会ったあなたと要さんでしたら……私は要さんを信じますよ?」

「……ふふっ……ふふふっ……はっはっはっはっはっはっはっは…………!!」


 とうとう、怪盗乱麻は耐えきれなくなったのか、笑いはじめた。

 洞内に声がこだまし、あちこちから哄笑を浴びてひどくうるさい。


「ちょ……もう、なんなんですか、本当にあなたは……!?」

「はははははっ、いやあ……失礼。太刀筋だけたしかなおめでたい娘かと思っていたが、いやはや……あれは相当都合のいい子を手に入れたようだ」

「ちょっと……だから要さんの悪口はやめてくださいってば!?」


 十和子が噛み付くが、なおも怪盗乱麻の笑い声は治まらない。


「……あれは、陰陽師になりきれない陰陽師だというのに、よくそこまでのぼせ上がれるものだ」

「なんですか……それ」

「陰陽師にもなりきれぬ、今の呪術師にも染められない哀れな男……あれはそういう生き物さ」


 陰陽師になりきれない。

 呪術師に染められない。

 いったい、彼は本当に要のなにを知っているのか。

 十和子がぐらついている中。なにかが飛んできた……人形だ。


「臨兵闘者皆陣列在前……! 南極老人星……!!」


 人形を飛ばした向こうで、手印を切っているのは、紛れもなく要だった。


「要さん……!」

「おやおやおやおや、真打ちのお出ましだ。それじゃあ、お嬢さん。今はお帰り。もっとも」


 怪盗乱麻は恍惚に笑みを細めた。


「あれを信じ切れるのならばね」

「……あなたは、本当に要さんのなんなんですか」

「哀れな同士の帰りを待っている身さ。さあさ、今はお開きさっ!」


 そう言ったかと思うと、彼は突如扇子を取り出し、水を噴き上げた。

 それはたしかに子供たちにも見せていた手妻の一種だったが。その水を人形にかけると、紙の人形は一気にへしゃげ、湖に落ちていった。

 そして湖の畔に十和子と残した怪盗乱麻は、地下湖の中へと消えていった。手妻で出した噴水だけが残ったが、それもやがてプクプクと泡を吐いて消えた。

 十和子はそれを愕然と見ていたが、「十和子くん……!」と走ってきた要のほうにすぐ視線を移す。


「大丈夫か!? なにか邪気に当てられたりは!?」

「してないですねえ。というより、少し話をしただけで、わたしあの人から呪術を教えられたり、呪術師の仲間に誘われたりはしてないです」

「そうか、よかった……」


 要が本気でほっと息を吐いているのに、少しだけ十和子はくすぐったく思った。やはり彼は優しい。

 だが、これは聞いていいことなんだろうかと思いながら、十和子は口を開いた。


「あのう……さっきの怪盗乱麻としゃべってたんですけど……」

「なんだ?」

「要さんを陰陽師になりきれてないって言ってたんですけど……これってどういう意味なんでしょうか……?」

「……余計なことを」


 一気に機嫌悪く毒づいた要に、思わず十和子はぴゃっと背筋を伸ばしたが、彼女の態度にはっとしたのか、要は慌てて「すまない!」と謝る。


「俺が陰陽師として半端だというのは……まあ本当だな」

「わたしには、立派な陰陽師に見えてますけども……」

「……陰陽師は本来、賀茂や土御門の者しか名乗ることができない。俺の先祖はどちらにも属してはいない」

「それは……」


 陰陽師が血筋で決まるものとは、さすがに十和子も知らなかったが。

 要は苦虫を噛み潰したかのような顔で続ける。


「……先祖を辿れば、俺の家系は陰陽師ではない。呪術師のものだ」

「……えっ」


 思わず十和子は固まってしまった。

 あれだけ要は呪術師を嫌っていたというのに。それでも彼に流れている血は呪術師のものだという。それに混乱して、十和子はただ彼を眺める。

 要はただ、怜悧な表情に複雑な色を浮かべるばかりだった。

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