幼馴染の騎士への嫌がらせで攫われました。

秋月忍

幼馴染の騎士への嫌がらせで攫われました。

 私の幼馴染アーサー・マルケスは優秀な騎士だ。

 十三歳の春から六年間ずっと、私、カリン・エリスターと共に王宮に仕えている。アーサーは騎士。私は王宮の侍女だ。

 マルケス家もエリスター家も、騎士爵扱いで、厳密には貴族ではないが、代々王家に仕える家柄で、屋敷が隣ということもあり、幼い頃から家族ぐるみで付き合っていた。

「お前、赤騎士の飲み会に行くって、どういうことだよ?」

 廊下のモップがけをしていたら、休憩時間なのかアーサーが声をかけてきた。

 こげ茶色の髪は短く、エメラルドグリーンの瞳はいつ見ても綺麗だ。

 侍女仲間だけでなく、貴族令嬢にも人気があるというのもうなずける端整な顔立ちである。

 ちなみに幼馴染ということで、とにかく私に仲を取り持ってくれという話がとても多い。断れなくて、何度か頼んだこともあったけれど、彼は首を縦に振ってくれたことがなかった。そして信じられないほど不機嫌な顔になるから……相手がどんなに頼んでも、断っている。

 そのことで落ちるのは私の評判で、彼の方は逆に硬派だとかカッコイイとか言われるのって、ちょっと不公平だと思う。

「職場の交流会だもの。仕方ないじゃない」

 交流は建前で、王宮侍女にとって、騎士との飲み会はいわば婚活なのは事実。アーサーが眉をひそめる理由もわかるけれど、私だってもう十九歳。適齢期だし、そろそろいろいろ諦めて相手を見つけるべきだって思う。

 それに飲み会に全く参加しないと『お高く』止まっているって、同僚からも思われてしまうし。

「お前、騎士との飲み会がどういう意味か分かっているのかよ?」

「わかっているわよ! でも付き合いもあるのよ」

「どうしてもって言うのなら、青騎士団とかにしておけよ」

「何が悲しくて、実の兄がいる団の飲み会に行かないといけないのよ」

 私はため息をつく。私の兄リック・エリスターは現在青騎士団の団長をしている。過保護な兄の率いる団の飲み会に行っても婚活などできるわけがない。

 ちなみにアーサーのいる黒騎士団だともっと行けない。同僚たちにアーサーを紹介しろって言われまくるのは目に見えていて、自分のことどころじゃない。それに、さすがにアーサーがいたら、婚活なんて無理。どうしたって、比べてしまうだろうから。

「今回は、上司が絶対に出ろってうるさいの!」

 マリア・デスルタン侍女長補佐は、どうやら私を赤騎士の誰かに紹介することを条件に飲み会をセッティングしたらしい。つまり、私は今回『贄』なのである。

 アーサーはなんとなくそれを察しているのかもしれない。

 しっかり者のアーサーは、私を妹のように思っているから、心配なのだろう。

 でも──所詮は妹なのだ。

「私にも事情があるのよ。だから放っておいて」

 私はそっぽを向いて、モップを握り締める。

「ったく。遅くなるんじゃないぞ。迎えに行くからな!」

 アーサーは呆れたように言葉を投げて、去って行った。

「何よ。自分は相手がいるくせに」

 アーサー・マルケスは優秀で、今度黒騎士団の副長になる候補生に選ばれたらしい。

 将来は騎士団長も夢ではないということで、縁談にも事欠かないと聞く。

 そんな中、先日、アーサーが騎士団長の娘さんと街を歩いているところを見てしまった。美人で、とってもお似合いだった。

 私は幼馴染だから、アーサーが良家のお嬢さんと結ばれるなら祝福してあげなければいけない。

 だから……なのに。

 首にかけたネックレスを握り締める。

「大っ嫌い」

 私は一心不乱に床を磨き始めた。


 


