隠す想いと怪盗乱麻

 要はひとり、予備室で陰陽寮からの報告を読んでいた。

 曰く、胡蝶女学館の鬼門は、呪術師たちから狙われているということ。

 曰く、呪術師たちはなにも平安から代々呪いに明け暮れた者たちだけではなく、現在の政府に不満を持つ神職も関わっているということ。

 曰く、既に呪術師たちは胡蝶女学館に陰陽寮が関わっていることを察して、別方向からの鬼門の攻撃に移りはじめているということ。

 先日殺された遊郭の女性や彼女を引き取った亭主のことを思い、彼は自然と唇を噛み締めていた。

 この国の百年にも及ぶ江戸の世が明け、明治政府がつくられたとき、様々な問題が生じた。

 そのひとつが、寺社の習合問題であった。

 端的に言うと、政府の認めた神以外は認めないという活動により、それを受け入れた寺社は生き残ったものの、認められなかった寺社の多くが廃止されてしまったのだ。

 その際に陰陽寮も表向きは廃止になったが、その最中に起こった問題のせいで、完全廃止に至らず、大正の世になっても生き残ることとなってしまったが。

 その取り潰された寺社たちに呪術師たちが近付いたのだ。そこで政府に対してあることないこと吹き込んで、怨嗟の種を撒く、芽吹いたものたちにより、晴れて新たな呪術師たちが誕生してしまったのだ。

 新しい世は、なにも完全に新しくなりなにもかも暮らしがよくなるものではない。

 取りこぼしてしまった者たちの声を聞き、それが認められなかった場合は、こうして怨嗟を撒き散らすこととなるのである。


「遊郭もまた、新しい世の被害者だったから、こうやって呪術師たちの囁きに耳を貸してしまったというところか……」


 そう要が独り言を呟いていると、戸が大きく叩かれた。


「要さん、要さん。大変です!」

「あら、おはようございます」


 すぐに要は陰陽寮からの人形をスカートのポケットに捻り入れると、立ち上がった。十和子の気性は真っ直ぐだ。彼女の気性と太刀筋が濁るようなことだけは、彼もしたくはなかった。

 要が予備室に彼女を招き入れると、十和子は「おはようございます、大変です!」と言って紙を見せてきた。


「これは?」

「今日学校の前に手妻師が来ていたんですよ。その人がくれた折り紙の花になにか書いてあると思って広げたら……これだったんです」


 それはどう考えても、陰陽寮に対する宣戦布告だったし、相手は呪術師であろうことが嫌でも想像が付いた。

 要はそれに火を付け、燃やす。それを見ながら、十和子はおずおずと尋ねた。


「これ自体に呪いは……」

「それはないでしょうね。向こうも自分たちの存在を認知はさせようとしても、尻尾を掴ませまいとするでしょうから」

「あのう……あの人、なにが原因でこういうことを……」


 十和子のおずおずとした質問に、どう答えればいいか要は悩む。

 今の時代に異議を唱えている者たちがいると、説明すればそれまでだが。彼女に頼んでいるのは鬼退治であり、人間同士の諍いにはできる限り彼女を巻き込みたくはなかった。


「……世の中にはね、妬み嫉みで苦しんでいる人を利用しようとする人がいるの。それが、呪術師というものよ。でもね、私はあなたにそういう人たちと戦って欲しくはないわ?」

「要さん……ですけど、わたしは要さんにも、そういう人たちと戦って欲しくないですよ?」

「はい?」


 十和子の意外過ぎる申し出に、要は思わず素の低い声が出た。十和子は頷く。


「だって……要さん、鬼や子鬼と戦ってるときはそうでもなかったですけど……小間物屋さんと対峙したときは、つらそうでしたから……」


 要は基本的に普段は女装している。今の世の中陰陽師は表立って歩けるものではあるまいし、表を生きている者たちの中では既に時代錯誤な存在だからだ。今も陰陽寮が存在していることすら、一部の者たち以外は知るよしもない。

 だから取り繕うのは得意だと思っていた。しかし、十和子にはどうにもそれが通用しない。

 それが、彼女が元々見える部類の娘だからなのか、それとも薄緑に選ばれたような強い娘だからなのか、はたまた普通の娘だからこそ出た言葉なのか、要にはよくわからなかったが。

 ただ少しだけ胸が温かくなった。


「……ありがとう」


 そのひと言だけを伝えたら、途端に十和子はパッと明るい顔になった。

 本当に彼女を巻き込みたくないのだが、いずれ呪術師との戦いにも巻き込まなければならなくなるかもしれない。せめてそのときまで、彼女の笑顔が曇りませんように。

 要はそう切に祈るが。

 残念ながら彼の願いは聞き入れられない。


****


 十和子は少しだけふわふわとした気分で、教室へと向かった。


(なんというか、こう……もうこれって、エスではないような気がする……)


