小休止と手妻師
結局校庭で倒れた女学生たちは、陰陽寮から派遣された陰陽師たちにより、忘却術を施されて帰された。大鬼に襲われかけた記憶は、いつかの十和子と同じく思い出せないことだろう。
十和子は要以外の陰陽師を初めて見たが、どれもこれもきびきびとしていて、要よりも余裕がなさそうに見えた。
「皆さん陰陽師なんですねえ……」
「そうね、今は表立って国家のために尽くしているなんて言えないから、隠れ潜んでいるから余裕がないの」
「そうなんですか……? それにしては要さんは、余裕綽々と言いますから……」
「そーう? これでも私もそんなに余裕なんてないのだけど」
彼らは式神やら人形やらを飛ばして、呪術師の捜索に当たっているらしいが、芳しい成果はなかったようだ。
「お疲れ様です。潜入任務、引き続きどうぞよろしくお願いします。あと、彼女がですか……」
「はい?」
十和子に恭しく陰陽師たちが頭を下げるのに、彼女は困惑の目で要に助けを求めると、要はクスリと笑った。彼もまた陰陽師の姿であったのならばもっと他の言動ができただろうが、相変わらず女装しているときはたおやかな立ち振る舞いだ。
「あなたは薄緑を難なく扱えるから、稀少価値が高いと評判なの」
「ええ……でも、剣術を嗜んでいたら、実剣くらい使えるんじゃ……」
「見える目を持っていなかったら、そもそも子鬼も鬼も斬れないでしょう?」
「あ……そうか」
実際問題、陰陽師たちがいくら陰陽術に長けていても、刀を扱える人間はいないようだった。そしてそもそも鬼を見える目を持っていなかったら、いくら源氏の重宝とは言えども、振るえる訳もあるまい。
陰陽師たちは「これからもこの鬼門の守護をよろしくお願いします」と頭を下げるので、十和子はあわあわと答える。
「わ、たしにできることがあれば!」
こうして、十和子は家に帰ることになったのだが。
まだ茜色の空の下で、宵闇はまだ近付いていない。瓦斯灯の下をポツンポツンと歩きつつ、今日のことを考えていた。
(でも……あんなに陰陽師の人たちが現れて呪術師を探してるって、大変なことなんじゃ。そもそもこの町の鬼門を害してなにがしたいんだろう。またあの子たちみたいに犠牲者が出るのかな。今回は、わたしが間に合って、要さんも助けに来てくれたからよかったけど……
)
実際問題、十和子は要があと少し遅れていたら、大鬼に食われていた。あの汚臭を思い返し、十和子はぞっとした。
彼女は鬼が見えるが、見えないものたちは、なにが起こったかもわからないまま食われていたのだとしたら、やるせないことこの上ない。
(なんとしても、呪術師を見つける手伝いをして、鬼門を守らないと。子鬼くらいだったら私や要さんでも大丈夫でも、これ以上強い鬼が出てきたら、全然手に負えないもの)
その日、十和子はいつも以上に鍛錬を入念に行ってから、風呂に入って寝た。
あまりにもいつもの日常で、もう少しで鬼門のことすら忘れそうだった。
****
次の日も、十和子は鍛錬を済ませてから朝ご飯を食べ、学校に向かう。
彼女がいつも以上に鍛錬に集中しているのを「ほう」と声をかけられた。彼女の父である。
「なんだなんだ、このところずいぶんと気合いが入っているじゃないか」
「お父さん! おはようございます」
十和子はぶんっ、とお下げを揺らして挨拶をした。それに父は笑う。
ざん切り頭に首から胴にかけて太く、どう見ても鍛え抜かれた体の父は、ゆったりと笑った。
「また母さんに怒られやしないか? 嫁のもらい手がないと」
「わたしが守らせてくれるような相手を選べばいいだけですよ。わたしが強いと文句ある人なんて知りません」
「そりゃそうだ」
十和子の母は、彼女がこれ以上強くなったら本気で釣書をどれだけ配り歩いても断られるだけだからと、彼女の剣術の鍛錬については批難がましい目で見ているが、父は逆に彼女の鍛錬を推奨している節があった。
「人間、なにがどうなるかわからんのだから、鍛錬しないよりしたほうがよかろうよ」
「あなた、これでこの子が行き遅れたらどうするんですか」
「この子が強くなることで嫁にしたがらない了見の狭い男に嫁いで、この子が幸せになれると思っているのか」
そうきっぱりと言ってくれているため、十和子にとっては母よりも親しみやすいのであった。
さて、十和子の素振りを見ながら、父は唸り声を上げる。