「ねえ、カリン、聞いた?」

 同僚のナオが、掃除の合間に声をかけてきた。

「何? ナオ、あと少しだからここだけやってからね」

 ナオはとってもいい子だけれど、おしゃべり好きなのが玉に傷だ。仕事中でも、気になる話があると話さずにはいられなくなるし、手も止まってしまう。

「あんたの幼馴染に関することよ。さっき聞いたのだけれど、黒騎士の副長にほぼ決まったらしいわよ?」

「え? でも、まだ候補で、これからいくつか試験があるって聞いていたけれど」

「それがね」

 ナオは声を潜めた。

「理由はよくわからないけれど。対抗馬の候補生に問題があって候補から外されちゃったらしいって」

「ふうん」

「あとさー、彼、結婚秒読みって噂を聞いたけど?」

「え? 」

 私は耳を疑う。

「あれ? カリンがその様子ってことはデマかしら 」

「どうかな。私は何も聞いてないわ」

 そう。何も聞いていない。彼に恋人がいることだって話してくれていない。

 彼の特別になれなくても、妹のようには思ってくれているとは信じてた。結婚が決まったら、真っ先に教えてくれる程度には大切な間柄だとおもっていたのに。

 結局、私だけだったんだ。

 私は妹ですらなかった。もともと私にとって彼が兄だったことはなかったのだから、お互い様と言えば、お互い様だけれども。

「……やっぱり大嫌い」

 私はネックレスに手をやってから、思わず呟いてしまう。

「カリン?」

「ううん。何でもない」

 泣きたい気持ちをごまかして、私は掃除に集中することにした。



 仕事を終えると私は少し綺麗めのワンピースを着た。

 お化粧も少しだけ気合いを入れる。

 初恋を捨てて、私は新しい恋を手に入れるんだという気合を込めてだ。

 鏡の前で、一度外したネックレスを迷いながらも、もう一度つける。

 エメラルドグリーンの石のペンダントトップのそれは、アーサーが十九歳の誕生日にくれた物だ。遠征先の神殿で買ったという災厄よけのお守りらしい。

「お守りだから。絶対、肌身離さずつけていて」

 いつになく真剣な眼差しにドキリとした。初めてアクセサリーを貰ったことが嬉しくて、特別になれた気がして。馬鹿みたいに素直に、毎日つけている。

 今さらだけど。お守り以上の意味はなかったとわかってはいるけれど。

 でも、お守りだからと、私は自分に言い訳する。

 アーサーなら、私にもいい人が見つかることをきっと祈ってくれるだろうから。

 それはそれで、複雑だけれども。

 今日は赤騎士団との飲み会だ。私はぎりぎりまで当番の仕事があったから、少し遅れていくことになっている。

 外はだいぶ暗くなっていた。王宮侍女の寮の階段を降りていくと、一人の男性が立っている。そして私を待っていたかのように近づいてきた。

「エリスターさん?」

 体格から見て、騎士のようだ。柔らかな金髪。整った容姿。騎士服ではなく普段着だからわからないけれど、どこかで見たような記憶がある。所属とかは覚えていないけれど、美形だから、誰かがファンだと言っていたかもしれないなあって思う。

