第88話 柏木さんの休憩


「"よし、じゃあ次だ『押すなよ? 絶対に押すなよ!?』"」


「"あら、簡単ね。『押さないで』って意味でしょ?"」


「"いや、これは日本語だと『押せっ!』という意味だ"」


「"えぇ~!? 日本語って難しいのね……"」


 俺の部屋で同人誌を読んでいたリリアちゃんに、柏木さんが日本語を教えに来た。

 それは日本語というより、お約束だと思うけど。


「"よしじゃあ、次。日本語の一人称は沢山あるんだ"」


「"そうなの? 私は何が良いかしら?"」


「"リリアの場合はそうだな……『僕』とかが良いかもしれん"」


「"僕……僕……うん、何だかしっくりくるわね!"」


 柏木さん……リリアちゃんをボクっ子にするつもりか……。

 まぁ、それはともかく。


「"柏木さん、どうしてリリアちゃんに(間違った)日本語を教えてるんですか?"」


 俺が尋ねると、柏木さんは簡単に教えてくれた。


「"あぁ、リリアが私にお願いしてきたんだ。日本語を覚えて、どうしてもお前と――"」


「"同人誌! ほら、同人誌はあんたが翻訳してくれてるから読めてるじゃない? 私は自分で読めるようになりたいの!"」


 柏木さんの口を両手でふさいでリリアちゃんが何やら焦るように理由を説明した。


 確かに、リリアちゃんはこれからもずっと日本のアニメや漫画が大好きだろうし覚えようとすることは立派だ。


「"まぁ、そういうことらしい。だから私は自分の仕事の合間の休憩時間にノコノコとお前の病室に来たわけなのだよ"」


「"そうなんですか! でしたら、代わりに俺が教えますよ! 柏木さんはとてもお忙しいですし――"」


「"ダメだ!"」

「"ダメよ!"」


 柏木さんとリリアちゃんの否定の声が重なった。

 そんなに嫌なのか……と少しヘコんだけど、優しいお二人はすぐにフォローの言い訳を考えてくれた。


「"経過に異常が見られないから忘れがちだが、私は山本の担当医だろ? だ、だからその……部屋までお前を見に来るのは仕事の一環でもある"」


 確かに部屋に来た柏木さんはよく俺のことを横目でチラチラと見てくる。

 顔に朝食のパンの食べかすでも付いてるのかと思ったけど経過観察だったのか。


「"柏木って教えるのが凄く上手いからこのままで良いの!"」


 リリアちゃんには反論の余地もないことを言われた。

 ふざけているように見えて、実は適切な教え方なのかもしれない。

 なにせ、天才美少女である。

 俺なんて凡人には分からないメカニズムなのだろう。


「"良いですよ~、じゃあ俺は俺で作業してますから"」


 わざと不機嫌そうな雰囲気を出して、リリアちゃんの邪魔をしないように隣で画用紙を切ったり、貼ったりし始める。


「"山本は何を作ってるの?"」


「"お二人に仲間外れにされたので教えません~"」


「"あんたって割と子供っぽいところあるわよねー"」


 30分ほどの授業が終わると、柏木さんは日本語の教本を閉じた。


「よし、今日はここまでだ」


「アリガトウゴザイマシター」


 リリアちゃんは片言の日本語で柏木さんにお礼を言った。


「柏木さん、大変お忙しいのにわずかな休憩時間までお勉強の面倒を見てくださりありがとうございます」


 リリアちゃんのことだと分からないように俺は日本語で感謝する。

 この手段もだんだん使えなくなるのだろう。


 リリアちゃんのことを俺がお礼を言うのはリリアちゃんのプライドが許さないはずなので日本語で言ったが、どちらにせよ分からない言葉で話している様子を見てリリアちゃんに睨まれている。


「構わないさ、それに……私にとっても大変有意義な休憩時間だからな。お前がそばに居るわけだし……」


 柏木さんは少しだけ小さな声でそう言った。

 そういえば、俺の経過観察も兼ねていると言っていたし、都合が良いのだろう。


 柏木さんを見送ると、リリアちゃんにお腹をパンチされた。


「"なによ! また2人だけで話して! ズルいわ、私だって日本語をマスターしてやるんだから!"」


 どうやら二人だけで話していたのが気にくわないらしい。

 これで仲間外れにされた気持ちが少しは分かっただろうか。


 とはいえ、これ以上リリアちゃんに嫌われたくはないので俺はしゃがむとリリアちゃんに耳打ちした。


「"リリアちゃん、今夜俺の部屋に来てくれる? 二人で楽しい事をしようよ"」


 俺がそう言うと、リリアちゃんの顔が真っ赤に染まった。


「"そ、それって……!"」


「"ふふ……楽しみにしてて"」


 俺が笑いかけると、リリアちゃんは林檎のように顔を真っ赤にしてコクリと頷いた。



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