「ふむ……十和子、お前実戦をしたか?」
「え……?」
内心ギクリとした。まさか逢魔が時に、真剣を振り回して鬼と戦っているなんて言える訳もあるまい。だが道場の主が、彼女の太刀筋がただの鍛錬のものじゃないとは気付くだろう。父は顎を撫で上げながら言う。
「木刀の突き方がわずかに荒れている。綺麗が過ぎる太刀筋は、鍛錬としては正しいが、達人にもなったらすぐに読まれて実戦には不向きだからな。多少乱れを加えることで読めなくするのは、普通にある」
「……少々、不届き者と」
「まあ、お前のことだから、気に食わない相手という理由で暴力は振るわないだろうがな。最近はこの辺りもきな臭い噂も出回っているし、くれぐれも鍛錬を怠らないようにな」
「きな臭い……ですか」
十和子は手ぬぐいで体を拭いながら尋ねる。もう少ししたら井戸で汗を流してから着替え、学校に向かわないとならない。
父は大きく頷いた。
「このところ警察にも面妖な事件の話が出回ってきて、道場になかなか人が集まらんのだよ。胡蝶女学館付近の小間物屋の亭主が、殺されたらしくてな。奥方ひとりで切り盛りしていたらしいが、彼女もまた、病で倒れたと聞いている」
「それは……」
小間物屋の女性のほうに陰陽寮が向かったというのは、要から聞いていたが。まさか彼女と結婚した男性まで死んでいたとは聞いていなかった。
(ふたりとも死んでしまったんじゃ、誰が彼女に呪術を教えたのかわからないじゃない。それとも……口止めのために、呪い殺されたの? そんなことって)
十和子が黙り込んだのに、父は脅えたのかと勘違いしたのか、ポンと十和子の頭に手を当てた。
「警察が頑張って捜査している。その内犯人も捕まるだろうから心配するな」
「そう……ですね」
「まったく、あちこちで厄介な事件が多くてな。物騒は物騒を呼ぶから、本当にかなわん」
父がそう言ったことに、十和子は自然と木刀を握る手に力が篭もった。
鬼門の邪気を強めたら、鬼は強くなる。邪気は恨み、妬み、嫉み、脅え……人の弱みに付け込んで力を蓄え、鬼を育てていく。
誰かが種を撒いているのだ。鬼を育てるために、邪気の種を。
(そんなこと……絶対にさせないんだから……!)
彼女は再度そう誓ってから、急いで井戸で汗を流してから制服に着替え、慌てて学校へと向かうのであった。
遅刻するほどの時間ではないが、要と話をする時間が短くなると慌てて走っている中。
近所の小学校の子供たちが、鞄を背負って路地に固まっているのが見えた。
(学校に行かなくっていいのかしら。もうちょっとしたら遅刻しちゃうけど)
十和子がそう訝しがっていたら、子供たちが見ていたのは扇子を広げている男性であった。着物に袴を穿き、狐のお面を被っている。その人が広げた扇子からは、水が噴き出てくる。
手妻であった。
西洋から渡ってきた奇術とはやや異なり、口伝で伝わるその術は、舞踊の動きも混ざって人々の目を釘付けにする。
「さあ、お立ち会いお立ち会い。この水が……こう!」
「わぁぁぁぁぁぁぁ!!」
子供たちが一斉に歓声を上げた。動きが流麗で、どうやって仕掛けを施しているのか、剣術鍛錬で目を養っている十和子にもわからない。
やがて狐面の手妻師は、十和子のほうに顔を向けてきた。
「やあやあやあやあ、お嬢さん。これもなにかの縁かな」
「はい?」
手妻師と子供たちが一斉に十和子に視線を向けてくる。それに十和子は少しだけ及び腰になる。
やがて手妻師は扇子を彼女に向けると、彼女の手元に紙の花が飛んできた。それに十和子は目を白黒とさせる。
「花鳥風月。女性にはその言葉がよく似合う。よき一日を」
「あ、りがとうございます……」
十和子は頭を下げると、子供たちはまた歓声を上げて、手妻師の手妻に魅入りはじめた。十和子は花を怖々と持って学校に向かう。ふと、彼女は花になにか書いてあることに気付き、それを広げて読んだ。
【鬼門ハ我ラノ者。ユメユメ忘レルナカレ】
「……っあの人は!?」
十和子は手妻師を問いただすか、要に相談するかを迷ったが。
これは重要な手がかりになると思ったら、先に要に相談だと走りはじめた。一度は大鬼に食い殺されかけたのだ。そう何度も何度も単独行動は取らない。
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