「はい。そうですが」

 私は頷く。

「これから、赤騎士の飲み会ですよね?」

「ええ、はい」

「実は、場所が変更になりましたのでご案内しようかと」

 彼はにこやかに笑った。

 それにしても、急な変更である。

 店の都合でもあったのだろうかと思いつつ、歩き始めて。ふと彼の顔をどこで見たのか思い出した。

「フィリップ・ラウゼンさま?」

 この人は、赤騎士団ではない。

 黒騎士団で、アーサーの同僚だった男だ。アーサーと共に副官候補になったとまでは聞いている。

「ほう。オレの名前を憶えていてくれたとはね」

 キラリとフィリップの目が光る。

 強い憎しみの色だ。

 私は踵を返して逃げようとしたが、腹を殴られて、私は意識を失ってしまった。



 目が覚めると、そこは暗い倉庫のようだった。

 積み上げられている道具から見て、騎士団の倉庫なのかもしれない。

 明かりは一本の蝋燭。

 私は両手を後ろ手に縛られていて床に転がされている。

 服に乱れはないが、殴られた腹部が痛む。

 あまり丁寧に扱われていなかったらしく、体中が痛い。

「やあ、目が覚めたようだね」

 フィリップ・ラウゼンだった。にこやかな笑顔が怖い。

「君が、アーサー・マルケスの最大の弱点で、エリスター家の宝石か。まあ、なかなかかわいい顔をしているね」

「こんな状況で、お褒めいただいても嬉しくありません」

 床に寝転がる私の顎に手を当てて、フィリップはじろじろと私を見る。

 生温かい息がかかる距離。全身に鳥肌が立つ。

「個人的にはもう少し豊満な方が好みだが、それなりに出るとこは出ているし、なかなかそそる体つきだね。なるほど、あの男が離さないわけだ」

 フィリップはじろじろと私の身体を値踏みしている。

 取り出した小型の剣で、私の喉元から胸元にかけての布を割いた。

 ワンピースの胸元がはだけ、胸の谷間があらわになる。

 首に掛けていたネックレスのチェーンが切れて、からからとペンダントトップが床を転がってパリンと割れた。

「あいつは裏から手をまわしてオレから副長の座を奪いやがった。本来なら、剣で勝負するところなのに、姑息な奴だよな」

 フィリップはナイフで私の服を刻みながら、にやにやと笑う。転がって逃げようとするけれど上手く動けない。

 冷たい金属の感触が肌に当たる。

「ふふふ、いい顔するね」

 フィリップは言いながら、ぺろりと私の頬をなめた。

 すごく気持ち悪くて吐きそうだ。

「何をする気なの?」

「だからさ。副長の座の代わりに、エリスター家の宝石をオレが貰ってもいいよね?」

「……意味が、わかりません」

 私は首を振る。

 相手は刃を持っていて、刺激出来ない。

 おそらくこの男はアーサーに恨みを持っていて、私で溜まった憂さを晴らそうとしているのだ。

 それにしてもエリスター家の宝石って何? 兄のリックがあまりにも私を過保護にするからだろうけれど、そんな二つ名で呼ばれていたなんて恥ずかしすぎる。

 フィリップの目的が私の貞操なのか、命なのか。それとも両方なのかわからない。

「ねえ、奴は来ると思う? この服を全部ひん剥き終わるまでに来られるかな?」

 フィリップはにやつきながら、私のスカートを切り裂きはじめる。

「おや、駄目だよ。動いては。君の柔肌を出来れば傷つけたくはないからね」

 少しでも動くと彼は肌に刃を当てた。決して深くはないけれど、あちこちに痛みが走り、生温かいものが肌を伝った。

「いいねえ。ぞくぞくする」

 フィリップは楽しそうだ。

「君を奪われたら、奴は正気じゃなくなるよね? そこで決闘すれば、実に楽しい勝負が出来そうだよ」

 その前提はいろいろ間違っている。アーサーが私のために怒らないとは思わない。でも、フィリップが思っている効果にはならないだろう。だって私は彼の特別じゃない。

「こんなことをしてもあなたはアーサーには勝てない」

 私はフィリップを睨みつけた。このタイプには、泣き叫んだら駄目だ。

 そんなことをしても、こいつが図に乗って喜ぶだけだ。

 本音を言うと、とても怖くて、気持ちが悪い。でも。

 私は騎士の娘だ。敵に弱みを見せてはいけないと言われて育った。護身術も一通り使えはする──本職相手では、分が悪いけれども。

 何より、アーサーの枷にはなりたくない。何があっても、何をされても、『弱み』になんてなってやるもんかと思う。アーサーは私にとってヒーローで、特別だから。足でまといにはならない。