 本来のエスは、肉体的接触よりも感情的接触のほうを尊ばれ、互いに思いをしたため合うという、口にしない感情こそ至高という関係である。

 しかし、十和子は要に対する感情はじわじわとそういうものではないのでは……と気付きつつあった。

 要は女装していて綺麗で、どこからどう見ても美人なお姉様だが、その実は男であり、本性は仕事熱心な陰陽師だということを既に彼女も知っている。

 知っているからこそ、十和子が要に向けている感情はエスではないと思い知るのだが。


(でもな……要さんはお仕事でここに来ているし、お仕事がなかったら、そもそもわたしを巻き込むこともなかったし……言って迷惑をかけたくないよね)


 夜な夜な子鬼が現れ、その子鬼が成長して鬼となり、さらに成長すれば大鬼と化す。それらを食い止めるために陰陽寮から派遣された彼からしてみれば、惚れた腫れたは邪魔な感情だろう。実際に、恋心が原因で邪気が育ち、結果として危うくここの女学生たちも鬼に食われかけたのだから、それを向けてどうするというのか。


(このことは黙っておこう。ただ要さんを鑑賞しているんだったら、邪魔にならないよね。うん)


 この時代、いつか出会った女学生のように、感情を向けた相手に思いを告げることのほうが珍しいものである。ただ黙って思いを傾ける。

 跳ねっ返りが過ぎる上、世間一般の女学生よりも腕っ節の立つ十和子ではあったが、恋慕の向け方だけは世間一般の少女と変わりがなかったのである。

 そうひとりで勝手に結論づけている中。


「十和子ちゃん、おはよう……あら、考え事?」

「あら誠ちゃん。おはよう」


 誠がいつもの通りに寄ってきたので、慌てて十和子は気分を切り替える。そんな中誠はうきうきとした様子で十和子に話しかけに来た。


「今朝の新聞読んだ?」

「え? 読んでないけど……なにかあったの?」

「ええ、ええ……実はね。怪盗が現れたんですって!」

「……はい?」


 怪盗。流行作家が定期的に取り上げては、それはいるのかいないのかで揉めている存在である。

 ただの盗人とは違い、常に神出鬼没。その手口は鮮やかで、紙面を盛り上げる。主に冒険小説で主人公を担うが、稀に探偵小説の好敵手として登場し、どちらのほうが格好いいかで、読者がたびたび論争を繰り広げている。


(怪盗ねえ……でも実際に鬼も人魂もいるし、陰陽師や呪術師もいるんだったら、本当にいるのかもね)


 そう密かに結論づけていたら、誠がきゃっきゃと騒ぐ。文学少女からしてみれば、本物の怪盗には幾許かの憧れがあるらしい。


「それでね、その怪盗なんですけど、なんとこの町に現れたんですって!」

「…………はい?」


 それに十和子は戸惑う。

 たしかにこの町にも、女学校が建てられる程度には富裕層は存在している。しかし怪盗が躍起になって盗みたがるものがあるほどの富裕層がいるのかどうかは、十和子もはっきり言ってわからない。


「そう……なの……でも本当に怪盗なの? ただの悪戯ではなくって?」

「だって予告状が投げられたんですって!」

「予告状……ますます探偵小説めいてきたねえ」

「でしょう? だからわくわくしてるのよ。ほら、これが今朝の新聞!」


 そう言って誠が見せてくれた記事に、これまた十和子は困惑を隠せないでいた。


【源氏ノ重宝薄緑ヲ盗ミニ、怪盗乱麻見参!】


 瞬時に頭に浮かんだのは、要がいつも貸し与えてくれる、本来はどこぞの神社に奉納しているあれだ。

 一応薄緑と呼ばれる刀はどういう理由なのか何振りも存在するらしいが、少なくともこの町に存在している薄緑は要が貸してくれるものだ。


(あれが盗まれちゃったら……鬼と戦えなくなるじゃない……!?)


 ただでさえ、今朝は要が物思いに耽っていたのだから、これ以上彼が考え込むような真似は止めて欲しい。


「これ、予告状だったのなら、いつの何時何分に盗まれるのかわかるの?」


 十和子はなるべく叫ばないように、平常心で誠に尋ねる。誠は「えーっと……」と新聞の記事を読み耽る。


「今日の夜中の十二時ですって。警察が来るのかもしれないと思うと、わくわくするわね」

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………!!」

「って、ちょっとなあに、十和子ちゃん?」

「わ、わたし……ちょっとお手洗い!!」


 そう言って踵を返すと、再び予備室へと走り出していた。


(薄緑が盗まれるのだけは、絶対に嫌だ……! 要さんが借りている神社から怒られるかもだし……薄緑がなかったら、わたしは鬼と戦えない……! 要さんと一緒にいられなくなるじゃない!!)


 恋は隠すと決めていた。想いは蓋をすると誓っていた。迷惑だってかけたくないし、重荷にだってなりたくはなかった。だが。

 一緒にいられなくなりたいなんて思ったことは、一度もない。

 今この瞬間を守るためだったら、どれだけだって賭けることができる。十和子は、そういう少女であった。

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