第9話 ありきたりの幸せさ

 復路に関しては、苦しい思いも有ったものの、あながちロカの言葉も外れてはいなかった。

 往路ほど途方も無く長い時間の試練というわけではなく、気付くと、異空間と思えるトンネルのような状態を通り過ぎて、小夜美の知っている現実に戻っていた。


 救いだったのは、身体にはあれだけ強圧をかけられたにも関わらず、その痕跡が1つも残っていない事だった。


 あたかも身の上に何事も無かったかのように、小夜美は通勤途中の状態に戻っていた。


 乗り換え場所に向かい、途中で目に入った時計が示していた時刻も、今朝のまさにあの時のままだった。

 携帯で確認しても、日付も同じだったが、小夜美がアブダクションされている間、電子機器が止まっていた可能性も有ると思った。

 念の為、通りすがりの女性に、今日は何月何日か尋ねると、相手は急いでいるようで少し迷惑そうな顔になりながらも


「12月4日です」


 と、即答して去って行った。


 やはり、携帯の表示と同じ返答だった。


(あれだけ長い苦痛時間だったはずなのに、あの時点から全く経過してないなんて!! こんな事って、現実で有り得るの.....? 浦島太郎は竜宮城で1日が100日に相当していた。まあ、あれは作り話だけど......宇宙人と過ごした時間に関しては、現実的に、全く進まないって事なの.....?)


 首を振って、自分の思想を否定しようとする小夜美。


(もしかすると、私、長い白昼夢を見ていたのかも知れない。だって、そうでしょう? あんな奇特な事が、自分の身の上に起きていたなんて信じられる? 現実味がまるで無さ過ぎる! ほら、私、どこも変わってないし! あんな強圧でずっと潰されかけていたのに、平面的にもなってないし......)


 懸命に、夢だったように思い直して済ませようとしていた小夜美。


(ただ、白昼夢のわりには、あの記憶は、あまりにも鮮明過ぎる......今まで、見て来たどんな覚えていられた夢よりも、ひとつひとつが曖昧なところなんて微塵も無く、鮮明に覚え過ぎているから.....やっぱり無理矢理、これを夢扱いするなんて出来ない.....はぁ~、アブダクションにインプラントか~!......私、地球人としては、もう修復不可能なくらい、かなりの傷物になってしまっている~!!)


「稲本さん、おはよう、いつもより遅かったね! 早く着替えて、昨日しそびれていた発注お願い」


 職場のドラッグストアに着くと、待ち構えていたかのようにセール期間中という事もあり、ピリピリしている様子で、小夜美に促して来た店長。

 慌てて着替えようとした時になって、ロカに監視されている事を思い出した小夜美。

 指示されていた『off』機能を思い出し、疑いつつも心で叫んだ。


(この『off』機能、本当に効果有るのかな? 取り敢えず、あ~だこ~だ煩いから私にはそう思い込ませて、実は24時間ノンストップで監視中なのでは......? ......あ~、信じられない、あのむっつりスケベ宇宙人! ......『off』機能が有効なら、まだ5分経ってないし、もっと悪態ついてやろう! ......今まで、散々ほっといて、今更、何がバルサミコ酢とサラミのような名前の星の宇宙人よ~! しかも、レベルが低いとか、私の事を思いっきりバカにして! 人の大切な思い出にまで踏み込まれて! もうサイテー!! ......着替え終わってるし、そろそろ5分かな? また次回の『off』期までガマンガマン!)


 監視されている事を意識しながら、仕事を開始した小夜美は、いつもより、ぎこちなく、客に問いかけられては引き攣り、職場仲間との会話も弾まなかった。

 それでも、何とか、いつもより頑張り、ロカを見返そうと思う気持ちだけは強かった。


(今の私が地球人の平均レベルで、元の星の人達には到底追い付けないレベルだとしても、なんか見下されたままっていうのは、すごく悔しい! 確かに......私の友達とは違って、売れ残りのお1人様状態で、誰からも相手にされない。仕事だって、そんな自慢出来るような事をしているわけじゃないし。今までは、毎朝怠くて面倒だな~と思いながら、生活していくために働いていた。でも、あの苦痛なトンネル往復を体験したせいか、なんか今のこの状況の方がよっぽどマシに思えてくる!)


 昼休憩の時間、小夜美はいつもなら、休憩室に籠って、テレビを見ながら持参したおにぎりを食べていた。

 珍しく、今日は外に気持ちが誘われて、近くの公園のベンチに腰掛けた。


(小春日和だ~! 日差しがポカポカで気持ちいい~!)


 ハンカチに包んだおにぎりを膝に置き、両腕を上にあげて、上半身を伸ばし肩の凝りをほぐした小夜美。

 頭上の木の枝に止まっている小鳥達のさえずりが心地良く感じられ、お散歩中の犬の表情が可愛らしく映る。


(何だか、こんな感覚久しぶり......あれっ、どうしたんだろう、私? 久しぶり過ぎるせいかな......?)


 知らず知らず頬を濡らす涙に気付いた小夜美。


(普段通りでいられる事が、何だか尊く思えてしまう! あの想像を絶するような緊迫の時間から逃れる事が出来たんだから、当たり前の日常が、こんなに輝いて見えるのも無理無いのかも知れないけど! でも、何だか懐かしく感じられる。遠い昔もこんな感覚になった事が有ったような......それって、いつだったのだろう?)

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