「こんなことをするってことは、人質をとらなければ、まともに勝負ができないってことでしょ?」

 馬鹿は承知で、私はフィリップを挑発する。

 チャンスはそんなにはない。

「このあま!」

 激高したフィリップの股間めがけて力いっぱい足を蹴り上げた。

「くわっ」

 フィリップが転がったすきに私は、立ち上がる。

 走ろうと思ったのに、暗闇で何かにつまずいた。足を変な形でひねる。

「あっ」

 耐えきれず私は、積み上げられた鎧に倒れこむ。

「くそったれ」

 転がりながらも逃げようとした私の髪を、フィリップがグイッと引っ張った。

「痛っ!」

 あまりの痛みに声を上げる。

 フィリップが私の身体の上に馬乗りになった。

 必死であらがおうと試みるが、相手は騎士である。

 絶対に呼んではいけないのに。絶対に泣いたら駄目なのに。奴の手が私に触れる。

「嫌っ! アーサー!」

 私は声を限りに叫んだ。

「ふふふ、いいぞいいぞ。あの男の名を呼ぶ女をいたぶるのは、楽しいねえ」

 フィリップが喜びの声を上げたその時。

 ガシンという大きな音と共に、倉庫の扉が開いた。

「フィリップてめえ」

 アーサーの怒号が轟いた。よく見えないけれど、何人か人がいるようだ。

「動くな! こいつがどうなってもいいのか」

 フィリップは、ナイフを持った手を不用意に私の口の側に持ってきた。

 咄嗟に私はその指に噛みついた。血が出るくらい思いっきりだ。

「ぬぁっ」

 フィリップが悲鳴を上げる。

 彼の手からナイフがこぼれおちた。それが肌をかすめて地味に怖かったけれど。

「俺のカリンに何をした!」

 アーサーがあっという間に距離を詰め、フィリップの胸ぐらをつかんで吊り上げた。

「アーサー! 待て! 殺すな!」

 兄のリックの声。

 アーサーは無言で、フィリップをそのまま投げ飛ばした。

 どさりと、何かにぶつかって、がさがさと何かが崩れたみたいだが、フィリップは起き上がってくる様子はない。

「カリン!」

 アーサーは私の名を呼び、私を騎士服でくるんでくれる。

 兄と他にも人がいるみたい。どうやら、兄の青騎士団の人たちみたいだ。

「遅くなってごめん。怖かっただろう。本当にごめん」

 そのままアーサーが私を抱き寄せる。

 アーサーの身体が震えていた。私より、ずっと青ざめた顔をしている。

「大丈夫か、カリン」

 アーサーに抱き寄せられたまま、私は兄の声に顔をそちらに向ける。

 兄も青い顔をしている。もっとも少し落ち着いた表情なのは、年の功なのかもしれない。

「全部かすり傷です。大きなけがはありません」

 あちこちナイフで傷をつけられたけれど、痛いのはどちらかというと打ち身の方だ。

「団長、こいつは失神してますが」

「縛り付けて運び出せ。我が妹に手を出したこと、骨の髄まで後悔させてやる」

 聞いている私の方が凍り付くような冷たい声で、リックは命じる。

 ああ、アーサーも兄も私を本当に心配してくれていたのだなって思うと、嬉しくて涙があふれてきた。

「アーサー、ここは任せて、カリンの手当てをしてやってくれ。後は頼んだ」

「わかりました。エリスター家の宝石は私が引き受けます」

 アーサーは言いながら私の身体をさらに強く抱きしめた。



 軍の医務室に連れて行かれ、傷口に薬を塗ってもらった。殴られた腹と、逃げようとした時にひねった足のほうが酷かった。

「ありがとう。助けに来てくれて」

 軍医が席を外したところで、私はアーサーにお礼を言う。

「違う。俺のせいだ。奴が俺を恨んでいることは知っていたのに」

 アーサーは悔しそうにこぶしを握り締めている。

 フィリップは、軍の品を横流しした罪が発覚して、副官の候補から外された。その調査をアーサーがやっていたってことで、余計に恨まれたみたい。

「ううん。大丈夫。ちょっといろいろ痛いけれど、その……まだ、何もされていなかったから」

「うん」

 アーサーが私の手に触れた。

 ワンピースは既に服としての機能をはたしていないので、私はアーサーの騎士服を着ている。

 丈の長いコートだから膝くらいまでの長さがある。袖もとても長くて、手がほぼ隠れてしまう。

「それにしても、どうしてあそこにいるとわかったの?」

 私がいたのは、軍の予備役用の倉庫。普段は全く使っていないところだったらしい。

「これだよ」

 アーサーはかけていたネックレスを外して見せた。

 私にくれたお守りによく似ているけれど、ペンダントトップがサファイアブルーだ。

「これって?」

「言ってなかったか? カリンに渡したのとこれはペアで、女神ラクラサの祝福がこもっている。持ち主に危機が訪れると割れて、もう片方の石に伝わるようになっているんだ」

「え?」

 そういう品があることは知っている。

 でも、それって、とっても高価なお守りでそれこそ『結婚相手』に贈る品ではないだろうか。

「女神ラクラサのお守りだとは言ったと思うのだが」

「……それは聞いたような気がするけれど」

「ラクラサっていえば、縁結びだろ?」

「……縁むすび」

 思ってもみない言葉に、私は目を見開く。

「喜んで受け取ってくれたから、わかってくれたと思ってたのに、最近忙しくて会えないうちに、急にそっけなくなって、飲み会に行くとか言い出すし」

「でも、団長の娘さんと一緒に歩いていたわよね?」

「は? なんのこと? フィリップが軍の品を横流ししているのを娘さんと一緒に調査していただけで、俺はカリン一筋だけど?」

「あの……アーサー」

 私はコホンと咳払いをした。

「ひょっとして、アーサーは私のことが好きなの?」

「当たり前だろうが。気づいてなかったのかよ? プロポーズもしてたのに」

 私とアーサーは呆れた顔でお互いを見る。

「……全く分からなかったのだけど」

「副長になったら、一緒に神殿に行こうって言ったら、うんって言ったじゃないか?」

「それは……副長になったお祝いじゃないの?」

 アーサーは目を大きく見開いた。

「そっか。比喩じゃ、駄目だったか。お前、鈍いもんな」

 アーサーは小さくため息をつく。

「カリン、俺と結婚しよう」

 そう言って、アーサーは私の手にキスを落とす。

「……私でいいの?」

「お前以外はいらないから。イエスなら目を閉じて。そうでないなら、この手を振り払って」

 まだ信じられないけれど。

 私は目を閉じて、アーサーの唇を受け入れる。

「カリンに比喩や雰囲気押しはだめってわかったから、これからはグイグイ行くよ」

 そう囁いて、アーサーは私の身体を抱き上げた。

「あの、アーサー、どこへ?」

「俺の家。回りくどいのは伝わらないみたいだから」

「……豹変しすぎなのでは?」

「もう婚活しようなんて思わないように、俺の想いを伝えるから」

 エメラルドグリーンの瞳が艶っぽい光を帯びる。

 私はその甘さに酔いしれて、彼の身体に身を預けた。

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